134 とある庶子の王子の呟き その3
一方、そのころ……
134 とある庶子の王子の呟き その3
そろそろ、テオがジンとともにゴルドバーグ領へと出立した頃だろう。
僕は僕の気がかりを解消しておくことにする。
王宮に上がり、後宮へと向かう。
あまり人と遭遇しないこの通路は、僕専用と言ってもいいくらいだった。
なにせ、この先にあの人がいるため、侍女達も遠慮して近づかないからだ。
王妃様が住まう居城を眺めながら渡り廊下を抜けていく。
後宮の奥に進むにつれ、手入れされていない様子が目立つようになってきた。
そんな場所に、寂れた小さな館がぽつんとある。
周囲と同じようにあまり手が入っていない。
生活する場所だけがかろうじて掃除されているのがわかる程度だ。
呼び鈴を鳴らし、しばらく待つと、年老いた侍女が出てきた。
訪問を告げると、驚いた様子だったが、すぐに招き入れてくれた。
そして、応接室へと通される。
応接室もくたびれた印象だ。あまり使う機会もないのだろう。
出されたお茶が冷めてきたころ、ようやく主が現れた。
「……珍しいですね、貴方がここに来るなんて。なにか用ですか?」
嫌そうな表情を隠しもせず、母――リタが言い放つ。
仕方なく会ってやったと言わんばかりだった。
あまり化粧っ気もなく、最低限身ぎれいにしておけばそれでいいという質素なドレス。髪は結い上げもせず、櫛を通しただけの簡素な姿だった。
「貴女にお会いしたかったから、訪ねてきたのですよ」
「明日は雨が降りそうね」
「久しぶりに会う息子に、それはないのではないですか。母上」
「貴方、そんな殊勝な性格ではないでしょう。用がないのなら、帰ってくれる?」
相変わらずだ。
世間に――息子にすら関心を持たず、ただただ、嘆いて引き籠もっているだけの人だ。
極端に変化を嫌うのは、テオから聞いた、あの〝隠れ里〟の村人そのものの性質かもしれない。
だけど、そんなに嫌なら、僕を王宮へ置いて、さっさと後宮を出て帰ればよかったものを。
無理やり連れてきたはいいが、毎日嘆いていた母に辟易していた陛下だ。
一言でも進言していれば、すぐにでも許可してくださっただろうに。
「……そうですか。耳寄りなお話をお聞かせしたかったのですが」
「結構よ。私は争いに参加する気はないの。貴方も諦めなさい。疲れるだけよ」
「僕も参加したくありませんよ。ただ、生き残りたいだけですから」
「それなのに、いろいろ画策しているようね。生き残りたいなら、従順にしていればいいだけよ」
「そうしたいのは山々なのですが、そうも言っていられない事情ができまして」
「貴方はいつもそうね。そこまで警戒しなくても、貴方を担ぐ人はいないでしょう」
「いませんよ。いるわけがない。そんな話程度なら、僕はここに来ていません」
「ほらやっぱり。私に用があったのね。回りくどいことはやめて、さっさと話してちょうだい」
「……会話を楽しもうという気はないのですか」
「ないわね。貴族との会話は疲れるだけだもの。貴方も知っているでしょう? だから、そういうことはやめなさいと、最初に言ったわ」
「わかりましたよ」
僕は溜め息を吐いた。
この人と話をすると苛つくだけだ。さっさと用件を済ませてしまおう。
「精霊の王が解放されました」
「……いま、なんて……?」
はじめて母の目が見開かれる。
「〝隠れ里〟から精霊王が、〝精霊の守護を持つ者〟に解放されたのですよ、母上」
「そんな、馬鹿な……。だって、結界があるのよ……。そう簡単には……」
さすが元巫女。
これだけで重要性が理解できたようだ。
「――待って、〝精霊の守護を持つ者〟ですって?」
「ええ、彼は結界を破壊し、精霊の王と契約しました。もっとも、結界を壊したのはレイヴンという魔族だったそうですが」
「……レイヴンが……魔族……?」
「確か、先々代巫女の息子だったそうですね」
言外に貴女の弟だと話す。
母は傍目にもわかるくらい狼狽えていた。
「その彼が、魔王の封印を解いたらしいです」
「――嘘よ」
「本当ですよ。いまの巫女――ドナという女性が、そう証言しました」
「嘘。あの子は、ドナにはそんな〝視る力〟はないわ。……だって、私はそこまで〝力〟を譲り渡していないもの」
その呟きに、思わず怒鳴りかけたが、無理やり押し黙る。
いまさら指摘しても、不毛だからだ。
テオの報告では、そのドナという女性は力不足なりに務めを精一杯果たしていたという。自分に託された仕事だからと。最後は惰性になっていたようだが。
でもそれが、ドナの苦悩の原因が、こんな身勝手な母によって引き起こされたことだなんて。
結果、魔王復活の一因となってしまった。
(落ち着け、落ち着け、落ち着け……。この人に説明しても無駄だ。たとえ理解したとしても、自分を憐れんで嘆くだけだ……。必要な巫女の知識だけ取るんだ……)
苛立った心を落ち着かせ、ドナを責める言葉を呟く母に向き直る。
「……ええ、レイヴンが魔王の封印を解いたというのは憶測です。ドナは、巫女を押しつけられたことをレイヴンに話しただけのようですね。そうしたら、レイヴンに『解放してやる』と言われたそうです。そして再び出会ったときに、彼は魔族として現れ、結界を破壊しました。その後、魔王の復活も数年前から噂されています」
