19話
周囲を木々に囲まれる見慣れた道を1人の少年が歩いていた。
「ヤバイな、これは遅刻かな?」
半目でに歩くレグルスは、ようやく校舎へ向かっていた。既に、もう間も無く授業が始まるといった時間であった。
「はぁ。急いでも間に合いそうにないし、アリスにまた説教されそうだ」
思ったよりも時間を取られてしまったレグルスは、教室に着いた際に起こるであろうアリスの説教に憂鬱な顔を浮かべる。
肩を落とし、ゆっくり歩くレグルスの背は悲壮感に漂っていた。
「ラフィリアの飯が美味いから食べ過ぎたなぁ」
昨日、そして今日も朝食はラフィリアが作った。村でもそうだったが、相変わらずの美味しさに、 レグルスの胃袋は毎度パンパンになるのだった。
ガサガサ
そうして、暫く進んでいると林の方から音と共に人の気配を感じて、レグルスは首を傾げた。
「ん? この時間に人がいるのか? よし、遅刻した奴なら一緒に行くか」
授業が始まろうとしている時間に外を出歩く者など、レグルスのような遅刻か学園関係者だろうと判断した彼は、前者だと願い、1人よりは2人の方がと動き始めた。
「確かこっちだったよなぁ?」
レグルスは林の中に入り、音が聞こえた方向へと進んで行く。すると、ほんの少し歩けば見覚えのある人影が見えた。
「ん? ローズさん?」
レグルスの前には、何かを探すようにキョロキョロと辺りを見回しているローズの姿があった。
彼女は自分を呼ぶ声を聞いて振り返る。
「あれ!? レグルスさんですか、何でここに?」
そう言ったローズは驚いた様子だ。そして、何でこの時間にレグルスがここにいるのかと不思議そうにレグルスを見つめている。
だが、それはレグルスから見ても同じだった。
「それは、ローズさんの方こそ。俺は遅刻ってやつです」
「それもそうですわね。初日から遅刻ですか……」
ローズはレグルスの言葉を探るようにジッと見つめていた。だが、当のレグルスは何だ? といった具合に首を傾げる。
「はぁ、遅刻ですけど……」
その態度を見たローズから探るような目線は無くなり、レグルスにつられて首を傾げる。
2人は暫くその状態で見つめ合っていたのだが、ローズは何度か頷くと納得したような表情を浮かべた。
そのコロコロと変わるローズにレグルスの疑問符が増え続ける。
「そう、そうですわね。授業初日から遅刻ですか?」
ローズはわざとらしく腰に手を置くと、遅刻したと言うレグルスに笑いを含んだ視線を向けた。つい居心地が悪くなったレグルスは頭に手をやるとぽりぽりと掻く。
「面目無いです。っと、ローズさんも遅刻ですか?」
(何か探してた様子だったが、ローズさんも遅刻仲間なら心強いな)
レグルスの心情は、ローズという心強い仲間が増えた事に嬉しさが溢れていた。これなら、道中にすれ違う教師達も多少は和らぐであろうという算段だった。
「そうね……」
「どうしたんですか?」
ローズはその質問に言葉を詰まらせた。何かを言おうとして止まったと表現できるような様子だ。レグルスは不思議に思いながらも尋ねる。
「私はーー」
ローズが意を決して話そうとした時
「生徒の1人を発見した。任務を開始する、散開しろ」
「「「はっ!」」」
そんな言葉と共に素早く数人の人影が周囲に展開して行く。おそらく、その数は4人であった。
「何だ?」
突如として現れた集団にレグルスは目を細めて観察する。周囲の気配を感じ取り、極自然にローズを守れる位置へと移動していた。
そして、最後に現れた男を見てローズは驚愕の声を上げる。
「あれは!? 名無し!」
「おいおい、試験の続きか?」
ローズの声に反応したレグルスも其方を見れば、黒装束に身を包み仮面を付けた男が立っていた。そして、先ほど指示を出した者が目の前にいる男だった。
