13話 ついヤっちゃううっかりさんたち
先輩の意識を手刀でたやすく刈り取った加奈子ちゃんはふーっと息をはき、舌を出して微笑んだ。
「殺っちゃった♪てへ♪」
先輩、白眼むいちゃってるよ。
その様は残念な先輩をより残念に演出している。
加奈子ちゃんはしゃがんでおーいと声をかけながら先輩の頬を叩いていた。
……しばらくすると先輩の瞳孔に光が灯った。
良かった。加奈子ちゃんを殺人犯にするわけにはいかないのだ。
「すみません先輩。つい手が出てしまいまして。」
「いいのよ。私がどうかしてたわ。」
「こちらこそごめんなさい。」
まるで憑き物が落ちたかのように先輩が謝意を示した。
加奈子ちゃんの手刀が壊れたブラウン管テレビを直す要領で作用したのだろう。
先輩は立ち上がると、自己紹介を始めた。
「申し遅れましたけど、私はこの園芸部の部長の吉野桐花と申しますの。3年生よ。どうぞよしなに。」
優雅な仕草が実に様になっている。
最初からそうしていれば僕はあっさりと騙されていたに違いない。
僕達も吉野先輩に自己紹介をした。
「千秋さんと加奈子さんね。二人ともいいお名前だわ。」
この名前よく女の子と間違われるから苦手だったんだけどなあ。
母さんと父さんが悩みに悩みぬいて考えてくれた名前だから嫌いとは言えないけど。
「僕もひどいことを言ってしまってすみませんでした。」
「そうね、謝罪の意思があるのなら、千秋ちゃんのおっぱいを揉ませてくれないかしら。それで許してあげるわ。あ、お尻でも可よ。」
憑き物が速攻で帰宅したようだ。
直ったブラウン管テレビもすぐにまた壊れるものだし。
この人転んでもタダで起きないな!
心配して損した!
加奈子ちゃんが某世紀末救世主のように無表情でコキリ、コキリと手指を鳴らした。
彼女の暴力を体験したばかりの先輩の表情が恐怖にひきつる。
「先輩、退部の条件ですけど言葉によるセクハラも含めることにします。」
「ひどいわ!言葉狩りよ!表現の自由に対する弾圧よ!」
「人の尊厳を傷つける言葉は自由ではないんです。わがまま勝手と言うんです。」
「そんな!言葉責めまで奪われたら私、千秋さんとこれからどう接すればよいというの!」
「普通に接してください。」
加奈子ちゃんと先輩の言い争いをよそに僕は気を取り直して温室内を眺めた。
結構広い温室なのに非常に手入れが行き届いている。
定番のチューリップ、スズラン、アネモネ、ゼラニウム、まだ開花はしていないけれどアヤメ、コチョウラン。男の子のロマンデンドロビウム。イチゴまである。
病気の花はパッと見たところひとつもない。
この人変態だけど花に対する愛情や知識は確かなのかも。
「そう言えばこの部は変態一人なんですか?」
「響きが似ているからといってそれはひどくないかしら!?……2年生が3人いるわ。3年生は私一人だけれど。」
なるほど、部の存続条件は部員6名だ。僕達を合わせれば確かに条件を満たすことができる。
「その2年生は今日はどうしたんですか?」
「1年生の男の子たちと合コンに行ってくると言っていなくなったわよ。……あのアバズレビッチどもめ……私も誘いなさいよ……受験生には潤いが必要なのよ……」
何やら怨念のこもった言葉をつぶやいているけど聞かなかったことにしよう。
先輩の闇に触れないだけの優しさが僕にはあった。
おぞましすぎて触れたくもなかったが。
「それじゃこの辺で失礼しますね。明日からの活動よろしくお願いします。」
そうして僕と加奈子ちゃんは部室を後にした。
スマホを確認するとちょうどお昼時だ。
ヒロトから連絡が来ている。入部手続きが終わったので一緒に帰らないかとある。
僕達はヒロトと合流して校門を出た。
