27話 初日中編 苦渋の選択(禁止)
ペンションの中は玄関の時点で、素人目にも分かるほど豪華な調度品が飾られていた。
かといって成金趣味な派手すぎるものではなく、空間に調和した落ち着いたデザインのもので、一目で主人の趣味の良さを感じられるものだった。
玄関の受け付けカウンターには僕のおばあちゃんの早苗が帳簿に目を通していた。
おじいちゃんが現役時代に秘書を勤めていたため、経理に明るい人なんだそうだ。
背筋がしゃんとしていて、帳簿を見る理知的な視線は年齢による衰えを感じさせなかった。
僕達の姿に気づいたおばあちゃんは優しく微笑みかけてきた。
「あら、いらっしゃい千秋。美人になったわね。おばあちゃん嬉しいわ。」
おじいちゃんといい、おばあちゃんといい、ほんと動じないな。
性別が染色体レベルで変わる人間なんて世界で僕だけだろうに。
「今、お茶を淹れますからね。まずは旅の疲れを癒してらっしゃいな。」
「ありがとう、おばあちゃん。こちらの2人は僕の友達のヒロトと、加奈子ちゃんだよ。3日間よろしくお願いします。」
「お世話になります。関川弘人です。力仕事なら手伝えるかと思いますので、どうぞ遠慮なく言ってください。」
「始めまして、清水加奈子です。千秋にはいつもお世話になってます。私にも手伝えることがあれば何でも申しつけてください。」
「礼儀正しい子達ね。流石、千秋のお友達だわ。私は千秋の祖母の早苗です。お手伝いをお願いして申し訳ないけれど、掃除が終わったらゆっくりしていってね。」
おばあちゃんがお茶を淹れている間、荷物を部屋に下ろし、宿泊客が食事をするフロアの席に着いた。
椅子に腰かけるとおじいちゃんはおもむろに話を切り出してきた。
「で、どっちが千秋のコレなんじゃ?」
「コレ?」
おじいちゃんが小指を立てるジェスチャーをする。
ええと、どういうこと?
「勿論千秋の恋人じゃよ。どちらも中々の美丈夫と美少女ときた。今の千秋じゃとどっちを好いておるのかと思っての。……それとも両方かの?」
ヒロトと加奈子ちゃんがガタッと身を乗り出した。
抗議したい気持ちはよく分かる。ここは僕が訂正しなければ。
「もう!おじいちゃん!2人とも僕の大切な親友なんだよ。そういうのじゃないって。」
ね!?と2人に視線を送る。
同意してもらえるかと思ったんだけど、2人ともなんだかしょんぼりしていた。
「カカ、冗談じゃよ。意地悪な質問をして悪かった。」
「千秋をからかっては駄目ですよ。善吉さん。まだその体に悩んでいるのよね?千秋には自分を見つめ直す時間を与えてあげるべきよ。」
おばあちゃんはティーカップを並べながらおじいちゃんを窘めた。
「ありがとう、おばあちゃん。女の子になったこと正直まだ整理がついてなくて。慣れてはきたけど。それで、僕達は何をすればいいのかな?」
「そうじゃな。まずは掃除の分担を決めていくとするか。」
そうして僕達の役割が決まった。
僕は館内共有スペースの窓拭きで、ヒロトは床の清掃、加奈子ちゃんはキッチン、おじいちゃんとおばあちゃんは客室を掃除することになった。
「おっと、そうじゃった。千秋には掃除をする前にこれに着替えてもらいたくての。」
おじいちゃんが奥からハンガーにかかっている衣類を持ってきた。
その衣類の正体は……
「これってメイド服ってやつじゃ……」
「千秋が遊びに来ると聞いてから至急オーダーメイドで作らせたのじゃよ。メイドだけにな。50万かかった。」
おじいちゃんはダジャレ付きでさらりと言ってのけた。
メイド服を観察してみる。費用がかかっているだけに仕立ての素晴らしさが伺える。
黒を基調として白いエプロンやフリルであしらった漫画やアニメなんかでよく見かけるデザインだ。
