23話 お姉様!正気に戻ったのですね!
加奈子ちゃんは先輩2人を始末して、土下座させたことで満足した。
「さ、千秋。お昼にしましょ。」
加奈子ちゃんは僕の手を優しく握って歩き始めた。
「どこか行きたいところある?」
「うんとね。お昼作って来たんだけど。隣の公園で食べない?天気もいいし。」
「へぇ、料理をしたことなかった千秋が珍しいわね。じゃ、行こっか。」
図書館を出てすぐ傍の公園にやってきた。
レジャーシートを持ってきているのでそのまま原っぱに敷き、腰を下ろす。
僕が作ってきたのは誰がやっても失敗することはないであろう。おにぎりだ。
鮭フレークを混ぜ込んだものとわかめご飯を握ったものの2種類を用意した。
「うん、美味しそうにできてるじゃない。」
「あはは、さすがに料理したことのない僕でもおにぎりぐらいは握れるよ。」
昨夜、恥を忍んで母さんに教わったことは秘密である。
「あ、そういえば水筒持ってくるの忘れてた……」
「図書館の自動販売機で買ってきてあげるわ。千秋はそこで待ってなさい。何か希望はある?」
「えっとじゃあ、緑茶で。」
「オッケー。行ってくるわ。」
私、清水加奈子は千秋と日曜日の1日を過ごせることに朝から浮かれ気味だった。
私自身短気でがさつな性格であることは十分自覚している。
だからといって今さらお淑やかになれといっても無理な話だけど。
ともかく男勝りなところのある私は、自分と正反対の性質をもつ千秋に、幼少の頃から惹かれるものを感じていた。
一人っ子で、弟か妹が欲しかった私にとって、同い年とはいえ庇護欲をそそられる対象だったのだ。
千秋を私のかわいい弟分にするのに手間は惜しまなかった。
彼がいじめられていれば率先して助けに向かったし、一緒に寝て、食べて、遊んで、思い出を共有したことは数知れない。
私が千秋に並みならぬ興味を持つのは私の女としての母性のなせる業か、姉弟愛か、孫を目に入れても痛くない程の祖母のような愛なのか、友情なのか、判別はつかなかったが、
これだけは言える。
千秋可愛い。
高校1年になった春。千秋は女の子になるという離れ技をしてのけた。
本人が望んで女の子になったわけではないのだが。
元々可愛かった姿をさらに可愛くするなんて反則だろう。
1粒で2度おいしいという言葉があるけれど、千秋はまさにそれを体現している。
私は初めて千秋の女の子の姿を見た時のことを回想する。
神秘的な美しさを誇る水色の髪、アクマリンのような透き通った瞳を始めて見た時、私は魂を奪われた。
そんな現実のものとは思えない美しい少女が愛くるしく、あどけない表情で私を見つめ返してくれるのだ。胸が苦しくてしょうがなかった。
あくまで欲を言えばだけど、女の子になった時、身長は伸びないでいて欲しかった。
抱きしめた時、顔が胸元に来るのがちょうどいいポジションだと思っているからだ。
でも胸の大きさは100点満点の合格だ。
胸の小さな私にとってそれは憧れであり、弾力は未知の領域だからだ。
千秋が女の子になってしまったと暴露したあの日に揉んだ胸の感触を私は生涯忘れないだろう。
あの体に接近した時、漂わせ始めた甘い体臭は離れるのが惜しくなる程だった。
私は千秋の幼馴染という境遇を与えてくれた両親に深く感謝した。
千秋が私の目に届く範囲で生活しているのだ。これに勝る喜びがあるだろうか?いや無い。
ともかく今日はそんな可愛い可愛い可愛い、可愛い、可愛い、千秋を独り占めにできるのである。
否が応にも私の気分は盛り上がろうというものだ。
さらに、私のためにお弁当まで作ってきてくれた。
あの子はいったい私をどこまでときめかせれば気が済むのだろう。
そう思いを募らせながら自動販売機の緑茶を購入する。
……お金がもったいないからという理由で1本だけ購入したと言えば回し飲みで間接キスができるだろうか?