「それは憶測なのでしょう。レイヴンは、あの子はそんなことしないわ! ドナが嘘を言っているのよ!」
母が喚く。
どうしても信じたくないらしい。
「姉を王に奪われた腹いせに、国を滅ぼそうと考えたらしいですよ。魔王の封印を解いたのは、陛下に対する恨みのようですね」
「――ば、馬鹿なことを言わないで! そんなこと、あるわけないでしょう! そんな、そんな愚かなこと……そんな……馬鹿な……」
信じたいものしか信じないのだろうな、この人は。
「レイヴン自身が、はっきりとそう言ったらしいですよ」
「そんなわけ……ないわ……。だって、あの子だって結界が里にとってどれだけ重要か知っているのに……」
国ではなく、里か……。
結局、この人にとって、世界は〝隠れ里〟だけなのだろうな。
「そうよ。小さいころから精霊王に会いたがっていたもの、そんな子が結界を破壊するとは思えないわ。精霊王に聞けばわかることよ。――ちょっと、待って。精霊王はどこにいるの。彼には会えるのでしょうね」
ようやく精霊王のことを思い出したのか、縋るように尋ねる母に、僕は事実だけを話した。
「無理です。もうすでに、王都から出発しました。〝黒い稲妻〟が落ちた場所へ、〝精霊の守護を持つ者〟と一緒にね」
「どうして!」
巫女である自分と合うのは当然だと思わないで欲しい。
「どうして? 彼は王国を守るために行動すると約束してくれました。貴女と因縁があるそうだから、話をしただけで、僕は貴女と彼と会わせる気はありません」
「フレドリック!」
「名前を覚えていてくださったとは、光栄です」
「茶化さないで! 私は巫女よ!? どうして彼と会うことができないのよ!」
「元でしょう。いまはドナが巫女だ」
母と睨み合う。
ああ、駄目だ。
冷静に話を聞き出すことができない。
「だいたい、彼が王国を守るなんてこと、するはずないわ。だって、彼は王国に恨みを持っているもの。そんな彼が里を出て行かないように慰めるのが巫女の役目よ。〝精霊の守護を持つ者〟が来たとしても、会わせてはならないのに。ドナはなにをやっていたの?」
「ドナは、教えられた役目はきちんと果たしていたそうですよ。力不足にもかかわらずね。ただ、教えられていない役目もあったみたいですね」
母の眉が跳ね上がる。
「どういうこと? 私はちゃんと……」
「彼女は〝精霊の守護を持つ者〟を、精霊王に会わせた。それは彼女が精霊王に、そう頼まれていたからだそうです。それに、先々代の巫女からは精霊王のお世話をするように、としか聞いていなかったようですよ。――ところで、母上。どうして〝精霊の守護を持つ者〟と精霊王を会わせてはならなかったのですか?」
尋ねると、視線を逸らされた。
「それは……里の結界の要が、精霊王そのものだから……」
「ずっと、〝隠れ里〟ができたときから、精霊王を閉じ込めていたというわけですか」
はっきり言ってやると、また睨まれた。
「違うわ! 私たちは、彼を――精霊王を、長い間守り続けてきたのよ! それに、彼は魔王の封印にも関わっていたわ。聖女が結界を施したときに、精霊王の〝力〟を使ったって伝承が……」
「それは聞いていませんね。少なくとも報告にはなかった。ですが、貴女の弟であるレイヴンが魔王の封印を解いて数年経ってから、精霊王は解放された。封印に影響があったとは思えませんね」
だいたい、テオから聞いた精霊王の昔話では、聖女セレンディアが――いや、里の巫女だったセレが精霊王の〝力〟を利用したくなくて、愛情を結晶化した宝石と聖女の装飾品で封印したと聞いている。
その彼女が、精霊王を封印のために利用するとは思えない。
母が言う『伝承』とは、おそらく〝隠れ里〟から出さないようにするための、都合のいい『伝承』なのだろう。
本当に胸くそ悪い話だ。
そんな自分勝手な者たちの血を引いているなんて、嫌になる。
けれど、僕自身、自分が身勝手だと知っている。
血は争えないとは、こういうことなのかもしれない。
「――話は以上です。では、僕はこれで」
かつて巫女だった母なら、精霊王の昔話や、結界のことで役に立つ話が聞けるかと思ったが、無駄足だったようだ。
母も、ドナという巫女と同様に、ただ役目を果たすだけの存在だったのだろう。
それに、こんなにも話ができないとは、思わなかった。
「待って、待ちなさい。精霊王に会わせて!」
「無理だと言っているでしょう。それに、会うとしたら、まずは陛下が先です。もっとも、彼は王族に会おうとはしないでしょうね」
僕に対する態度から、想像に難くない。
「じゃあ、レイヴンに会わせて。レイヴンから直接聞くわ」
「無理ですよ」
「どうしてよ!」
「死んだからです」
母が息を飲む。
「彼は魔族として討伐されました」
嘘ではないとわかったのか、母が呆然と膝から崩れ落ちる。
「それでは、失礼します。ごきげんよう、母上」
その姿を尻目に、僕は部屋をあとにした。
館から出たときに、嘆く声が聞こえたが、なんの感情も湧かなかった。
やっぱり僕は、薄情な人間なのだろう。
読んでくださって、ありがとうございます。
ブクマありがとうございます。
評価ありがとうございます。
しばらくフレドリック視点が続きます。
1巻〜3巻発売中です。よろしくお願いします。




