38話 選択授業
綻び刀1本で侵入。
なぜか白に酸吐きもらい、無事死亡。
三春市立南高校には選択授業がある。
美術、音楽、家庭の3種類からひとつ選択することができるのだ。
いずれの科目も中学までは義務教育としてやっていたのだが、高校になると受験科目が膨大に増えるため、1つのみの選択式となっている。
どうせなら苦手意識のないものを選ぼうと思った。
まず、音楽は人前で歌うなんて度胸がないのでNG。
家庭については料理は家でもできるからわざわざ授業でやらなくてもいいかな。
母さんに教わればいいし。
消去法で残る選択肢の美術を選んだ。
黙って黙々と筆を動かすだけなら抵抗感もないし、作品の出来不出来は元々不器用なので諦めている。
加奈子ちゃんも特に異論はないとのことで一緒に授業を受けることができた。
そんなわけで授業の当日。
美大を卒業したばかりの若い女の先生がこれからのことについて説明している。
針金のように細い手足の痩せぎすな人だが、目鼻立ちが整っていて、なかなかの美人な先生だ。
「今日はクロッキーをやります。
モデルを指定したいと思いますが……」
美術の先生が僕達の顔をひとつひとつ選定している。
クロッキーとは短い時間で絵を描く行為のことを指すんだけど、
モデルか。
それなら僕は断然加奈子ちゃんを推すね。
何しろため息のでるようなモデル体型の持ち主だ。
自分の腕前の低さを自覚していてもぜひ描いてみたい。
先生、加奈子ちゃんがオススメですよと視線を送ってみる。
「うん、キミに決めた!」
お、通じたか?
「そこの綺麗な髪と目をしたキミだよ。」
はい?
先生が指を指した先は隣の加奈子ちゃんではなく僕だった。
「僕ですか?」
「うん、ウチが今まで見てきた中で一番の美少女だから。
皆さんも美少女描いた方が楽しいでしょう?キミ、名前は?」
「小原です。」
「小原さんね、じゃあ真ん中のイスに座ってくださいね。
今回は皆さんの自由に描いていいですから。」
あっさり僕がモデルに決まってしまった。
皆に描かれるなんて恥ずかしくしょうがない。
だけど、先生に意見できるだけの勇気は僕にはないのだ。
「せんせーい。提案があるのですが。」
「えーとキミは?」
「武田です。ぜひ小原さんのヌードを描きたいんですが。」
ヌードってあれか?全裸になれってことなのか?
「ヌードクロッキーね。」
皆の期待の視線が僕に集まる。
加奈子ちゃんまで熱っぽい視線を僕に向けないでくれよ。
僕の幼い頃の全裸写真をいっぱい持ってるじゃないか。
「ぜひやりたいところなんですが、最近は何かと外野がうるさくてですね。
下手するとウチの首が飛ぶので却下。」
皆が「えー」と落胆した声を出す。
「ですが、ウチがヌードをする分にはアリらしいんですが需要あります?」
「先生の裸を描くぐらいなら服を着た小原さんの方がいいです。」
「そうですよね……ウチの裸に価値なんてないですね……
さあ、始めましょうか。時間は30分に区切ります。
できた人から壁際に並べていってくださいね。」
床に手をついて落ち込んだ先生は職業意識までは失わず、授業を続行した。
先生の裸なら僕描きたいですよ?
自分がモデルになるよりマシだし。
僕は先生に指示された通りただイスに座って姿勢を維持した。
なのだが、モデルというのは意外に落ち着いていられるものではないらしい。
クラスメイトが次々に声をかけてくる。
「小原さん、こっち向いて。可愛い、可愛いよ~。」
「ネクタイを緩めて、ボタンを一つ外してー。いいね、鎖骨がセクシーだよ。」
「あ、こっちにもお願い。もうちょっと足開いて。そうそう、もう少し、もう少し開いて。」
はいはい、えーと、あ!スカートの中見えちゃうじゃないか!
なんだよもう!からかうなんてヒドイよ。
僕はグラビアアイドルじゃないんだぞ!
無視だ無視。
というもののどこに視線をやればいいやら
あ、加奈子ちゃんと目が合った。
よし、授業が終わるまで彼女をひたすら見つめ続けよう。
どうせ描かれるなら加奈子ちゃんに描いてもらいたい。
「いいなー清水さん。小原さんにモテモテで。」
「千秋をいじめるからよ。お痛が過ぎるようなら私が許さないからね。」
「相思相愛かあ。いいねえ。私もそんな恋人欲しいなー。」
加奈子ちゃんは周りの女の子と会話に花を咲かせているようだ。
他の女の子と仲良くしてるのを眺めるのはちょっとジェラシーを感じる。
僕は友達が少ないからね。
じっとしている内に30分が経過した。
壁際に絵が並べられていく。
わあ、みんなすごくうまい。
胸元や足の部分の線がやたらディティールが細かいことを除けば上出来だ。
これは僕が描く羽目にならなくてよかったな。
確実に酷評される。
クラスメイトの描いた僕の絵を眺めていると加奈子ちゃんの絵を発見した。
短時間で描いたにしては写真と見紛う程精緻な筆使いで描けている。
鉛筆1本でここまでできるものなのか。
しかし、この絵には2人の人物が描かれていた。
1人は今の僕で、もう1人は小柄な少年の絵だ。
まるで姉弟のように寄り添う構図になっている。
男の子だった頃の僕の絵を加奈子ちゃんは描いてくれたのか。
「あれ、清水さん。この男の子は誰?どことなく小原さんに似てるけど。」
武田さんが当然とも言える疑問を呈した。
「さあ?なんとなく描きたかっただけよ。誰でもないわ。」
「それにしては実物を見て描いたのかってぐらいだよ。この男の子もすごく可愛いね。清水さんすごいよ。」
確かに素晴らしい技術だと思う。
だが、技術とは関係のないところで、僕は加奈子ちゃんの絵に感動していた。
自身ですら忘れかけてきている元の僕の姿。
加奈子ちゃんの記憶の中に男の子の僕が色褪せずしっかりと根付いていることが嬉しかったのだ。
「加奈子ちゃん。」
「何?」
「ありがとう。僕を忘れないでいてくれて。」
「忘れるわけないじゃない。今の千秋も昔の千秋も、私は大好きなんだから。」
「良かったらこの絵をまた今度1枚描いてくれないかな?」
「いいわよ。千秋がヌードを描かせてくれるなら。」
ヌードか……恥ずかしいけど加奈子ちゃんならいいかな。
こんな僕でも大好きだと言ってくれたんだ。
一緒にお風呂に入った仲だしね。
了承しようとしたところで彼女は僕を遮った。
「馬鹿ね冗談よ。今度千秋の部屋に遊びに行った時にいくらでも描いてあげるわよ。
代わりに私の絵も描くこと。千秋の絵なら額に入れて飾るから。」
「あはは、額に入れられる出来にはならないと思うけど、それくらいお安い御用だよ。」
加奈子ちゃんが示してくれる好意が嬉しくて、美術の授業は僕にとって最高の選択だったと確信することができたのであった。




