54話
「おーい、行くぞ。遅れたらシャリアやロイスにごちゃごちゃ言われるんだぞ? 特に俺が……」
寮の玄関前で珍しく時間よりも早く用意の整ったレグルスが呼びかけていた。もちろん真面目になったと言うことでは無く言葉通りに天板にかけた際にどちらが面倒なのかと判断した結果なのだが。
ドタドタと階段を降りてくるアリスに続いてラフィリアとサーシャも後ろに続いていた。呆れ顔のアリスはレグルスの前で盛大にため息を吐くとレグルス裾を掴むとグイグイと引っ張って行く。
「全く、そもそもレグルスがちゃんとしてればなにも言われないのよ!」
まさしく正論である。言い返せないレグルスはアリスに従うしかないのである。2人はそのままずんずんと学園に向けて歩みを進める。
遅れて出てきた2人だったが
「あ〜、ずるーい!」
サーシャが叫ぶと2人を追いかけようと駆け出そうとした
「サーシャさん、ちょっといいですか?」
だが、それはラフィリアの言葉で中断された。振り返るサーシャは小首を傾げながらラフィリアの方へと振り向いた。
「なになに〜?」
陽気なサーシャに対して言おうか言わまいか考え込んだのだろうかラフィリアは押し黙る。だが、すぐに言葉を紡ぎ出した。
「いえ、レグルスさんの契約のことです」
告げられたセリフにサーシャの顔が真剣なものへと変わる。それはいつものサーシャが見せない表情であった。
「どしたの?」
「抜け駆けした私が言うことでは無いのは分かっています。本当なら何も言うつもりはありませんでしたが……」
どこか重くラフィリアにしてはこれまた珍しく歯切れの悪い言葉であった。今から言おうとしている事はそれ程にデリケートな問題であった。
「いいよ、言って。ラフィリアちゃん」
「はい。サーシャさんを攻める積もりはありませんが……もう少し、もう少しだけアリスさんの事も考えて欲しいんです。今のアリスさんを見ていると、昨日もそうでしたが……」
ラフィリアは昔から周りをよく見て行動していた。それは、レグルスを射止めるために自然と身につけたものなのだがそんな彼女だからこそ今のアリスの状況を正しく理解していた。
シャリアに負けてサーシャが勝った。これだけでも彼女にとっては途轍もない心境だろう事はわかる。それに、感情をダイレクトに表現できるサーシャと違ってアリスは途轍もなく不器用で普段の態度からは想像できない程に奥手であった。
そんな彼女が目の前で繰り広げられるサーシャのアピールにどう思っているのか、それを考えるだけで胸が苦しくなってくるのだ。
もちろんラフィリアとしてもサーシャもアリスも同じくらいに大切でかけがえのない親友だと思っている。どちらが契約しても自分の事のように嬉しく思うだろう。それに、サーシャに負けて欲しいと思っているわけでもない、、
だが、それとこれとは別の話である。目の前で見せるアリスの感情の揺れ動きに我慢できなくなったと言えば簡単だった。
それは、贔屓では無くラフィリアの心の叫びでもあった。
「ふーん」
素っ気ない反応が返ってきた。まるで何も分かっていないなぁとばかりに幻滅した視線にも感じられた。そんな態度にラフィリアもまたヒートアップしてしまう。
「サーシャさんはもう少しーー」
「でも手加減して、それってアリスちゃんとの本気の勝負って言えるのかな?」
「そ、それは……」
的確に返されたサーシャの言葉にラフィリアは言葉を詰まらせる。そもそも自分が言うのはお門違いだという思いから言い返す事が出来ない。
しばらくの間沈黙がこの場を支配する。そんな気まずくなった空気を破るようにサーシャが口を開いた。
「そりゃあラフィリアちゃんが私やアリスちゃんの事を大切に思ってるのは分かるよ? でもさ、私なりに考えて行動してるんだよ。アリスちゃんって奥手だし素直になれないし、だからアリスちゃんの気持ちに火をつーー」
「でも負けたくないという思いは人一倍ですか……」
サーシャの言葉を聞くうちに段々とその目的がわかってきた。
「そ! 私がこうやって見せつけていけばアリスちゃんだって火が点いてもっとこう強引に、素直になれるんじゃないかって思ってね。勝っても負けても親友でいたいし後悔したくないじゃん? それに、本気のアリスちゃんと戦いたいもん。でもなかなか上手くいかないよね……ラフィリアちゃんにも今のアリスちゃんを見るのはキツイみたいだし」
