第二王女(終)
聞き覚えのある声が響く。
全員が振り返ると、そこにセレスティア王女の姿があった。彼女はスクリーンに映る恒星間生物を指さして、まるで公園で虫を見つけた子供のように目を輝かせている。
「殿下……」
シュリンプの声が掠れた。
「いつの間に……」
「んー、ちょっと様子見に来たんだけど、面白いの見つけちゃった」
セレスティアはスクリーンに歩み寄り、じっと生物を観察した。
「うわー、でっかいねー。こんなの久しぶりに見た」
「殿下、我々は自力で……」
シュリンプが何かを言いかけた。だがセレスティアは穏やかな笑みで彼を見つめた。
「うん、見てたよ」
王女は頷いた。
「がんばってて偉かったねぇ~!」
シュリンプは何も言えなかった。
「う~ん……」
セレスティアは少し考え込むような仕草をした。
「君たちなら、あと一万年くらいすれば、ああいうのも自分たちで倒せるようになると思うよ。うん、きっとなれる。でも、今はまだちょっと早いかな」
一万年。
その言葉が、艦橋の全員の脳裏に刺さった。
一万年。人類の有史以来の歴史よりも長い時間。だが至高天の民にとっては「ちょっと」に過ぎないのだ。
「だから、今は無理しない方がいいよ」
セレスティアは微笑んだ。優しく、穏やかな笑み。まるで、転んだ子供を慰める母親のような。
「お願いをきいてくれたし、今回は私がやってあげるね」
王女は窓際に歩み寄った。その小さな手が、宇宙空間に向かって伸ばされる。
「えいっ」
それだけだった。
たった一言。
しかしその瞬間、スクリーンに映っていた恒星間生物が──太陽ほどの大きさを持つ、人類の全火力を注ぎ込んでも倒せなかった存在が跡形もなく消滅した。
爆発ではない。
崩壊でもない。
ただ、消えた。
存在そのものが、宇宙から抹消されたのだ。
艦橋にいた全員が、言葉を失っていた。
光子波動砲。加具土命。天絶陣。エクスカリバー。
地球文明圏が持つ最強兵器の同時攻撃。一万人以上の死者。
そのすべてを費やしても倒せなかった存在が、「えいっ」の一言で消滅した。
その事実が、彼らの脳に入ってこない。
「よしよし」
セレスティアは満足げに頷いた。
「これでオッケーかな」
彼女は艦橋を見渡した。そして、何かに気づいたように首を傾げた。
「あれ? なんかみんな元気ないね。怪我した人とかいる?」
「殿下……」
シュリンプは絞り出すような声で言った。
「我々は……多くの犠牲を出しました。日本の禰宜一万人が命を落とし、イギリス艦隊でも数千人が……」
「えっ、死んじゃったの?」
セレスティアは目を丸くした。
「それはダメだよ。せっかく頑張ったのに、死んじゃったらもったいないじゃん」
王女は両手を広げた。
「みんな! おきて~!!」
その声が、宇宙に響き渡った。
次の瞬間、信じられないことが起きた。
神殿型戦艦「八百万」の艦内で、一万人の禰宜たちが目を開けた。
燃え尽きたはずの彼らの体が、完全に元通りになっている。白装束も、肉体も、魂も──すべてが蘇っていた。
自壊した魔導戦艦「キャメロット」の残骸の中で、死んでいたはずの乗組員たちが息を吹き返した。
宇宙空間に投げ出されていた遺体が、再び動き始めた。
死者が、蘇ったのだ。
「な……」
シュリンプは言葉を失った。
「何が……起きた……?」
「死んじゃった人、全員起こしといたよ」
セレスティアは何でもないことのように言った。
「だって、死んだままだと可哀想じゃん。せっかく頑張ったんだから、ちゃんと生きて帰らないと。それと壊れたお船も元にもどしたよ!」
「……ありがとう、ございます」
シュリンプは膝から崩れ落ちそうになりながら、それだけを言った。
「お礼なんていいよー」
セレスティアは手を振った。
「君たち、ちゃんとお願い聞いてくれたもんね。それに、諦めないで挑戦する姿勢、すっごく良かったよ。一万年後が楽しみだなー」
一万年後。
その言葉が、シュリンプの胸に突き刺さった。
「じゃあね」
セレスティアは手を振った。
「また何かあったら呼ぶから、よろしくー。あ、でも、あんまり無茶しちゃダメだよ? 今の君たちが怪我したら、一万年後に届かなくなっちゃうからね」
