100 とある庶子の王子の呟き その2
本日2話目。
100 とある庶子の王子の呟き その2
大広間では衛兵たちが慌ただしく動いている。その半分奥に、エリオットとカトリーナがいた。
彼らの周囲には招待された者たちが興味津々で見守っている。
よくわからない魔王の復活よりも、目の前のスキャンダルを楽しみたいのだろう。悪趣味どもが。
もっとも、カトリーナを心配して見守っている人たちもいるようだが。
人だかりの間を抜けて、デュークとミュリエル嬢が進む。僕もそのあとを追った。
最前列に出ると、ルークたちもそこにいたので、経緯を尋ねてみた。
「ルーク、すまない。状況がわからないんだ。どうなっている?」
「デュークに聞かなかったんですか? ああ、説明しませんね、彼は。……あれ? こういうときはちゃんと説明していたのに……?」
ルークが考え込む。だけど、思考の海に沈んでもらっては困る。一度沈んだら浮上するのに彼は時間がかかりすぎる。急かすように尋ねてみた。
「それで、経緯は?」
「カトリーナ嬢がおかしなことをおっしゃったんです。アイリーン嬢は聖女に選ばれたというのに、選ばれていないって。ああでも、勘違いだと謝罪されましたよ。なのに、アイリーン嬢が謝罪を未だに受け入れないのです。まったく」
カトリーナを見ると、スカートを握りしめてはいるが、顔を上げて毅然とした態度を取っている。
一方、エリオットはアイリーン嬢の手を握ったまま、アイリーン嬢を労わるような素振りを見せていた。
本当になにがあったんだ?
あれだけ、僕が羨ましくなるくらい仲が良かったはずだろう。
……あれ、悪かったのか……? ダメだ、記憶が混濁している。
「アイリーン様、もう一度申し上げます。不正などと発言してしまい、申し訳ありませんでしたわ。お許しくださいませ」
カトリーナ嬢が頭を下げる。
どれほどの屈辱だろうか。公爵令嬢が男爵令嬢に公衆の面前で頭を下げさせられるなんて。
なのに、アイリーン嬢は僕を見ていた。
そして小さく呟いたのだ「これで揃った」って。
声は聞こえていない。おそらく側にいるエリオットにも聞こえていないだろう。
だけど僕は読唇術には自信がある。
そうしてアイリーン嬢は神妙な表情を作って、小動物のようにおどおどしながら言ったのだ。
「あ、あのっ、私は気にしてません。カトリーナ様も勘違いされたんですよね。だから許して差し上げます」
弱々しい振りをして、とんでもない言葉を返した。
周囲の貴族たちも騒ついている。側にいるエリオットですら眉を顰めた。
当然だろう。
わかっていないのは、本人だけだ。
本当なら「謝罪をお受けいたします」だ。
許してやるなんて、カトリーナよりも上位の立場にいるつもりか。
女性最上位である王妃様ですら、そのような言い方はされない。
なのに、カトリーナは淡々と「ありがとうございます」と礼返した。
そうして辞去を口にする。
「エリオット殿下。魔王騒ぎのせいでしょうか、気分が優れませんので退出させていただきたいのですけれど、よろしいでしょうか?」
「あ、ああ、構わない。下がることを許す。今日は大変だっただろう。体を労って存分に休むように。聖女の務め、大儀であった」
「お気遣いありがとうございます。それでは失礼いたします。皆様にも騒ぎを起こしてしまい申し訳ありませんでしたわ。お許しくださいませ。お先に失礼いたします」
カトリーナは周囲の者たちにも軽く会釈して、その場を離れて行く。
その振り返ったときにデュークを見て、怪訝な表情をした。
けれど、軽く蟀谷を抑えてから周りに聞こえないよう呟いた。
「そうよね、デュークは六騎神だもの。魔王だなんて、なんで思ったんだろう……?」
呟きを読み取った内容に、目眩がする。
あの魔王くんはデュークが魔王だと言っていた。
聖女であるカトリーナも、そう思っていた……?
なのに、記憶が定かではない様子だ。僕たちと同じように。
本当になにが起こっている。
帰ろうとするカトリーナに、ミュリエル嬢たちが心配げに駆け寄るが、カトリーナはそれを手で制止して、心配ないと笑顔を見せた。
それが拒絶のように見えて、逆に不安になる。
ミュリエル嬢たちも心配そうな表情を見せながら、もどかしそうにその場に立ち尽くすしかないようだった。
そうして誰の手も借りずにカトリーナは好奇の視線の中、大広間を突っ切り、大広間の外で待ち構えていたライラック公爵とともに帰って行った。
「アイリーン」
「なぁに、エリオット様」
カトリーナが見えなくなってからエリオットがアイリーンを呼んだのだが、アイリーン嬢の返答がまた礼儀を失していた。
カトリーナですら、殿下と敬称をつけていたのに。
「いまの言い方は良くないだろう。カトリーナの方が身分が上だ。わきまえた方がいい」
「はぁい。ごめんなさい」
驚いたことに、他人に関心を持たなかったエリオットが注意している。
これにはルークたちも驚いていた。
それにしても、この礼儀知らずはなんとかならないものだろうか。
「どういうことなんだ……?」
「どうもこうも、従姉妹に気があるのだろう」
デュークの言葉に僕はもちろん、ルークたちも怪訝な表情を見せた。
エリオットがアイリーン嬢に気があるなんて、そんな馬鹿なこと……
「みんな知っているはずだ。カトリーナ嬢ともあまり上手く行ってないことも」
ジッと見つめられる。
確かにアイリーン嬢はエリオットに気があるのは知っているし、エリオットもまんざらではなさそうだった。
むしろアイリーン嬢のやらかすトラブルを楽しんでいる様子だった……?