「確かに私が出過ぎた真似をしたようです。本当にごめんなさい……アリスさんも直接的に行動に示さないと面倒臭がりのレグルスさん相手ではなかなか難しいですしね」
負けん気が強いアリスの性格をよく知っている2人はお互いに笑みを浮かべた。それと共に目配せしあい溜息を吐いた。
彼女たちが好きになった男は優しく何かあれば頼れて守ってくれる凄い男なのだが、いかんせん面倒臭がりが強すぎるのだ。
自分からアクションを起こす事はなく風のようにゆらゆらと掴み所がない彼であったが、そんな所も追いかけたくなる女の性なのか、それとも惚れた女の弱みなのかわ分からないが。
「お互い面倒な人を好きになりましたね」
「ほんとに面倒だよね! って、私達も面倒面倒ってお兄ちゃんみたいじゃん」
2人して笑い合う。どうやらラフィリアの心配していた事はサーシャもまた思っていた事らしい。陽気に笑う彼女もまたアリスに対して考えて動いていたという事だ。
思う事は同じだと、ラフィリアは迷いながらも言って良かったとホッとする。
「それに、アリスちゃんもシャリアちゃんと何だか作戦を練ってるみたいだし、そろそろ来るかなーって」
「ふふ、アリスちゃんもサーシャちゃんも頑張って下さい。特に今日は泊りがけで外に出るので普段とは違った展開もありそうですしね」
「あ〜、なんかラフィリアちゃんが上からだよ! 全くもう!!」
可愛く頬を膨らませるサーシャと笑うラフィリア。既に先ほどまであった気まずい雰囲気は消えていた。
「ふふふ、まあ私が一番目に契約しましたから。そろそろ行きましょうか」
「ぶぅ〜。ま、早く行こっ! お兄ちゃんが取られちゃうもん」
2人もまたレグルス達を追って学園へと向かっていくのだった。
◇◆◇◆◇
引き締めた表情をした生徒達が森の前で整列していた。今から 行われる実践訓練は彼らが体験したことのない竜との戦いである。
滅竜師としての本職。訓練と同時にここで今後の滅竜師、竜姫としての適性が否応なく理解させられるのだ。
命を懸けた戦いに挫ける者も多い。学園創立以来、必ずといっていいほどにここでリタイアする生徒も出るのだった。
だが、今年の一年生の心の持ちようは一味違う。名無しという竜にも匹敵するほどの者達との遭遇により彼らの精神は鍛えられていた。
「この森には然程つよい竜はいない。ここからは各自自由行動とする」
1人の教師がそう告げた。今回の訓練にあたって、今年は不足の事態が数多く起こっている。色々と議論が重ねられたのだが例年通りの進行に収まった。
護衛を生徒につけるのは彼らの成長につながらないと判断された。見守る護衛達は生徒達の視覚の外からという念の入りようだ。
特に今年はシェイギスとその部下2人が護衛に着くことが大きい。彼ら3人であれば例え襲われた生徒がいたとしても難なく対処可能だとはベルンバッハと教師陣の解であった。
緊張という鎖によって未だ動かぬ生徒達の中から1人の生徒が何の気負いもなく進み出ていった。
「んじゃまあ行きますか」
「ほーい」
続く少女はサーシャであり先頭を行くのはレグルスである。
「あれ? アリスさんは?」
「私はシャリアと行くわ!」
「そう……頑張ってください」
決意を込めた目をしたアリスはラフィリアに頷きで返すとレグルス達とは別の方向へと歩き去っていった。
「レグルス、お互い頑張ろう。と言っても君に心配はいらないだろうがな」
「ロイス様は油断するなよ、と言っています」
続けてレグルスの横に並んだのはロイスとマリーである。此方にも気負いは見られない。お互いが笑みを浮かべて頷きあう。そんな普段通りの遣り取りを見せた後に彼らもまた別れたのだった。
誰かが勧めば心理的ハードルもかなり下がるというものだ。森の中に続々と入っていく生徒達は期待と不安を胸に実践訓練へと突入していった。
期間は森の中心地点で2泊する事と単純なものだ。竜を何体倒せといったノルマもない。リタイアしたいものは見守る護衛に呼びかけるか、森から出れば良いというこれまた単純なものになっている。
初めての実践であれこれと指示を出して良かった試しがないからだ。
