42話 回ったり跳んだり跳ねたりしてみせろ。 見たいのだ。
昨日の侵入成績。
モブ枯れし、逃走に移ろうとしたところで背中に雷壺が命中し、死亡。
アンバサの雷壺痛すぎ!!
お互いに卓球初心者ということで、とりあえずラリーが続くようひたすら打ち合いを始めた。
少しでも長く続けるため、打ちやすい緩やかな放物線を描く球を意識して、ラケットを振るう。
しかし、途中からヒロトの動きは明らかに精彩を欠いていた。
僕も球を追うのに必死で動きに無駄が多いんだけど、弾道の予測なんて軽々とこなしそうなヒロトの反応がやけに鈍いのだ。
どうしたんだろう?
僕が飛んだり跳ねたりしてるときが一番キレがない。
体調が良くないのかなと思い、ヒロトの顔を見ながら球を打ち返す。
短いながら男性の視線に晒され続けた経験が僕に気づかせた。
ヒロトが僕の体を見ていることに。
控えめだけど、胸や太ももに視線が移っているのが分かる。
他の男性だと最初は僕の奇抜な色の髪に驚きはするものの、すぐに肢体を値踏みするような不快な視線を送ってくる。
男性の本能なので、一概に彼らを責められない。
僕もいまだにクラスメイトの女の子を彼らと同じ視線で見なかったかというと否定できないからだ。
その筆頭が加奈子ちゃんだけども。
色欲というのは人類全体にかけられた『呪い』なのだ。
どれだけ知性を獲得しても生き物である以上、子孫を残すため、『本能』が人が獣に過ぎないことを自覚させる。
そういう類のものだ。
ヒロトだって健康な男の子だ。
たとえ、まがいものの女の子の僕でも気になってしまうのだろう。
見た目だけは文句なしの美少女なのだから。
知らない男性は怖いけど、ヒロトならちっとも不快じゃないし、笑って許せる。
むしろ僕の体を極力見ないように視線を外そうとしてくれているのが、いじらしくてかわいいとさえ思えた。
ヒロトのこんな一面を発見するなんて女の子になるのも悪くない。
彼を手玉にとるなんて生まれて初めての状況に余裕すら出てきた。
運動音痴の僕でも徐々に球についていけるようになる。
僕とは逆にヒロトは集中力が持続しなくなってきたのだろう、何回目かのラリーの際に弾道がブレた。
なんとか拾えそうな球だったので横っ飛びにステップしてラケットを伸ばす。
無理な体勢だったがラケットに球が命中した。
しかし同時に僕の胸元で何かがはじける音がした。
赤い実はじけた。
なんて言葉があるけど、それとは別種の物理的な感覚を伴う音だった。
まず、胸の谷間を支えていたものがなくなり、重みが増す。
何かから解放された乳房がステップに合わせて上下に揺れた。
姿勢を正し、唾を飲み込んでおそるおそる胸元の中心を撫でると中心部にあるはずの部品が消失していた。
留め金が外れ、ブラのカップが分離して左右にぷらりと宙に浮いている。
直後、シャツとお腹の隙間から小さな部品がかつんと音を立てて向かいの床に転がった。
ブラのホックだ。
拾い上げたヒロトがこれは何だろうという目で眺めている。
最近胸が成長してると思ってたけど、まさかブラが壊れるレベルだったなんて!
嘘だろお気に入りのだったのに
。
夏美が『フロントホックは胸が盛れるよー』なんて言ってたから選んだんだけど、耳を貸すんじゃなかった!
ああああ、それよりヒロトそれ見ないで!
匂いも嗅がないで!
というか何でポケットにしまおうとしてるの!
ゴミじゃないよ!修理できるかもしれないんだから
「ヒロト!それ僕のだから返して!」
「千秋?うおっ!?」
ヒロトの手からホックをひったくった。
「すまん、それ何だったんだ?」
素直に教えると思う!?
