臨機応変って、つまりは出たとこ勝負ですよね?
貴族の私室としては質素な部屋に、酒の瓶を開ける音が響く。グラントはグラスを手に、長椅子へ腰を掛けようとしたが、急にその動きを止めた。
「誰だ?」
ベランダへ続くカーテンに、わずかな動きがある。そこから現れた人影に、グラントは安堵のため息をついた。
「ニールか? 脅かすなよ」
グラントは貴族らしからぬおどけた表情をすると、小さく肩をすくめて見せた。だが相棒であるニールが、憮然とした表情をしているのを見ると、すぐにバツの悪そうな顔をする。
「ルシア、どういうことなのか、説明してもらえないか?」
「臨機応変ってやつだ」
「臨機応変?」
グラントを演じているルシアの台詞に、相棒のニールが、さらに表情を険しくする。
「行き詰っていたアンチェラさんからの依頼が、向こうから飛び込んできたんだぞ。無視なんかしたら、間違いなく遠い所へ送られる」
「アンチェラさんの依頼は、身柄の確保と観察だ」
「その通りのことを、最優先でやっている。婚約者として、あの娘の側にいれば、完璧じゃないか」
「誰かに依頼すれば、それで済む話だ。俺たちが何年も準備した計画を、変更する必要などない。そもそも、マリアンヌをどうするつもりだ。大法院からの特使が来るのは、明日なんだぞ!」
「もちろん忘れてないさ。それに相手はあのスニファノ卿だ。もう一度袖の下がもらえると思って……」
ルシアの話の途中で、ニールが首を横へ振った。
「お前をグラントにするのに、どれだけ手間をかけたと思う。昼間の襲撃も、特使の件も、アズール家とエミール家の両方を手に入れるためだ。あの娘を篭絡するためじゃない」
「それは分かっている。そのために、あの陰気な男の相手までしたんだ。だがマリアンヌは、ただの高慢ちきな令嬢たちとは違う。エミール家の当主だ。単に惚れさせればいい訳じゃない」
「だからこそ、これだけの仕掛けを用意したんだ!」
ニールの怒気を含んだ声に、今度はルシアが首を横に振って見せる。
「問題はその先だ。引き籠もっていたここの前当主と違って、向こうは親戚筋からの反発が強い。しばらくは当主としての威厳を保ったまま、こちらの言う事を聞いてもらう必要がある。その為の最後の一押し、決め手が必要なんだ」
「ルシア、何を考えている?」
「嫉妬だよ、嫉妬。それがどれだけ人を動かすかは、ニール、お前だってよく分かっているだろう? それにあの娘が使える」
「強烈な負の感情だぞ。手に負えなくなったら、どうするんだ?」
「それをうまくやるのが、技と言うもんじゃないのか?」
そう言って胸を張ったルシアを、ニールはじっと眺めた。だが小さくため息をつくと、肩をすくめて見せる。
「やってしまったからには、仕方がない」
「後は俺にまかしておけ。でもあの娘も、冒険者とは驚いたな……」
「どんな見かけでも、冒険者は冒険者だ。それにサラと言う女にも気を付けろ。相当に使えるはずだ」
「アルバートの女だろう。アルバートでも落とせたぐらいだ、問題はない。一応は術で反応を見てみたが、こちらの思惑通りに動いてくれた。今でも十分に効いている」
「あの類はいざとなったら、心より体の方が先に動く。用心するに越したことはない。大法院からの使者の件は頼んだぞ」
「ニール、ちょっと待ってくれ」
カーテンの陰へ戻ろうとしたニールへ、ルシアが声をかけた。
「アンチェラさんは、何であの娘を監視しろと言ってきたのかな?」
そう問いかけると、頭をかしげて見せる。
「俺たちが考える必要のないことだ」
「それはよく分かっている。確かにかわいいとは思うが、普通の町娘にしか見えない。だけど……」
「何か気になることでもあるのか?」
「あの娘には術だけじゃなく、薬もたっぷり使った」
「薬? 観察しろと言われていたのを、忘れたのか!?」
「忘れてはいない。だが今回は時間がなかったのと、念には念を入れて使ったんだ。だが効き目があったとは、全く思えない」
「特殊体質かもしれないな。もしかしたら、それがアンチェラさんの興味を引いているのかもしれない」
「それと、これは自分自身に驚いているんだが……」
「もったいぶらずにさっさと言え」
「あの娘と話が出来て、とっても楽しかったのさ」
ルシアの台詞に、めったに表情を変えることのないニールが、驚いた顔をする。
「これは仕事だ」
「もちろん分かっているさ。だけど、楽しいと思って女性と会話をしたのは、いつ以来だったろう」
ニールはルシアのつぶやきに答えることなく、カーテンの陰へ姿を消した。
ニールは月明かりに照らされた古城を眺めていたが、何者かが近づく気配に、背後を振り返った。
「エミール城に動きがあります」
大きくそびえたつ岩の影から、低い声が響いてくる。しかしその姿はどこにも見えない。
「流石は貴族だよ。耳が早い」
「ルシア殿にも連絡しますか?」
「それよりも、後始末を頼む」
無言の相手に、ニールがにやりと笑って見せる。その考えを読んだらしく、岩の陰から気配が消えた。
「ルシア、君とは小さい時からの長い付き合いだったけど、どうやらこれでお別れみたいだね」
ニールはそう独り言をもらすと、再び背後にそびえるアズール城を見上げた。
「せめて最後の夢ぐらいは、いい夢を見るといい」




