35話 ちょっと、いや、かなり無理のある強引な吊り橋効果
通学路にて。
「おはよー加奈子ちゃん。」
「おはよ千秋。休み明けなのにずいぶんお疲れの様子ね。」
「朝からいろいろあってね。その、見た?」
「あ?ああ~あれね?テレビでおじさ……」
「ストップ!ストップ!話題振っといてなんだけど、それ封印でお願い!恥ずかしいから!僕、お外に出られなくなっちゃう!」
どうやら我が家の恥部を見られてしまったらしい、ご近所への口封じのために加奈子ちゃんに掴みかかる。
が、地力が全く及ばないため軽々といなされる。身長は伸びても僕の非力は健在だ。
「どうどう。おじさんの気持ちも分からなくもないわよ。娘が2人とも美少女なら尚更ね。私だって千秋みたいな美少女が娘だったら叫ぶわよ。」
「加奈子ちゃんだって美少女じゃないか。僕はどうせ女の子になるなら見た目だけでも加奈子ちゃんみたいにかっこよくなりたかったよ。」
「くーーっ!嬉しいこと言ってくれるじゃないの。千秋に褒められるなんて朝からいいことありそうな気がするわ。」
「大げさだなあ。思ったことを言っただけなのに。」
「それが本気だから嬉しいんじゃない。さ、学校行くわよ。」
そう言って加奈子ちゃんは僕に手を伸ばしてきた。
?つい反射的に手の平を差し出すと加奈子ちゃんは僕の手に指を絡ませる。
少し驚きはするものの手を握り返した。
余分な贅肉などないしなやかな加奈子ちゃんの指はひんやりしていて気持ちいい。
僕が女の子になってから敷居が低くなったのか加奈子ちゃんは気軽にスキンシップをするようになった。
教室の中で女子達が特に理由もなくハグしあったりお互いの髪を梳かしたり、そんな光景を目にすることがあったなあ。
男同士では絶対やらない過剰なスキンシップを人目を憚らずにやっていて、気まずくて目を逸らしたことがあったっけ?
親しい女の子同士特有の距離感ってやつなのだろう。
加奈子ちゃんは昔から交友範囲が広いけど、僕やヒロトに構っていることが多く、同性同士でも浅い付き合いに留めている。
今まで我慢していただけで、気兼ねなく付き合える同性の友達が欲しかったのかもしれない。
ならば、僕で代役が務まるかは甚だ疑問だけど、日頃からお世話になっているので応えてあげたいなって思う。
男としての気概を捨ててでも加奈子ちゃんのことは好きだからだ。
中学の頃手を繋いで歩くなんてまるで姉弟みたいで気恥かしかったが、今は身長が釣り合っているからちゃんとした友達同士に見えるだろう。
それにしても加奈子ちゃん僕に気を遣いすぎじゃないか?