でも教えないと……今すぐ帰ろうって言えないぞ。
ノーブラは多分辛い。
「壊れちゃった……」
「は?」
「ブラのホック壊れちゃった。」
「お、おう なんというかお気の毒としか言えないんだが……」
「トイレで脱いでくる。このままだと目立つから。」
「目立つって?」
ヒロトが僕の胸に目をやる。
シャツの両脇の部分にブラのカップが移動していて浮いてしまっている。
模様が見えるぐらいに。
見られるの不快じゃないけど恥ずかしいものは恥ずかしいよ。
ヒロトに慌てて胸を隠し、涙目で僕はトイレに小走りで向かった。
最近2人で出かけるとこういう災難にばかり会ってる気がする。
もし、神様というのがこの世にいるのなら、そいつはきっと捻くれた最低野郎だと思う。
トイレの個室に入りブラジャーを脱ぐとあまりに落ち着かないことに気づいた。
女の子になった当初身につけることに抵抗があったのに、いざなくなってみれば頼もしい存在だったことに気づく。
男の子の頃と同じぐらい胸が小さければ困りはしなかっただろうな。
そのままヒロトと遊ぶのを続行できたのに。
だが、僕のサイズでは一歩進むごとに、おっぱいがたゆんと揺れるのだ。
大股に歩くと、乳首が擦れて痛い。
ノーブラだとシャツとカーディガンでは厚みが足りずおっぱいの輪郭が浮上している。
ヒロトはともかく胸の形を他人に見られたくない。
ほんと、自らの境遇に泣きたくなってくる。
待っていたヒロトと合流すると家に帰らないかと提案する。
ノーブラのまま乳を揺らして歩けるほど僕に忍耐力はない。
牧場の乳牛ではないのだから。
「帰るのは構わないが、そのまま千秋の家に遊びに行ってもいいか?」
「うん、いいよ。ごめんね僕のせいでお出かけフイにしちゃって。」
「その、まあ……下着が壊れるなんて予測できなかったんだからしょうがないだろう。
また、遊びに行こうぜ。」
そういうわけで家までの道すがら、ヒロトの背中に張り付いて歩いた。
時々足を止めた背中に胸がぶつかるなんてハプニングがあって、そのたびに真っ赤っかになってお互い平謝りした。
僕達の関係が友達同士である以前に男女なんだなって思い知らされるのである。
それとも男性的には女の子の胸と接触するのは好ましいことなのかな?
まさか、本人に確かめることもできず悶々としながら帰ることになった。
帰宅すると家の中はもぬけの殻だった。
両親も夏美も出かけており、夕方まで戻らないとスマホに連絡が入っている。
ヒロトをリビングに残して、早速自室へ。
カーディガンとシャツを脱いで、タンスから新しいブラを選ぶ。
両親も妹も不在。
今日、僕はヒロトと2人きりなんだ。
そんなこと男の子の頃からいくらだってあった。
しかし、今は事情が異なるのだ。
『あのね千秋、ヒロトだってスケベな男の子なんだから気軽に体を許したりしないように
今のアンタは誰が見たって美少女なのよ。』
加奈子ちゃんの言葉が蘇る。
卓球してる時僕の体見てたもんね……
もしかしてヒロト、僕の体に興味あったり……?
……
…………えっと、何かあった時のためにかわいいのにしようかな。
映画の主人公もかわいいの着けてたし
その方が男性も喜ぶのだろう。
数あるブラの中から最もお気に入りのものを装着した。
パンツもお揃いのものに履きかえる。
念のためだよ?念のため。
悪いのは僕に大人の恋愛を意識させた映画だ。
僕は悪くない。
「ヒロト、お待たせ。」
「ああ。どうする?畑の手伝いでもするか?」
「ううん、そろそろお昼時だし、何か作るよ。」
「なら、手伝おう。日頃から料理は俺の仕事だしな。」
「あはは、僕の方が初心者だから逆に手伝いをすることになりそうだね。」
エプロンを着けて、ポニーテールに結ぶべく、髪をかき上げた。
ヒロトが息を飲んで首筋に注目しているのが分かる。
僕が自意識過剰でなければだけど。
やばいよやばいよ、2人きりということもあって緊張してきた。
料理そのものは誰が作っても失敗しないカレーになった。
包丁が1本しかないため、ヒロトが包丁を握り、僕はピーラーを持った。
並んでじゃがいもの皮を剥く。
こうしてカレーの作りの共同作業なんて中学の林間学校を思い出す。
「ヒロトとカレーを作るなんて、中学の林間学校以来だよね。」
「いつもと同じ材料を使っているはずなのに外で食うカレーがやけにうまく感じるのは何でなんだろうな?」
「わかるわかる♪何でだろうね。やっぱりみんなで協力して作ったから美味しく感じるのかな?」
平静を装い昔話に花を咲かせ、できたカレーを差し向かいで食べる。
正直緊張で味はさっぱり分からなかった。
ヒロトはうまいうまいとしきりに唸っていたので、きっと美味しかったのだろう。
食後、片づけを済ませ、他にすることもなかったのでソファに肩を並べて座り、テレビのバラエティ番組を見ていた。
時々番組の内容に茶々を入れるだけで、基本的に言葉は少ない。
一緒に料理をして、食後はまったりテレビを観るなんて、僕達まるで夫婦みたい。
ヒロトの横顔を見る。
精悍な横顔にほんとイケメンだなあとしみじみと思う。
高校生にもなったのにどうして彼女作らないんだろう?