千秋と飲む緑茶は例え大量生産品のうちの一本でも甘露に等しいだろう。
いいやいけない、私は千秋の頼れる姉でいたいのだ。
私の一時の欲望は満たせるだろうが、困惑させてしまうかもしれない。
千秋の優しさにつけこんで私の薄汚い欲望で汚すようなことはしたくない。
私はお茶を2本分購入して。千秋の待つ原っぱに戻った。
千秋はレジャーシートの上に女の子座りして虚空を見つめている。
視線は空を舞うモンシロチョウを追っているようだ。
誰かが形容し始めた妖精さんという表現は的確だ。
深緑の草原が、彩りの豊かな野の花が、青い空が、暖かな陽光が、全てが千秋を祝福して幻想的な世界を作り出していた。
しかし、彼女は近づいただけで壊れてしまうような脆弱な幻などではない。
私は今これから彼女と会話し、触れ合って時間を共有することができるのだ。
私は口角が釣り上がってしまうのを懸命に抑え、頼れる姉貴分の自信に満ちた表情で覆い隠しながら千秋の隣に座った。
「加奈子ちゃんおかえり。」
「ただいま、ほらお茶よ。」
「ありがとう。加奈子ちゃん。」
千秋が無邪気な笑顔で微笑みかけてくる。
私は抱きしめたいと彷徨う腕を必死に制御してランチボックスのおにぎりに手を伸ばした。
千秋もおにぎりを手にとって顔を綻ばせ、小さな口でおにぎりを頬張っている。
食事という行為ですら可愛いと思わせるとはなんて罪な生き物だろう。
私がこの悪意に満ちた社会から彼女を守らなければ。
千秋の笑顔は私の決意を今まで以上に強固なものへと変えたのであった。
おにぎりは作り手の性格を反映したような優しい味だった。
形は若干不揃いなものの、丁寧に握ったことが分かる握り方だった。強すぎると米が潰れてしまい味わいを損ねる。かといって弱すぎるとボロボロと崩れてしまう。
千秋はこのバランスをしっかり整えて、絶妙な食感を維持したおにぎりを作ってくれていた。
薄めの味付けもお米の味をゆっくりと味あわせてくれる。彼女の気遣いが嬉しかった。
私がおにぎりに舌鼓を打っていると千秋が私の顔をじっと見つめてきた。
「加奈子ちゃん、ほっぺたにお米がついてるよ。」
いつの間にか私の顔についていた米粒をつまんでそのまま口に運んだ。
まるで仲睦まじい恋人がするようなやりとりに顔が赤くなっているのが分かった。
幸福感で思わずため息が出そうになる。
しかし幸せな時間ほどすぐに終わってしまうもので、4つあったおにぎりは私達の胃に瞬く間に収まった。
私達は片づけをして、公園を後にした。
「ね、この後千秋の家に遊びに行ってもいい?」
「うん。いいよ。」
「じゃ、私家で着替えてから向かうわね。」
私は自宅に戻り、制服をハンガーにかけ、素早く私服に着替えた。
千秋と過ごす時間、1秒たりとも無駄にしてなるものか。
私は千秋の家へ早足で歩いた。
玄関のインターフォンを鳴らすと、「はーい」と可愛らしい声が聞こえてきて、ドアの隙間から千秋が顔を覗かせた。
私が想像以上に早く来たことに驚いているのだろう。目を丸くしている。
薄いピンク色のチェック柄のシャツに真っ赤なミニのフレアスカートを履いている。制服のスカートよりも短いため露出が増していて、スカートから伸びる白い太ももがとてもまぶしかった。
「その格好、可愛いじゃない。千秋によく似合ってる。」
私の率直な感想に千秋ははにかんで頬をピンクに染めた。
家の中にお邪魔してリビングのおじさんとおばさんに挨拶する。
夏美ちゃんは外出しているそうだ。
「ね、千秋の部屋に行ってもいい?」
受験勉強の際によく部屋にはお邪魔したが、それ以降は入っていない。
あれからどんな部屋になっているのか興味があった。
千秋は数秒の間、複雑な表情で悩んだものの、覚悟を決めたような表情で了承した。
部屋に通されて私は千秋の逡巡の理由を察した。
花の植木鉢がいくつか置いてあることを除けば少し前まで男の子の部屋だったのがパステルカラーの色彩に彩られていた。
カーテンがフリルやレースのついた乙女なものに変わっている。
家具はまるで童話に出てくるようなアンティークだ。
「この部屋の有様を見てよ。これをどう思う?」
「すごく……おばさんの趣味です……」
「ほんと母さんには困ったもんだよ。」
小動物のように頬を膨らませてむくれるのがとても可愛い。
「そうね、これはいくらなんでもやりすぎだわ。部屋の主に許可すらとらないなんてね。」
「ま、部屋は今さらどうにもなんないし……飲み物入れてくるから加奈子ちゃんはくつろいでて。」