角を曲がって、横断歩道を渡るたびに体の位置を車道側に入れ替えてくる。
なんだかデート中の彼女をさりげなく危険から遠ざける紳士的な態度をとる男性みたいだ。
あれって露骨だとキザで嫌味に見えてしまうんだけど、かっこいい系の美少女の加奈子ちゃんの場合あまりに自然なんだよね。
歩くペースも僕に合わせてくれているし、加奈子ちゃんの彼女さんになってしまったような錯覚を覚える。
「千秋!」
「わ!っと」
ぼんやり考え事に耽っていたことがよくなかったらしい。背後から接近する気配に気づかなかった。
僕のいた場所を音もなく走ってきた自転車の学生が通りすぎていく。
加奈子ちゃんが咄嗟に手首をひいて僕の体を抱いたので怪我はない。
自転車の学生はよっぽど急いでいたのだろう、既にその背中は小さくなっていた。
「危ないわね。文句を言ってやりたいところだけど逃げられちゃったか。千秋、怪我はなかった?」
「大丈夫……ありがとう。」
「私の千秋を傷つけるヤツは絶対に許さないんだから。」
抱きしめられて首筋に埋まっていた頭を起こすと、
鼻と鼻が触れそうなぐらいに顔が近い。
「私のって……?」
「そのまんまの意味よ。千秋は私のものなんだから。」
凛々しく整った顔が間近で見つめてくる。
普段はキリッとした瞳が今は優しげな色を湛えて僕の瞳孔を覗く。
視線が交差した瞬間、体の奥のどこかでトクンと音が鳴った。
背中に回っている腕と密着した体にお互いの体温が混ざり合って心拍数が加速する。
どうしよう、肩と膝に力が入らない。
動悸が手足を切り離してどこかに置き去りにしたみたいだ。
ずっとこうして抱き合っていたいなんて友達として不謹慎な考えが頭をよぎる。
加奈子ちゃんの腕に力がこもり、彼女の胸板に僕の胸が潰されて、形を変える。
クッションになっていた僕の胸の体積が減少してお互いの血液の流れが感じられるようになった。
僕の心臓の音 聴かれちゃうよ。
同時に君だけじゃないよとでもいうように加奈子ちゃんの鼓動も制服の生地を通して聴こえてきた。
僕と同じぐらい早く脈うっていて、自分のものなのか彼女のものなのか段々と区別がつかなってくる。
いつの間にか加奈子ちゃんは背中に回していた腕の片方をほどいて、指先で僕の顎のラインを撫でた。
ただ、それだけのことなのに背筋に甘い痺れが走って息ができなくなり、吐息が漏れてしまう。
「あ……」
ほんの少し背の高い加奈子ちゃんが僕の顎の先端をつまんでくいと乱暴ともソフトともいえる力加減で持ち上げた。
長い睫毛に縁取られた瞼を閉じて唇を僕のものにゆっくりと近づけてくる。
映画やドラマなんかで当たり前のように繰り広げられる展開を記憶の中から引っ張り出して当てはめる。
こ、これって今からキスをするってことだよね!?
女の子って友達同士でもその……キ、キスをするものなの!?
でも僕加奈子ちゃんのものだし……
疑問と混乱が脳内を交錯するが、全身が溶けてしまいそうなぐらい気持ちよかったのでもうそのままキスしちゃってもいいよねと思い始めていた。
僕も瞳を閉じて加奈子ちゃんが唇を重ねてくるのを待った。
「お2人さん何してるの?」
「「!?」」
麻痺していた意識が急激に現実に引き戻されて、バッと加奈子ちゃんの体から離れる。
声をかけてきたのはクラスメイトの女の子だった。
ショックで心臓がパージして飛び出しそうなほど踊り狂っている。
人目のある往来で僕達は何をしようとしていたんだ……!?
「おおお、おはよう武田さん!」
「おはよー、何してたの?2人とも恋人同士みたいで、見てるこっちがドキドキしちゃったよ。」
「あはははは、そうかな?そんなことないよね?加奈子ちゃん。僕が自転車に轢かれそうになったのを助けてくれただけだよ。」
「……そうね。 いいところだったのに……」
「じゃ、あたしは朝練行ってくるからまた教室で。」
武田さんは小走りに去って行った。
加奈子ちゃんは再び僕の手をぎゅっと握る。
最初ひんやりしていたそれは熱く汗ばんでいた。
園芸部の当番を終えて教室に入る頃には気持ちも落ち着いてきた。
女の子になってから絶望に落ち込んだり、ヒロトと加奈子ちゃんにドキドキさせられたり、