だが、僕の知るデザインと異なる点は胸元が空いていることと、スカートが膝上までの丈しかないミニであることだろう。
そりゃミニのスカートだって履いたことだってある。
けど、それで掃除をするのは間違っている気がする。
メイド服というのは本来作業着のはずだ。何故作業着から機能性を一部排除してしまっているのか。
こんなの屈んだりしたら見えてしまうんじゃないか?色々と。
胸元が空いているのは喜びはしたかもしれない。……僕が着るのでなければ。
「これを僕が着るの?どうして?やだよ恥ずかしい。」
皆が普段通りの服で掃除する中、僕だけメイド服を着るなんてどんな罰ゲームだよ。
「瀟洒なお屋敷で働く女中がメイド服を着るのは常識じゃろ?加奈子さんはお客様だから着てもらう訳にもいかん。
ついでに言えば儂が見たいからじゃよ。それに、お前さん達も見たいじゃろ?」
おじいちゃんはヒロトと加奈子ちゃんを指して言った。
僕はこういう時誰に対しても怒ってくれそうな加奈子ちゃんに助けを求めて顔を見た。
加奈子ちゃんは私に任せなさいという風にうなずいた。
頼りになるなあ加奈子ちゃん。
「私も賛成です。是非、可愛いメイド服を着た可愛い千秋を見たいと思っています。後で撮影もいいですよね?」
加奈子ちゃんは裏切った。訳が分からない。メイド服というのはここまで人の心を狂わせるアイテムなのか!?
ならばヒロトはどうだ?
「ぐ……!」
ヒロトは苦渋の選択を強いられているような葛藤した表情で震えている。
僕はここまで危機感の迫った様子のヒロトをケンカの時ですら見たことがない。
「これを着てくれたら、千秋に山の穴場を教えてやってもいいんじゃがのう……」
キノコや山菜採りをする人にとって穴場の情報は決して誰にも漏らすことのない秘密だ。
未熟な人はその場所を秘密にすることで遭難してしまうこともあるらしいけど。
しかし、山菜やキノコが貴重な収入源となる人にとっては生命線と言ってもいい。国産のものをいくらお金を出してでも食べたい人は確実にいるのだ。
そんな貴重な穴場を僕に教えてくれるのだ。生半可なものでは取引にすらならないだろう。
おじいちゃんは指定された服を着て掃除するだけという破格の条件で取引が成立すると言っている。
「それに、そこには気温が低かったせいかタラの芽が旬の状態でとれる。タケノコもざっくざくじゃ。今夜の夕飯で2人の喜ぶ顔が見たいじゃろ……?」
海千山千の厳しいビジネスの世界で生き抜いてきたおじいちゃんに、取引で僕が敵うはずなどなかったのだ。
部屋に戻ってメイド服に袖を通す。
これまでの女装経験で着る方法がなんとなく分かってしまう自分が恨めしい。
それと、生地の質にお金の糸目はつけなかったのだろう。これまでに着たことがないレベルの素晴らしい着心地に最高に腹が立った。
掃除で邪魔になるので髪はポニーテールに結ってまとめた。
そして、ヘッドドレスを付けて部屋を出た。
あれ?ヘッドドレスって何のために付けるんだろう?
まあ、いっか。ここまで着てしまったのだ。オプションがあったところで何が変わろうものかね。
メイド服姿を渋々お披露目した僕はみんなの感嘆の声に迎えられた。
こんなことで感嘆しないで欲しかったけど。
「すまない千秋……。」
ヒロトは僕を見て、先程おじいちゃんを止める言葉が見つからなかったことに罪悪感で膝をついている。
「儂の見たて通り大したもんじゃ。な?婆さん。」
「そうですね。よく似合っていますよ。童話の絵本に出てくる妖精の女の子みたいで子供の頃を思い出したわ。」
「千秋可愛いわ!家に持ち帰って私だけのメイドさんにしたいぐらいよ!」
「わぷっ」
加奈子ちゃんは僕に思いっきり抱きついてきた。
ちょっと!?当たってるんですけど!?色々と!