森に入るとやはりと言うべきか視界が暗くなる。レグルスとラフィリア、そしてサーシャは腰の高さまで伸びた草を鬱陶しそうに避けながらも中心に向かって歩いて行く。足場は悪く時折あらわれる木々を避けながらだ。
不安定な足場はそれだけで足腰に負担を強いる。
だが、レグルスは言わずもがな、ラフィリアとサーシャも入学してから濃密な時間を過ごしている。この程度で足止めを食らうはずもない。
「虫だけが嫌だよねぇ〜」
「まあな」
「確かに私も苦手です」
嫌そうな声音でラフィリアが同調する。いつの時代も乙女は虫が苦手なのだ。
「ねぇお兄ちゃん、虫除けの滅竜技とか無いの?」
「そんなもんある訳ないだろ? あるとしたらそれは滅竜技じゃなくて滅虫技って名前だろうな」
「ぶぅ〜」
レグルスの返答にぶうたれるサーシャだったが、滅虫技というネーミングにクスクスと笑っている。すると突然にレグルスが聖域を展開し、サーシャが両手に竜具を顕現させて腰を深く落とした。
「なんか来たよ」
「さっそく竜だろうな……」
「私がやるよ!」
「お任せします」
そんな会話と共に視線の奥にある草が掻き分けられた。現れたのは小型の竜である。外見は鳥のような嘴に牙をビッシリと生やした獰猛そうな顔つきだ。
「駆竜か」
「スピードは警戒するべきですが……」
駆竜。それは鳥のような外見をしており鉤爪状になった足で大地を噛み締め疾走する竜である。そのスピードは馬をも追い抜き馬車の天敵である。
だが、ラフィリアの言葉と同時にサーシャが疾駆する。強靭な速力が武器の駆竜さえも間に合わない俊足の踏み込みであった。
長い首をサーシャに向けようとした時、左右からクロスされた蛟が奔り血飛沫を上げて胴体と頭が別れることになった。
「ま、こんなもんだろうな」
レグルスの言葉通り今のラフィリアやサーシャにとって下位に属する竜など相手にもならないのだ。
そこから彼らの歩みは早かった。現れる竜をサーシャが瞬殺し、ラフィリアが遠方から切り刻む。始まりの森に相応しくない強者達によって瞬く間に生息する竜は蹂躙されるのだった。
体から鋭い棘を前方位に生やした棘竜はラフィリアの風の刃で切り裂かれ、硬い外骨格を持つ鱗竜はサーシャの蛟によって捌かれる。
たまに現れる中位竜にも迫る大竜もまた大柄な巨体が高速機動のサーシャによって翻弄され、ラフィリアによってトドメを刺されるといったものだ。
順調に歩みを進めた彼らは何事もなく森の中心部に到着すると支給されたテントを敷設し夕食の準備を始める。
当然つくるのはラフィリアであり、レグルスはテントの中でぐっすりと眠るのであった。そんな事をしているうちに続々と集まってくる生徒たちは距離を取りながらもテントを設営していく。
瞬く間に野営地と化したこの場所では生徒達が竜を倒しただの、活躍しただのと自慢話に興じている。誰もが身につけた技で敵を倒した事に興奮を覚えていた。
森の静けさの中にポツンと広がる明かり。盛り上がる彼らは知りもしない。途轍もない絶望がこの場に迫っている事に。
この場所に向かってくる三体の竜には気付かない。既に周囲に広がっていた教師たちが何の抵抗もできずに肉塊に変わっていた。その後ろにはシェイギスとその部下の2人。
手練れの教師たちが何の抵抗もできず、生徒たちに警告を出す事も出来ない。だが、それは仕方がない事である。
相手は騎士団長であり、冥府の門なのだから。
「ご苦労さん」
「おい、シェイギス。俺らも早くここから離れた方が良いだろう」
「まあ巻き飲まれるのはごめんだしな」
部下である筈の2人がシェイギスに対して使う言葉。だが、シェイギスの感情に変化はない。彼らの瞳に浮かぶ紋章はシェイギスと同じもの。
ようするに、同格の存在というわけだ。
冥府の門の構成員は竜姫を含めて12人である。その内の半数がこの場に来ているという事だった。
そして、音もなく彼らはこの場から消える。残されたのは生徒達だけ。
「ん?」
いつのまにか大地が揺れる。始めに気付いた者は机に置いたコップの水が波紋をうっていた事に疑問を浮かべる。
やがて、その波紋は大きくなると共に大地が揺れる。
「な、なんだ!?」
「地面が揺れてるぞっ!!」
慌てる生徒たちの頭上から途轍もない風が吹き下ろす。
「キャァァ」
そして
グオォオォォッ
天を衝く程の咆哮が響き渡った。