「ご名答だ。私達は名無しだ。お嬢さん」
男はその場で腰を折るとお辞儀をする。その漆黒の仮面が太陽に照らされて不気味に輝く。
「随分と手の込んだ試験なんだな……って、そんな訳ないか」
目の前の男から放たれる気は、竜騎士達が変装した試験の時に感じたようなものではなく、本気でこちらを襲いに来ていると判断できるものだった。
それを裏付けるように、周囲に散開した名無し達も確実に此方を倒せる位置を見極めており、虎視眈々と見つめている。
「名無し……ですわね」
ローズもこれが偽物では無いと分かり、緊張した表情だ。そして、レグルスに聞こえるように小声で囁いた。
「私が狙いのようです。私が気を引くので、レグルスさんはお逃げください」
「分かりました……と言いたい所なんですが、貴方には借りもありますし、1人だけ残して逃げるなんて出来ませんよ」
レグルスは飄々とした態度を崩さずに返答した。その答えにローズは色めき立つ。
「貴方はまだ生徒になったばかりで、足手まといなのです。お逃げください」
ローズの言葉も納得できる。レグルスはつい最近までは只の村人で、今日から本格的に滅竜師候補として学び始める。いわば、まだ戦いに関しては素人であると考えていた。
ローズも聖域が無ければ竜具を展開する事は出来ないが、彼女は学園でトップの成績を持つ秀才だ。
体術も優れており、目の前の男達にも対抗できるかもしれないと考えていた。そして、男達が聖域を展開すれば、自分も竜具を出す事が出来るのだ。
後輩の彼は、リンガスに連れてこられたと聞いている。確かに一年生の中では優秀かのかもしれない。だが、騎士団長の娘という矜持から彼を巻き込みたくなかった。
そういった考えもあり、レグルスを逃がそうとしていたのだが、レグルスはこの場を去る様子はない。驚きに見つめれば、何と欠伸をしているのではないか。
「な! レグルスさん!!」
ローズが叫ぶが、目の前の男もまた動こうとしていた。
「もう時間だ。やれ」
その合図と共に、四方が輝いた。それは、散開していた名無し達が放った滅竜技である。その威力は軽く学生レベルを超えており、レグルス達が喰らえばひとたまりもない。
何とかレグルスだけでも守ろうと動くローズ。必死に手を伸ばして駆けよるが
「危なーー」
滅竜技は無慈悲に降り注いだ。
ドオォン
轟音と共に砂埃が上がり、辺りを揺らす。その威力は凄まじく、砂埃は天高くまで到達しようとしていた。
カーンカーンカーン
ほぼ同時に王都から鐘の音が聞こえてくる。それを聞き届けた男は1人呟いた。
「始まったか」
王都への襲撃と同時に、校舎にも名無しは襲撃を始めていた。この彼らは別働隊として動いていたのだ。
「やはり、学生レベルではこの程度か」
そう呟いた男。あの攻撃を受ければ自分でも完璧に防ぐ事は難しいのだ。見えていた先では、レグルスとローズも反応出来ていないように男には見えた。
そして、彼の目の前に広がる砂埃が収束していく。
「っ!?」
そこには、ローズを背にし、泰然と立つレグルスの姿があった。あれ程の衝撃を受けてなお、傷1つ付いていない2人に男は驚愕する。
「無傷かっ!? っ何故生きている?」
「さぁな。だが、1つだけ。そんなもんか? 名無しさん」
「っ」
レグルスは手の平を上げて、くいっと曲げる。その目は細められ、表情は不敵に笑っていた。その姿に男は一瞬だけだったが怯えた表情を浮かべる。
ローズの話を聞けば、ついこの間まで生徒では無かったというレグルス。だが、名無しに囲まれ、命を狙われているというのに、彼の表情、仕草、そして、あの攻撃でも無傷だった事を含めて異質だった。
男は得体の知れないものを相手にしているような感覚を覚えていた。
「ふぅ。名無しを舐めるなよ、やれ」