「加奈子ちゃん苦しいよ……。」
「あ!ごめんね千秋。我慢できなくて。」
加奈子ちゃんは僕の体を離した。ふわっと加奈子ちゃんの髪から女の子のいい匂いがした。苦しかったけど名残惜しい気持ちになる。
「ね、千秋撮影してもいいかな?」
「ダメ。」
こんな僕の姿を後世に残すのは偲びない。
「どうしても?」
「どうしてもだよ。今ここで着て、やがて忘れられるならノーカンと考えることにしたけど、後で写真なんか見せられたら立ち直れない。」
「そんなこと言わずに、私の待ち受けにするだけだからさ。流出はさせない。絶対に。」
「待ち受けにされるなんて余計に恥ずかしいじゃないか。いくら加奈子ちゃんの頼みでもこれだけは聞けないよ。」
「そう……そこまでイヤだったのね。ごめんなさい。残念だけど私の目に焼き付けるだけに留めておくわ。」
「できれば忘れて欲しいかな!すぐに!」
……気を取り直し、おじいちゃんの号令で掃除は始まった。
雑巾で窓ふきを始めたんだけど、天井が高めなせいか、窓を全て拭くには背伸びしても届かない部分がある。
ちょっとした高さなんだけど、椅子の上に乗るのはよくないし、小さな脚立か、踏み台はないだろうか。
そう言えばおじいちゃんが薪割りしてた場所に足のついた踏み台があったはずだ。
踏み台を持ってくるとちょうどヒロトが僕の近くでモップがけをしている。
動きに無駄がなく堅実なモップがけだ。
僕も負けじと気合を入れて窓拭きを開始する。
踏み台のおかげで窓の全域に手が届くようになったことに安堵する。
これなら僕でも難なくできそうだ。
しかし、踏み台の足は長年風雨にさらされていたことで芯が腐ってしまっていたらしい。
僕が窓枠にまで手を伸ばそうとしたところ、重心が偏ったことで、台の足はボキリッと悲鳴を上げて折れた。
僕はバランスを崩して倒れこんでしまう。
恐怖で全身逆立った。
一瞬、ヒロトがモップを手放して、ベースを目指す野球選手のように僕の方に飛び込んでくるのが目に映る。
僕が床に叩きつけられる寸前、がっちりとした力強い腕が僕の体を包むのが分かった。
さらに僕の後頭部を掌で庇ってくれる。
飛び込んできた勢いのまま僕達は廊下を転がった。
そして、ヒロトの体が壁にぶつかったことで回転は止まった。
「いてて、怪我はないか?千秋。」
「ありがとう。僕は大丈夫だよ。」
目を開けると僕がヒロトに覆い被さる形になっていた。
ヒロトの厚い胸板が僕の体重を軽々と支えていて頼もしい。
息を吸うと男の子の匂いがして、頭がぼーっしてきた。
後頭部をカバーしている手が今は髪を優しく撫でていて、気持ちが良くなってくる。
抱き合ったまま僕は、落ち着くまでずっとこうしていたいなと思ってヒロトの胸に顔を埋めた。
「千秋、そろそろ離れてくれるか?……その、胸元が見えているし、当たってる……」
「わわ!?ごめんね。えっとヒロト、頭の手を離してくれるかな!?」
「す、すまん!」
ヒロトが手を離してから僕は立ち上がろうとして、馬乗りの姿勢になる。
足に力を入れようとしたところで、
「アンタ達何やってるの?」
派手な物音に気付いて駆け付けたらしい加奈子ちゃんが僕らを見ていた。
「窓を拭いてたら踏み台の足が折れちゃって、ヒロトが助けてくれたんだ。」
「そういうことね。2人とも怪我はなかった?…………ヒロトは私とそこ代わりなさいよ。」
「……? うん。怪我はないよ。」
「それより千秋!そろそろ離れてくれ!今の体勢色々とマズイから!」
あ、まだ馬乗りになったままだった。僕のお尻がヒロトの腰に密着していることで抜け出せないのだろう。
僕は足に力を入れるため、お尻を身じろぎさせ、ヒロトの胸に手をついて何度かお尻を往復させてからゆっくり立ち上がる。
僕が離れると、ヒロトは猫科の猛獣のように勢いよく飛びあがり、前かがみの姿勢ながら、凄まじい速度で走り去って行った。
「悪い!俺は用事を思い出したから!!」
ヒロトを見送った加奈子ちゃんが
「男って難儀な生き物ね。」
と何やら意味深な発言をしたが、僕には加奈子ちゃんの言葉の意味がさっぱり分からなかった。