王女の姿が光に溶けて消えていく。
艦橋には茫然自失の人間たちだけが残された。
「……大統領閣下」
しばらくして、レイノルズが声をかけた。
「ご命令を」
シュリンプは深呼吸した。義骸化された肺には酸素は必要ないが、この動作は彼に落ち着きをもたらすのだ。
「全艦に通達。死者の……いや、蘇生者の状態を確認しろ。全員、本当に生き返ったのか」
「了解」
報告が次々と入ってくる。
「……全員、生き返っている」
レイノルズが呆然と呟いた。
シュリンプは窓の外を見た。恒星間生物がいた場所には何も残っていない。
「今日見たことは最高機密扱いとする」
彼は言った。
「一般市民に知らせる必要はない」
「賢明なご判断かと」
ダッジが言った。
シュリンプは乾いた笑いを漏らした。
「殿下は言った。一万年後には俺たちもあれを倒せるようになると。……一万年か」
誰も何も言わなかった。シュリンプをはじめ、「もうどうにでもしてくれよ」というような表情を浮かべている。
◆
地球に帰還した艦隊を待っていたのは盛大な祝賀だった。
「至高天からの『お願い』を見事に達成した英雄たち」
メディアはそう報じ、各国首脳は艦隊の帰還を歓迎した。惑星浄化の成功は地球文明圏の技術力と団結を示す好例として大々的に宣伝されている。
もちろん、帰路で遭遇した恒星間生物のことは一切報道されていない。報道したところで、誰も信じないだろう。太陽サイズの生物が「えいっ」で消え、一万人以上の死者が「おきて~」で生き返った、なんて。
「大統領閣下」
ホワイトハウスに戻ったシュリンプを、副官のモンローが出迎えた。
「お帰りなさいませ。キューバとコロンビアの件ですが、外交交渉が大きく進展しました」
「ほう」
「閣下が惑星浄化作戦を成功させたことで、アメリカの国際的威信が高まりました。両国とも態度を軟化させています」
シュリンプは苦笑した。
「至高天の犬として働いた結果が、外交上の成果に繋がるとはな」
「結果オーライではないでしょうか」
「かもしれん」
シュリンプは執務室に入った。窓の外にはワシントンD.C.の夜景が広がっている。
「他に緊急の案件は」
「至高天から通信が入っています」
シュリンプの表情が引き締まる。
「内容は」
「セレスティア王女殿下からのメッセージです。『楽しかったー! ムシも潰せたし、みんな起こせたし、また何かあったら呼ぶね! 一万年後、楽しみにしてるよ!』と」
シュリンプは長い溜息をついた。
「一万年後、か」
「はい」
「まるで来週みたいな感覚で言いやがって」
至高天にとっては一万年も来週も大して変わらないのだろうな、とシュリンプは思った。
◆
同じ頃、京都では鷹市香苗が選挙に勝利していた。
「総理、おめでとうございます」
秘書官の桐生が祝辞を述べる。
「我々の圧勝です。四百四十議席の獲得はいまだかつて見た事がありませんよ!」
「ありがとう」
鷹市は微笑んだ。だがその表情には疲労が滲んでいる。
「惑星浄化作戦の成功が、得票率に大きく貢献しました」
「そうね」
鷹市は窓の外を見た。京都の夜景が広がっている。
「禰宜の皆さんは」
「全員、無事に帰還されました。王女殿下のおかげで、一人の犠牲者も出ませんでした」
「そう……」
鷹市は目を閉じた。
「複雑なお気持ちは分かります」
「複雑、というか……」
鷹市は首を振った。
「私たちは至高天と共存していくしかない。彼らの『お願い』に応え、彼らを『もてなし』、彼らの『娯楽』に付き合う。そして彼らに『生かされる』。それが地球人類の生き方なのよ」
「いつまで続くのでしょうか」
「分からないわ。百年かもしれないし、千年かもしれない。あるいは一万年」
鷹市は目を開けた。
「でも、それでも前に進むの。いつか対等になれる日を夢見ながら。……王女殿下は一万年後を楽しみにしていると言ったそうよ。なら、私たちはその期待に応えなければね」
◆
数年後。
惑星に残った「深淵の魔術師」たちは現地の人々への魔術教育を始めていた。