(レグルス……それなりに出来るとは聞いていたが。そんな評価は嘘だったという訳か。コイツは危険だ。確実にここで排除しなければならない)
レグルスの雰囲気に呑まれかけていた男だったが、息を整えると確実な一手を打つべく命令を下す。
そして、ローズもまた呆然とレグルスを見つめていた。
「今のは……一体?」
(あり得ないですわ、いま何が起きたの? 当たる瞬間にレグルスさんが聖域を展開したのは見えた。でも、範囲内に入っていた滅竜技が消えた理由は……)
ローズが目にしたものは、飛んできた滅竜技は避けきれない所まで来ていた。だが、レグルスとローズの僅かな周りに入った滅竜技は消えて行き、入ろうとした技はあっさりと弾かれた。
あの音は弾かれた滅竜技が地面に勢いよく衝突した音だったのだ。
「さぁ、分かりません。でも、まぁじっとしていて下さい。動きたくは無いんですが」
ぽん
「へっ?」
レグルスは笑うと、アリスやサーシャによくする癖が出てしまった。レグルスの手は優しくローズの頭に乗っており呆けた表情をするローズ。
「おっと、すみません」
「いえ、構いませんわ。何時もアリスさん達にしているのでしょう?」
ローズは面白そうにレグルスを見つめると、からかい交じりに笑いかけた。その様子は緊張が抜けたのか自然だ。
だが、そんな事をしている間にも四方から迫る名無し達。言葉で連携を取るわけではないが、絶妙な連携を取り、仕留めるためにレグルス達に襲いかかった。
レグルスの頭上へと飛び降りてきた1人の仮面。その手には剣が握られており、飛び降りる力を利用し、脳天めがけて迫る
「よっと」
レグルスは、流れるように剣の刃に当たらないように、腕を巻きつかせて相手の腕を絡めとる。そして、落ちる力を利用して地面へとそのまま叩きつける。
ドゴッ
その威力は凄まじく、仮面の男はそのまま沈む。
だが、さらに左右から迫る2人の仮面。両方から迫る彼らは縦から、横からと挟み込むように切りつける。
どこに逃れようとも、刃が迫る軌道だったのだが
「ほいよ」
縦に剣を降り、右から迫る仮面の男の懐へと潜り込むと、膝をめり込ませる。そして、沈んだ頭に手をかけると、そこを起点に高く飛び上がる。
ドスッ
その後を追うように、横薙ぎの剣は虚しく通り過ぎていく。
「これは……余りにも」
ローズは余りの事に言葉をもらす。そうしている間にも飛び上がったレグルスは、曲芸染みた回避に呆然とする男を回転しながら確認し、踵をその脳天へと振り下ろした。
ベキッ
頭に衝撃が入り、倒れこむ仮面の男。
そして
「終わりだ」
ゴスッ
レグルスは振り向きざまに拳を振るう。それは、鳩尾に膝が入ったために悶絶する男の顎を掠め、意識を刈り取った。
これまでの流れは僅か数秒の出来事だった。
「で? 次はあんたか? 俺はあんまり働きたくないんだがなぁ。はぁ、帰って寝たい」
服をパンパンと払うレグルスは、面倒そうに呟いた。なんて事のないようにやってのけた今の攻撃は果てしなく難しいものだ。
「お前は……一体何なんだ?」
「それは俺のセリフだ。何が目的なんだ? こっちは忙しいのによ」
そんな驚愕の声に、レグルスは何時もの様子で答えた。
その姿を見たこのチームの指揮官であろう名無しの男は笑みを浮かべる。
「ふふ。ならば、私に勝てばヒントくらいは教えてやろう」
「要らん要らん。俺は戦闘狂じゃねぇ。しっしっ帰れ。ほら」
うんざりした様子のレグルスは、犬を追い払うように手を振るう。半目の表情のレグルスは何とも様になるようであった。
「貴様の幼馴染達が関係しているとしてもか?」
ピク
その言葉にレグルスの動きはピタリと止まる。視線は男に固定されており、今まで見せていた表情はない。
「名無しは俺の周りに手を出すのか?」
