33話 お兄ちゃんは女の子の日
旅行から帰ってきた翌日、私は自室で悶々としていた。
悩みの元は千秋だ。
旅行最終日の朝ヒロトと風呂場で鉢合わせしたのだろう、そこから千秋はたまに『女』の顔をするようになった。
恋する少女のような可憐な表情で。
私は動揺した。
千秋は精神まで女の子になったわけじゃない。そこが可愛いところでもある。
だから男性に対して恋愛感情など芽生えるはずはないとたかをくくっていた。
ヒロトと何があったのかは分からない。
ヒロトは黙秘を決め込んだし、千秋にもそれとなく聞いてみたのだが、教えてはくれなかった。
時折ヒロトを見てはぽーっとした表情をする千秋を見るたびに胸が苦しくなる。
千秋に『女』を自覚させたヒロトに対して私は生まれて初めて嫉妬心というものを抱いた。
あの顔を私に向けさせたい、私だけのものにしたい。
心も、体も繋がっていたい。
ヒロトじゃなくて私を見てよ。
もはや友情という範疇で治まらなくなった私の感情はこれを恋だと断言した。
これまで千秋をかわいい弟分だと思っていたけど、本当は誤魔化していただけだ。
ヒロトは恋愛に関しては奥手だし、友情にはとことん義理堅い性格だ。
女の子になった千秋を今でも同性の親友として一線を引いて相手しているのはこれまでの観察で分かっていた。
まだ十分にチャンスはある。今からでも遅くはない。私もアプローチをすべきだと決心していた。
最終日に腕を絡ませてくっついて歩いたり、小さいけど胸を押し当ててやった時、
千秋は初心な男の子のようにどぎまぎとした表情をしてくれた。
決して私の魅力が通じていないわけではないのだ。
千秋の男の子の部分は確かに残っている。
私は最終的には千秋が千秋でさえあれば、心も体も男の子だろうと女の子だろうとどちらでもよいと思っている。
私が千秋を愛し、千秋も私を愛してくれれば。
流石に私が千秋の子を産めなくなってしまったことは残念ではあるけれど、女の子の姿が最高に可愛いのでプラマイゼロだ。
いや、以前テレビの特集で将来、同性同士でも子供を作れるようになるというのを見たことがある。
希望は捨てないでおこう。
もし実現するのなら、千秋を私の遺伝子で孕ませるのも一興。
厳密には理論は違うのだが、気持ちの問題だ。
そうと決まれば方針は決まった。
千秋に嫌がられない範囲を見極めながら彼女の男の子の部分を刺激して、私に振り向いてもらうのだ。
ちょうどやる気になれなかった学校の課題がある。
これをダシにして千秋と接近するチャンスだ。
私はスマホを操作して千秋にメッセージアプリで連絡を入れる。
画面を睨みつけたまま反応をひたすら待ち続けた。
千秋はすぐに連絡を返してくれた。
一緒に課題をやろうという提案に快諾してくれた。
ヒロトも誘うか一応訊いておく。
恋のライバルなので排除したかったが、ヒロトも私の親友なのだ、正々堂々と勝負したい。
無論、ヒロトが恋愛感情を持つべきか迷っているようなら、出し抜いてやるが。
密かに闘志を燃やして千秋からの返信を見ると私の心臓は跳ねあがった。
『今日は加奈子ちゃんと2人きりがいいんだけど駄目かな?』
これは誘っているのか?私を異性として意識してくれているのだろうか?
何はともあれ、この幸運に感謝したかった。
だが、浮かれていることが千秋に伝わらないようクールに対処とするとしよう。
『構わないけど、ヒロトがいない分、数学はあまりアテにしないこと。』
さて、これからは女の戦いだ、私は勝負下着と勝負服を着るため、シンプルな普段着を脱ぎ捨てた。
歩きやすいパンツスタイルの多い私だが、いざというとき勝負下着が効果を発揮するよう、滅多にはくことのないミニのスカートを選択する。
私は胸が小さいので、小ささが強調されないよう緩めのチュニックに袖を通す。
全体的に暖色系のカラーで固め、明るい印象を与えるようにした。
暖色は膨張色のため、人からは太って見えてしまう欠点があるが、私は体が細めなので丁度良いバランスになる。
出るとこ出てないのをうまく誤魔化してくれるはずだ。
着替えた私は髪を丁寧に梳かし、薄く化粧をする。
よし、普段は男っぽいなんて言われることもあるけど、ばっちり女の子に見えるようになったんじゃない?