こうしていてくれるのは実は僕のことが……
僕の視線に気づいたヒロトがこちらを向く。
テレビを見ていた時と違って真剣な眼差しになっている。
「千秋!」
「きゃっ!?」
何かに気づいたようなヒロトは僕の肩を掴むとソファに押し倒して、覆い被さった。
反動でスカートがめくれ、太ももが露出し、ヒロトの両膝にがっちりと挟まれる。
僕の頭はソファの肘かけを枕にしており、長い髪が重力にしたがって四方八方に乱れた。
ええ!?どうしていきなり!?心の準備できてないよ!?
これから僕――――されちゃうの?
急な展開に思考が追いつかない。
何が彼にスイッチを入れてしまったのか。
ヒロトも映画を観てて興奮してたのかな?
いいの?僕なんかで。
僕は……いいよ。
大切な友達だから。
たとえ一時的な捌け口にされたって。
でも、は、はじめてだから優しくしてほしいな。
できればシャワーも浴びたい。
今日は体も動かしたし。
「いいか千秋、そのまま動くな。」
ヒロトにしては珍しい命令口調に素直にうなずく。
彼らしくない有無を言わせぬ物言いに胸が高鳴った。
まずは、キスからだよね……?
僕は目を閉じて、彼の唇が近づくのを待った。
心臓はフルマラソンをした後かっていうぐらい激しく鼓動を刻んでいる。
肩を掴む彼の指先の力強さに全身がぞくぞくした。
「あ……」
僕の口から出たと思えない程、官能的な声が漏れる。
これからするであろう行為に期待で脳が蕩けそうだ。
きっと今の僕は人にはお見せできない表情になっているだろう。
「ヒロトぉ……僕、苦しいよ」
狂おしいほど切なくなってヒロトの背中にぎゅっと手を回した。
「まだだ、もう少し待て」
だというのにヒロトは僕を焦らしてくる。
こちらからアプローチしてほしいのかもしれない。
我慢できなくなった僕は目を閉じたままヒロトの唇があるであろう方向にゆっくりと首を起こした。
「よし、行ったな。もう大丈夫だ千秋。こんな季節にスズメバチが入ってくるとは、窓を閉めておくべきだった。」
え?スズメバチ?
今の状況から予想もつかない言葉がヒロトから出てきた。
スズメバチといえば毎年必ず死者の出る極めて危険な昆虫だ。
この時期の気温からすると活動している可能性は低い。
だが、稀に動き出す個体がいてもおかしくはないだろう。
たまたまその内の1匹が部屋に入ったってだけなのだ。
てことは僕を押し倒したのってつまりそういうこと?
一人勝手に盛り上がってしまったことに羞恥心で体が破裂しそうになる。
うわあああ!!僕は親友相手に何を考えていたんだ。
ヒロトになら何をされたっていいなんて自惚れすぎにも程がある。
たかだか映画なんかに影響されすぎだよ。
どれだけ僕は自分の意思ってものが弱いんだ。
そんな僕の心中などおかまいなしに明後日の方向から声がかかった。
「お兄ちゃん達何してるの?」
予定を早く済ませて帰宅していたらしい夏美が驚愕の表情を張り付け、ソファで抱き合う僕達を見ていた。
僕はヒロトとぱちくりと視線を交わす。
首を起こしていた僕達の顔の距離は1センチもない。
「夏美これは誤解なんだ。」
弁明しようとするも下手人は既に窓から脱出しており、証拠に乏しい。
というかこの状況何を説明したところで、夏美は勝手に解釈するだろう。
「アハハ……アタシお邪魔虫だね。失礼しました!ごゆっくりー」
去ろうとする後ろ姿に慌てて声をかけようとしたのだが、既に夏美の姿はなく、玄関のドアが閉まる音がした。
たっぷり3時間ほどかけてから帰宅した夏美の誤解を解くのに、僕は徹夜で懇懇と説き続けたのであった。