「貴様の幼馴染達は優秀らしいな。そこのお嬢さんと同じく、今回の第2目標になっている」
「そうかそうか。俺はアイツらが普通に学園生活を送れたらそれで良かったんだが……」
「陽の当たる世界にいる優秀な者は、我々のような影の者に狙われる。それが、この世界だ」
名無しの言葉には、実感が篭っていた。それは真実であるのかもしれない。太陽と月のように、彼らは相反する存在であり光と影はどちらか一方を侵食していく。
アリス、サーシャ、ラフィリア。そして、ここにいるローズも含めて彼女達は非凡な存在である。狙われるのは必然でもあった。
「なら仕方がないな。面倒だが、俺が影から見守るとしますか」
レグルスの表情は変わらない。
「面白い事を言うな。陰は日を照らす事は出来んぞ? できる事は、光を呑み込むだけだ」
「それでもいいさ。所で竜の尻尾を踏むとどうなるか知ってるか?」
突然にレグルスは問いかけた。その言葉の真意を測りかねた男だったが、この世界に伝わる言葉を思い出した。
「竜の尾を踏む。逆鱗に触れる? どちらかしら」
話を聞いていたローズは言葉に出す。この世界に存在する恐ろしい生物。ひとたび、怒れば激しい災厄を撒き散らす竜に付けられた諺がある《ことわざ》である。
「ああ、竜の尾を踏むだろ? それとも、竜の逆鱗に触れる、なのか?」
「そうだ。俺みたいな怠け者にも、逆鱗、そして尻尾があってな……」
「成る程、不用意に貴様の尾を踏み抜き、更には逆鱗にも触れたと言うわけか?」
「俺は怠けるのが好きだ、それを邪魔されるのは面白くない。だが、俺の周りに手を出す事はそれよりも面白くないんだよ」
「中々に教養のある例えだな」
レグルスが上げた2つの事。名無し達は尻尾を踏み抜き、そして逆鱗に触れていた。仮面の男は感心したようにレグルスを見つめていた。
「怠け者の逆鱗に触れたら大変だぞ? なんちゃって」
「この俺を倒し、力で示せ」
「そうだな……10秒だ」
その呟きは小さく、だがハッキリと男に聞こえた。
「俺を舐めるなよ?」
「さぁ来いよ。そんで、終わりだ」
その言葉に別働隊を任せる程の実力者である男は動く。
「四段強化」
「それは!? まさか、その相手は……レグルスさん、危ないですわ!!」
その滅竜技を正しく理解したローズは声を張り上げる。四段強化とは、言葉通りに己の身体能力を四段強化するものだ。
竜騎士が扱える高難易度の滅竜技であった。
男のスピードはとてつもなく早く、ローズでさえ僅かに捉える事しか出来なかった。残像を残して動く男。
「終わりだ!」
男は腰の剣を引き抜くと、レグルスの元へと一瞬で間合いを詰める。そして、全身全霊の斬撃を放った。ローズであったのなら、瞬きをする間に両断されてしまう程だ。
「原初強化」
迫る剣がレグルスを捉えたかのように見えた。だが、その場からブレるように一瞬で移動したレグルスは、いつのまにか男の横に立っている。
「な!?」
「終わりだ」
ボゴォ
そんな音が聞こえた。
レグルスは男の顔を掴み地面へと叩きつけていた。大きくめり込んだ男は、余りにも早いスピードだったのか、胴体が頭の早さに付いて行けず逆さになっていた。
「え?」
ローズは困惑する。レグルスの目の前に男が現れたと思えば、いつのまにか立場が逆転し、レグルスによって男の頭が地面へと叩きつけられているのだ。
「おい、生きてるだろ?」
レグルスは地面に沈む男へ問いかけた。
「ゴフッ。はぁはぁ」
男は己の肉体を強化していたお陰で何とか意識を保つ事が出来ていた。だが、気を抜けばすぐ様に朦朧としてくる意識を必死に繫ぎ止める。
「約束だ。ヒントを話せ」
「既に……目、的は…達して…いる」
そう呟いた男はそのまま地面へと倒れ込んだ。その際、僅かに見えた仮面の縁が赤く光っていた。