このコーデで千秋を仕留める。
化粧水で濡れた手で頬をはたいて私は気合を入れた。
千秋の家に到着し、お部屋に上がる。
おしゃれをした私に千秋は目を丸くしていた。
一瞬私のむき出しの太ももに視線をやったことに気づいてほっとした。
まだ、ちゃんと男の子の部分残ってるじゃない。
焦ってもしょうがない、じわじわ責めていこう。
床にクッションを敷き、小さなテーブルを挟んで座り込む。
問題集、ノート、プリント、筆記用具とテーブルに広げていく。
早速黙々と問題を解きはじめる。
たまにノートから顔を上げて千秋の顔を見る。
千秋が可愛いのはいつものことだが、恋愛感情ありきで見るその顔は一味違った。
胸が締め付けられるような思いがして、今すぐシャープペンシルを放り出し、抱きしめたくなる衝動にかられた。
そのままベッドにまで連れ込み押し倒してキスがしたい。
自分が千秋限定でこれほど性欲が強いとは我ながら驚きだった。
確実に千秋と結ばれるために、今は決して実行には移さないが。
頭の中で己の性欲と格闘しながら勉強すること1時間。
千秋の顔色を窺がっていたら、何やらもじもじしはじめた。
テーブルの下の彼女の内股がせわしなく動いている。
「えっと、僕トイレ行ってくるね。」
「ん。」
思えば今日の千秋は頻繁にトイレに行く。
腹痛にしてはどこか態度が異なる。
千秋の様子を自分に照らし合わせてみて気づいた。
まあ、千秋が分かり易すぎるのもある。
男の子のままでは見られなかったであろう、もじもじ千秋の可愛さといったらない。
ナプキンの替え時を悟って眉をハの字にした時のキュートな困り顔。
トイレから戻って来た時のバレてないかな?バレてないよね?と挙動不審な仕草をする千秋。
はい。バレております。
初めての女の子の日に戸惑う千秋をもっと見ていたかったけど、ここは好感度稼ぎのためにも相談にのってあげたほうがいいだろう。
「ねえ、千秋。頭が痛いとか、めまいがするとかお腹が痛いとかない?」
「へ?だ、大丈夫だよ。うん、健康そのものさ。」
そりゃ健康でしょうね。女の子として。
「ならいいけど。辛かったら休憩しながらやりましょ。私にも気持ち分かるからね。」
私が何を言いたいのか察したらしい。
俯いて顔を赤くした。
心の中でため息を漏らす。
なんて可愛いのだろう。
ヒロトのヤツは今までこんな可愛い生き物によく我慢してこられたものだ。
その自制心は親友として認めなくもない。
そうかヒロトか。
ヒロトに知られたくないから誘わなかったのか。
千秋にそこまで意識させてしまうヒロトに嫉妬心が首をもたげてくる。
だが、同時に千秋が私を女として信頼してくれているという事実に胸が温かくなる。
恋は障害が多いほど燃え上がるという格言がある。
ドラマや少女漫画でそんな展開に何を馬鹿なと鼻で笑っていたのだが、
同じ立場に置かれて違うことが分かった。
相手が他者に奪われる可能性があるからなりふり構っていられないだけなのだ。
想いが成就した後で思い返した時に、燃えるなんて美化して言っているだけだ。
結局は勝者の余裕か。
上等じゃない。
「千秋は気づいてなかったでしょうけど、私も心配させたことがあったわよ。今度は私の番なんだからの遠慮なく相談して。」
「僕は軽い方みたいだから、その……血が出るぐらいで不調ってことはないかな。」
「羨ましいわね。私なんて頭痛と機嫌の悪さで誰かに当たりそうな時だってあるのに。」
「そんなことないよ加奈子ちゃんいつでも僕に優しかったし。」
「そう?嬉しいこと言ってくれるじゃないの。」
元男の子に生理を告白させる行為、アリだと思います。
千秋の恥じらう姿はたまらく愛おしい。それに私が生理の時の鎮痛剤だったのだよキミは。
私の劣情をひっきりなしに刺激してくる。
悪戯心で消しゴムを千秋の足元の方に落とす。
「ゴメン、消しゴム落としちゃったわ。」
「いいよ。僕が取るから。」
千秋がテーブルの下を覗きこんだタイミングで私は女の子座りしていた足を少し崩す。
ミニスカートの中身が見えるか見えないかぐらいの間隔で。
……見えてしまっても構わないか、というか見て。
消しゴムを拾って私に渡したときにはリンゴのように真っ赤になっていた。
少年の頃の面影を残した表情に思わずキュンときた。
我ながら大胆な真似をしてしまったと思うが、ばっちり見てしまったであろう千秋も同罪だと思いこむことにする。
千秋へのアプローチとしては下策もいいところだけど、私が楽しいからいいのだ。