「せっかくの半ドンだしどこかでお昼にしない?」
加奈子ちゃんが提案した。
このまま真っすぐ家に帰るのも味気ないので同意する。
「うん、いいよ。どこにする?」
「ジュオンのフードコートにしちゃいましょ。」
僕もヒロトも特に異論はなかったのでジュオンに寄っていくことになった。
同じくジュオンでお昼を過ごそうとする学生のグループがちらほらいるものの、
平日で、人は少なかったので、フードコートの席はすんなり確保することができた。
席に荷物を置いて人心地ついたところで、
「悪い、トイレに行ってくる。」
とヒロトが席を立った。
「あ、僕も」
ちょうど催していたのでヒロトについていく。
彼に続いてトイレに入る。
自然と隣にに並んだところで今さらのようにヒロトが気がついた。
「おまっ!どこまで付いてくんだ!」
「え…?あ……あ!ご、ごめん!」
僕は慌てて男子トイレから出て行った。
恥ずかしい!他に人がいなかったからよかったけど誰かに見られていたら完璧に痴女認定だ。
これじゃ吉野先輩と同じ次元だ。それだけは死んでもイヤだ。
男の体だった頃はヒロトと男子トイレに行くことなんて特に珍しくもなかったから違和感を感じなかった。
女子歴1ヵ月未満なのだ。いまだに女子トイレにいることの方が針のむしろだよ。
僕はそう自分の中で言い訳をして女子トイレで用を足した。
トイレから戻るとヒロトは顔を赤くしていた。
加奈子ちゃんは何を食べるか品定めに向かったようで不在だ。
女の子の体なのに完全にデリカシーのない行為をしてしまった。
申し訳なくなってくる。
「ごめんねヒロト。」
「いや、千秋は謝らなくていい。
15年間も当たり前だったことが当たり前じゃなくなってるんだ。間違えることもあるさ。
オレは全然気にしてないから、次気をつけてくれればそれでいい。
本当は女子の制服を着るのだって嫌だろう?」
「うん、嫌。
みんなは可愛いって言ってくれるけど、人を騙してるみたいで落ち着かないよ。」
「だろうな。仮に俺が千秋の立場になったら同じように思うし、千秋に迷惑をかけていたかもしれん。」
「ヒロトが?僕と違ってうまくやりそうな気がするけどな。
あ、でも女の子になったヒロトって想像できないかも。」
「言えてるな。俺じゃ千秋と違ってゴリラみたいな女になるに決まってる。」
「あはは、ゴリラは言いすぎだよ。」
「よくてオランウータンだな。」
「同じ霊長類の範疇だけど、せめて人類になろうよ。」
「だから…な?俺がメスゴリラになるより断然いいってことだ。
早速妖精さんなんて呼ばれてるそうじゃないか。
前向きに捉えていいと思うぞ。」
妖精はもはや地球上の生物じゃないと思う。
それにゴリラだってカッコイイよ?
最近某動物園のイケメンゴリラがアイドル顔負けの人気を博している。
でも、あれは男性的なカッコよさであって女性的なものじゃないか。
ゴリラのパワーには憧れるけど、ゴリラにならなくてよかった。
妖精でもいっか。
脱線してましまったな。
こうして口数の多い方でないヒロトが冗談めかして僕を和ませようとしてくれているのは、
彼なりに僕のことを慮っているのだと理解できた。
ならば、ヒロトの気持ちを汲んでやるのが友情ってものだろう。
「そうだね、ヒロトの言うとおり前向きに捉えて、この体をいつか受け入れられたらいいな。」
「心まで無理に変えなくてもいいからな。千秋は千秋のままが一番だ。
ただ、体に合わせた生活習慣をしなければならなくなったってだけだ。
悩みなんてまずはうまいもん食えば多少なりともまぎれるだろ。
気を取り直して何を食うか選ぼうぜ。」
「うん!ヒロトありがとう。」
僕はヒロトの溢れる気遣いに満面の笑みで応えた。