このところいろんなことが起こるから気分の波の差が激しいよ。
それはともかく1限から英語の小テストがあったっけ。
空き時間は単語帳をめくって過ごそうとしたところで肩を叩かれた。
えーと、噂好きの赤井さんと岩地さんだ。
「ねえねえ小原さん。通学路で清水さんと抱き合ってたって本当?」
「ヒュー妬けるねえ。さすが清水さんだぜ。」
「それって武田さんがしゃべったの?」
「そーよ。抱き合う姿はまるで、誓いのキスをする王子様とお姫様みたいだったってもっぱら評判よ。」
「ソレ、根も葉もない噂だから。誤解を解いておいてよ。加奈子ちゃんは自転車に轢かれそうになった僕を助けてくれてたんだって。武田さんにも説明したんだけどな……」
キスされそうになった件については僕と加奈子ちゃんの名誉のためにも黙っておくことにする。
友達同士の女の子特有のスキンシップでも恥ずかしいものは恥ずかしいよね。
「千秋の言った通りよ。まあ、千秋が許してくれるなら私が王子様になってもいいんだけどね。」
「つまり、清水さんはOKってこと?」
「三春高校一番の美少女カップル誕生の瞬間!?」
岩地さんの発言に周囲の女子達までキャーキャー盛り上がりだした。
女の子って恋愛に話を広げるの本当に好きだなあ。
噂も75日っていうし、加奈子ちゃんとの関係に言及されるのは別に構わない。
この件に関しては僕は放置を決め込むことにした。
1限の授業終了後。
トイレを済ませた僕は教室に戻ろうとしていた。
いまだに女子トイレで女の子とすれ違う時は場違いな所に踏み込んだ気がして、罪悪感を覚えてしまう。
足早に女子トイレを去ろうとしたところで大きな体にぶつかった。
「わぷっ!ごめんなさい。」
「こちらこそすまない、余所見してた……って千秋か。」
「あ、ヒロトおはよう。」
「おう。元気そうだな。」
「そう?これでも朝から大変だったんだよ。もうヘトヘト。夏美も父さんも困ったもんだよ。」
「はは、何があったか知らんが愚痴が言えるなら元気な証拠だろ。っとそうだったちょうどいい。千秋、頼みたいことがあるんだが。」
ヒロトは制服のポケットを漁って、中からカードのようなものを取り出した。
「うん、ヒロトの頼みならお安い御用だよ。」
「ならよかった。映画のペア無料券を親にもらったんだが、恋愛映画でな。俺は興味ないし、一緒に観る相手もいないから加奈子や夏美ちゃんにでもあげてやってくれないか?」
お、以前に観た恋愛映画の同じ原作者の作品だ。僕も興味あるんだよねコレ。
あれから、この作者さんの原作小説は一通り集めたのだ。新しい鉢植え買うのを我慢して。
最初観た映画こそありがちなストーリーだなんて思ってたけど、原作は映画がカットしてしまった重要な部分をしっかり描写していてすごく面白かったんだよね。
今回の映画は前作の反省点をしっかり克服して素晴らしい出来だと聞いている。ぜひ観てみたい。
「ね、僕も恋愛映画好きなんだけど、ヒロトがよかったら今度の日曜日一緒に観に行かない?僕も観たかった映画なんだよ。」
「千秋が恋愛映画?」
「う……やっぱりヘンかな?」
「いや、そんなことはないぞ。そういうのが好きなヤツだって陸上部にいるしな。俺なんかと一緒に観ても退屈しないか?つまらなかったら寝てしまうかもしれん。」
「大丈夫!今回の出来は最高の評価らしいからヒロトだってきっとハマるよ!それにね、僕はヒロトだからいいんだよ。」
だって、夏美や加奈子ちゃんと一緒に観たら後で僕が女の子っぽいなんてからかわれそうだし。
ヒロトは思うところがあっても言葉にしないだけの寛容さがあるからね。
「っ!? 千秋がいいなら別に構わんが……」
「やった!今日帰ったら連絡するね。」
「それにヒロトと2人で遊びに行くなんて久しぶりじゃないか。楽しみにしておくね♪」
「そうか、なら予定は空けておこう。」
ヒロトと2人で遊びに行くなんて中学以来かも。
映画を観た後は窮屈な女の子の世界から抜け出して男の子らしく羽目を外したっていいだろう。
僕はヒロトといて会話なんてなくても退屈することはないのだから。