さて、真面目にいちゃつくためにもまずは課題を終わらせないとね。
気合を入れてノートにペンを走らせる。
「あ、加奈子ちゃん。この問題分からないんだけどいいかな?」
「ん、どれどれ?」
教科書の問題を指さしてきた。
対面では逆さになって読めないので千秋の隣に座る。
ついでに肩をぴったりくっつけるのも忘れない。
先程まで私が解いていた問題だ、千秋のノートに途中式を書いていく。
「その公式使って解くんだった。ありがとう加奈子ちゃん。」
「お礼を言われるようなことじゃないわよ。それとここの問題はね……」
説明を続けようとしたところで部屋のドアがノックされた。
「お姉ちゃん入ってもいい?」
「いいよ。どうぞ。」
部屋に入ってきたのは夏美ちゃんだった。既にお姉ちゃんと呼ばれているのか……
少年だった頃の千秋をより女の子よりに調整した感じで、
くりっとした瞳は造形こそ同じであるもののはつらつとしていて性格までは似ていない兄妹だと分かる。
千秋が大人しい子犬なら、夏美ちゃんは遊び盛りの子猫といったところだ。
「夏美ちゃん久しぶりじゃない。お姉さん達に何か用かな?」
「勉強してるって聞いたから私も混ぜてもらおうと思って。」
「僕はいいよ。加奈子ちゃんが構わなければ。」
「反対する理由なんてないわね。」
本当は2人きりの時間を邪魔されるのは嫌だったが、将を射んとすればまずは馬を射よとも言う。
家族の好感度を上げるのは必要不可欠だ。
それに夏美ちゃんも好きだしね。妹分として。
「加奈子先輩のことアタシ応援してますから」
クッションに腰かける時、夏美ちゃんが私にこっそり耳打ちしてきた。
さすが、本物の同性。私が千秋に恋慕していることは看破されているようだ。
馬が将を裏切ってる状況は素直にありがたい。
「加奈子先輩、お姉ちゃんが告白されてフったって話本当ですか?」
「こら夏美勉強の邪魔しちゃダメだろ。」
「いいわよ多少の雑談くらい。あと1時間もすれば終わる量じゃない。」
「むう、加奈子ちゃんがいいなら。でも、僕はその件に関しては黙秘するよ。」
千秋は頬を膨らませてノートに向き直った。拗ねた顔も私にとってはご馳走だ。
「本当よ。しつこかったから私が仲裁したけどね。」
「カッコいい人でした?」
「まあ、容姿は世間一般的に言えばだけど。勉強も運動もできて家も金持ちってやつ。性格以外はスペック高いと思うわ。」
「えー、お姉ちゃんもったいないじゃない。絞るだけ絞って飽きたら捨てちゃえばいいのに。」
夏美ちゃんが恵那先輩みたいな発言を冗談めかして言った。
「いくらなんでもヒドすぎるでしょ。夏美そんなことしてないよね?」
「そういえば気になるわね。夏美ちゃん彼氏いるの?」
「いないですよー。お姉ちゃんみたいないじり甲斐のある男の子がいればですけど。」
「それはなかなか見つかりそうにないわね……」
「加奈子ちゃんそれどういう意味さ?」
「千秋は可愛いってことよ。」
「いじられキャラは卒業したいんだけど。はあ……夏美の将来の彼氏が気の毒になってくるよ。ちょっとトイレ行ってくる。」
「お兄ちゃん今日女の子の日だもんね。」
「それ、わざわざ言うこと!?」
「あはは、ごゆっくり~」
千秋はぷんすかとご立腹の様子で部屋を出て行った。
可愛いなあもう。
今日私は千秋に何回可愛いって思った?
「可愛いですよね。うちのお姉ちゃん。」
「そうね。食べちゃいたいぐらいよ。」
「あはっ♪加奈子先輩ならいいですよ。いつでも食べ頃ですから大変美味しゅうございますよ。」
「そのためには千秋に振り向いてもらわないとね。無理矢理なんて私の趣味じゃない。」
「アタシ、応援してますよ。加奈子先輩が昔からお姉ちゃんが好きなこと知ってましたもん。」
「そんなに私分かりやすい?」
「男の人だったら気づきませんよ。お姉ちゃんなら尚更気づかないですね。」
「千秋は鈍いからね。もっと私を意識させるように動くつもりよ。
性別が千秋と同じになってしまったけど、夏美ちゃんは私のこと非生産的な恋愛だとか思ってないわけ?」
「思いませんよ。加奈子先輩のお姉ちゃんへの愛情にいちゃもんつけられるほど好きな人に出会ったことないですし。
それに、恋してる加奈子先輩すごく素敵です!」
人に恋路を応援されるって満更でもないわね。
夏美ちゃんの期待に応えよう。他ならぬ自分のために。
戻ってきたもじもじ千秋を生温かい目で迎える夏美ちゃんを横目に私は決意するのであった。