ドームは「賢者の城」と呼ばれるようになり、大陸中から才能ある若者たちが集まってくる。デ・モードは初代学長として、厳格でありながらも熱狂的な指導を行い、多くの弟子を育てていった。
「殿下を讃えよ」
デ・モードは毎朝の礼拝で説いていた。
「殿下こそが我らを導いてくださった真の神。殿下の御名のもとに、我らは魔術の研鑽を積み、この世界を守るのだ。殿下万歳。殿下の栄光永遠なれ」
彼の目は相変わらず虚ろで、しかし狂気的な熱を帯びている。
「殿下万歳! 殿下の栄光永遠なれ!」
「殿下万歳!」
弟子たちが唱和する。彼らもまた、師の熱狂に感化され、至高天への帰依を深めていった。
賢者の城はその後数百年にわたって優れた魔術師たちを輩出し続けることになる。彼らの中には大陸を統一する英雄も現れ、また別の者は瘴気の再発を防ぐ恒久的な結界を完成させた。
そしてすべての卒業生は一つの言葉を胸に刻んでいる。
「殿下の栄光のために」
地球から来た狂信者たちの名はこの惑星の歴史に永遠に刻まれることになる。「殿下」が誰なのか、もはや誰も知らないが、その名は神聖なものとして崇められ続けるのだ。
◆
至高天の王宮。
セレスティア・ルーキス・デー・カエロー・カデンスは姉のプルーウィアと並んで庭園を歩いていた。
「ねえ、姉様」
「何かしら」
「地球の子たちって、面白いよね」
「そうね」
「あ、そうそう。帰り道でムシがいたから潰しといたよ。地球に向かっていたからさー」
「まあ、ムシってあの蟲の事かしら?」
「うん。本当ならもっと早く地球をパクッてしてたと思うけど──」
「そうねえ、ええと西暦だと……1999年に地球にたどり着くはずだったのよね。まあでも宇宙は広いから、誤差みたいなものでしょう。近づいたら追い返そうかと思っていたのだけれど」
「ついでだったしね。あ、でも地球の子もがんばってたよ~! でもあと一万年くらい早かったかな。それにしてもさ、1999年ってまだあの子たち、私たちにも会いにこれない頃だよねぇ? よくムシが来るってしってたよね」
「恐怖の大王、だったかしら。大げさな名前だと思うけれど、でもあの子たちには確かに恐怖の大王かもしれないわね」
姉妹は庭園を歩き続ける。
「ねえ、姉様」
「何?」
「地球の人たち、いつか私たちと対等になれると思う? ロボットのおじさんはそう考えているみたいだよ」
その問いに、プルーウィアは少し考え込んだ。
「どうかしらねえ。可能性はあると思うわ。彼らには諦めない心がある。それはとても大切なことよ」
「うん、私もそう思う」
セレスティアは空を見上げた。
「でもね、姉様」
「何かしら」
「もし三億年くらい経っても、まだ同じところで足踏みしてたらどうする?」
セレスティアの声は相変わらず明るかった。だがその言葉にはどこか不穏な響きがあった。
「ずーっと見守ってて、応援してて、でも全然進歩しなかったら……ちょっと残念だよね」
「そうねえ」
プルーウィアは微笑んだ。その笑みはいつも通り穏やかだった。だがその目の奥には何か別のものが光っていた。
「そのときは……少しだけ、お手伝いしてあげてもいいかもしれないわね」
「お手伝い?」
「ほら、脳をちょっとだけ弄るとか」
プルーウィアは何でもないことのように言った。
「進化を少しだけ加速させてあげるとか」
「あー、なるほど」
セレスティアは頷いた。
「それいいかも。三億年待って、まだダメだったら、ちょっとだけ弄ってあげる。そしたら、もっと早く成長できるかもね」
「ええ」
プルーウィアは微笑んだ。
「でもまだもう少し見ていてあげましょう。無理をさせたくないわ、彼らは繊細だから。ただ、あんまり時間がかかるようなら、ちょっとだけ背中を押してあげるのも愛情かなっておもうの」
「うん。愛情だよね」
姉妹は顔を見合わせて、にっこりと笑った。
その笑顔はどこまでも無邪気で、どこまでも優しく、そしてどこまでも恐ろしかった。
彼女たちは地球を愛している。人類を愛している。
だからこそ、三億年待つ。
だからこそ、必要とあらば──「ちょっとだけ」手を加える用意がある。
それが愛情なのだ。
少なくとも、彼女たちにとっては。
(了)