千秋は私にクッションを差し出した後、部屋を退出し、階段を下っていった。
私は改めて部屋を見回してみる。
私の視界には千秋が毎日眠っているベッドが目に映った。
おもむろに近づいて顔を沈める。
あの脳がとろけそうな甘い香りが鼻腔をくすぐった。
千秋に包まれているような錯覚がして私の体から力が抜けた。
階段を上る音が聞こえてくる。
いけない……いくらなんでもこんなところを見られたら嫌われてしまうだろう。
私は理性を総動員してベッドから体を引き剥がした。
部屋に戻ってきた千秋はティーカップにポットのお湯を注ぎインスタントの紅茶を淹れた。
お茶請けは家庭菜園で採ってきたものだろう。
イチゴがお皿に盛ってあった。
ささやかな2人のお茶会が始まる。
千秋は練乳のチューブを絞ってイチゴにつけて食べている。
「練乳なんてつけて食べてたら太るわよ?」
「僕の育てたイチゴはすっぱいよ。こうでもしないと。」
千秋は私に練乳を勧めてくれたがさすがに断ることにした。
味はともかく千秋が精魂を込めて育てたものだ。
そのまま味わうのが正しいと思った。
確かにすっぱいが紅茶を口に含めば酸味をマイルドに抑えてくれるので問題なかった。
千秋は次のイチゴに練乳をかけようとしてテーブルの上のチューブに手を伸ばす。が、はずみでポットに肘が当たってしまいテーブルから床へ転がった。
動作がどっちつかずになってしまった千秋はチューブまで床に落としてしまう。
チューブを拾ってあげようと手を伸ばしたが、千秋もそのつもりだったようで私と手が重なった。
「ご、ごめん!」
千秋が咄嗟に手をひっこめた。
急に手をひっこめられたことで私は自分の手の勢いを殺しきれず、チューブを手の平で潰してしまった。
手の加速と私の体重によってチューブはその中身を千秋の顔に向けてぶちまけた。
白濁のドロリとした液体が勢いよくビュッと千秋の顔にかかった後、間もなく重力に従ってとろっと垂れ始めた。
千秋はきょとんとした表情のまま固まっている。
手の甲にもかかっていたのだろう。それに気づいた千秋はおもむろに手の甲に唇を近づけて小さな赤い舌で舐めとった。
あどけない顔で淫靡な行為に耽る少女のような表情に私の血管は一瞬で限界を迎えた。
鼻腔から一筋の血液が流れた。
「わ!加奈子ちゃん血が出てるっ!」
それに気づいた千秋が自分の痴態など気づいていないかのように慌ててティッシュをとり、私の鼻を拭う。
「千秋、私のことはいいからその顔拭きなさい。」
片手のティッシュで自分の鼻を抑えながら、もう片方の手で近くにあったウエットティッシュを取り出して、千秋の顔を拭う。
「うん、綺麗になった。」
千秋の顔がいささか刺激の強すぎる状態から回復したことで、私の血管の興奮も治まってきたようだ。
「汚しちゃってごめんね千秋。」
「ううん、僕こそごめん。なんだかお互い謝ってばかりだね。」
私達は顔を見合わせて笑った。
その後は取り留めのない話が続いた。毎日のように繰り返される些細な話題だった。
いつの間にか千秋はこっくりこっくりと首を揺らして船を漕いでいた。
私は千秋を起こさないようお姫様抱っこでベッドに運んで寝かせた。
規則正しく小さな寝息を立てている顔をしばらく見ていると私もだんだんと眠気を催してきた。
ほんの少し、少しだけだからと言い訳をして私は千秋の隣に体を横たえ、腕を絡めた。
千秋の顔が、体が、すぐ傍にある。体温が、鼓動が私の体に伝わってくる。
至福の時間だった。
しかし、ベッドだけでなく本人の体からも漂う甘い香りに、私はより強烈な眠気を覚えてしまい、抵抗もできずに深い眠りに落ちていった。
息子、いや娘か。の部屋から会話の声が聞こえなくなっていたことに気づいた千秋の母夕子は、我が子の部屋をノックした。
反応がないので部屋のドアノブをひねると中で娘とその親友の少女が仲睦まじくベッドで眠っていた。
2人が幼少の頃一緒の布団でよく眠っていたことを思い出し、夕子はほほえましい気持ちに浸った。
夕子はアイテムボックス(膨大な容量と時間を固定して物の鮮度を保つ効果有り)から一眼レフのカメラを取り出し、というのはまったくの嘘で、(チートなアイテムボックスあったらいいなと思っている。)
……いざというときのために備えて首に下げている一眼レフカメラを、安らかな寝息をたてて眠る少女達に向けてシャッターを切った。
会心の1枚が撮影できたことに満足した夕子は少女達が風邪をひかぬよう毛布をかぶせ、部屋を去った。