そして、カトリーナとも上手く行ってなさそうだったはず……? 本当に?
僕は羨ましく思ってなかったか……?
また頭痛が酷くなる。
「お前たちもアイリーンのことが好きなんだろう?」
ズキズキと頭が痛む。みんなも頭痛がしているようで頭を抑えている。
「……ふん、稽古を邪魔しないよう、従姉妹に注意しておけ」
「……なに言ってんのさ、好きなわけないじゃない。……まぁ、根性くらいは認めてやってもいいけど」
「……もう少し落ち着いて行動させるんだな。一生懸命なのはいいが」
「……ボクは……好ましくはない……研究を邪魔しないなら」
ヴィンスもシミオンもレックスも、そしてルークまで、アイリーン嬢を認めるようなことを口走った。
そうしてデュークの赤い瞳が僕に向けられる。
「……問題を起こさなければね」
それしか言えなかった。
背中には大量の汗が流れてしまっている。
デュークは満足そうに笑みを浮かべると、それでいいと言わんばかりに鷹揚に頷いた。
「従姉妹は可愛らしいからな。お前たちが好むのも無理はない」
「デューク様、皆さま婚約者がおられるのですから、そのようなことを仰ってはいけませんわ」
口を挟んだのはミュリエル嬢だ。
少し辛そうにしているが、毅然とした態度でデュークを見据えている。
妙な息苦しさがあった空気が、少し緩んだ気がした。
ルークたちもハッと気づき、バツが悪そうにそれぞれの婚約者たちに謝罪する。
だけど、エリオットは動かない。――いや、表情が読めない。
これは心を閉ざしている兆候か。
いつもなら、デュークがエリオットにはっきりとカトリーナを蔑ろにするなと言うはずなのだが、今回はそれがない。
むしろアイリーン嬢と仲良くなることをけしかけていた。
……頭痛がさらに酷くなる。
「それは悪かった」
しばらくミュリエル嬢を睨みつけていたデュークだったが、肩をすくめて謝罪した。
そしてミュリエル嬢の耳元で囁く。
一気にミュリエル嬢の顔が真っ赤になった。
「――そ、そんな破廉恥なことしません! こっ、婚姻前にそのようなこと……不潔ですっ! 失礼します!」
叫んで、パタパタと駆けて出て行った。
なにを言ったのか予想はつく。だけど聞かずにはいられなかった。
「デューク、女性になんてことを言うんだ」
「別にたいしたことは言っていない。そんなに寂しいのなら、一晩中相手にしてやろうと言っただけだ」
ベッドでな、と付け足したデュークに、別の意味で頭痛がする。
女性陣からも冷たい視線が突き刺さっていたが、デュークは気にしていないようだった。
だけど空気が悪くなったことは感じたらしい。
「どうやら俺もアイリーンも歓迎されていないようだ。退散するとしよう」
そう言って、渋るアイリーンを無理やり連れて帰った。
「デューク」
大広間扉の付近で、声をかける。
帰る前に聞いておきたい。
「さっき言い忘れていた。貸しひとつだからね」
「借りた覚えはないな」
「そうかい? 魔王の居場所の問いに答えただろう?」
「でもお前は居場所を知らなかった。貸しにはならんだろう」
「……そう。そうだね。僕が悪かった。アイリーン嬢、明日の学園の聖女祭は頼むよ」
「任せて!」
アイリーン嬢が元気よく手を振って、返事した。
本当に礼儀がなっていない。
だけど手を振り返しながら、彼らを見送った。廊下の向こうに消えるまで。
そして急いで部屋に戻る。
魔王くんが寝ている部屋に。
部屋に入ると、部屋は済んだ空気で満たされていて、さっきまでの頭痛がすぐに消えた。
騒めいていた心が穏やかになっていく。
混濁していた記憶が少しだけ鮮明になった。
ただ、はっきり思い出した記憶がはじめて行った猫カフェだったのが気にくわないけれど。
「なんなんだ、さっきのは……」
先ほどの大広間でのやり取りを思い出して、
自分の記憶がこんなにも信用できないだなんて、思ってなかった。
僕はまともでいられるのか……?
魔王くんが寝ているソファの肘掛に腰掛ける。ブランケットはいつのまにか床に落とされていた。暑かったのだろう。
平和そうな顔でスヤスヤと眠る魔王くんに対して、どうしようもなく腹が立ってきた。
僕はこんなにも不安だというのに。
魔王くんの側にある水晶が、柔らかい光で明滅した。
僕を労ってくれているのかもしれない。
水晶を手に取る。
少しだけ曇ったけれど、今回だけは許してくれたようだった。
思わず笑みがこぼれる。
「――やっぱり貰うよ。割りに合わない」
嫌がって曇る水晶をポケットに入れる。
悪いけど、僕も不安なんだ。少しでもいいから良いものを持っておきたいんだ。
ただ……みんなはどうだろうか。
抵抗するには少し分が悪い気がする。
これが魔王の、魔族の策略であるなら、僕たちは対抗できるのだろうか。
そして。
「カトリーナ……」
聖女であるはずの彼女ですら記憶を変えられている可能性がある。
エリオットと仲良くなれるよう、あれだけ頑張っていたというのに。
「……本当に、面白くないな」
彼女の悲しむ顔は見たくないというのに。
少しだけ喜んでいる自分に、嫌気がさした。
「さて。君にはちゃんと働いてもらうから覚悟しておいてね」
彼だけが本当の記憶を持っている。
だったら、彼こそが僕の、僕らの切り札だろう。
「――僕を甘く見るな、魔王」
遅くてすみません。
読んでくださってありがとうございます。
ブクマありがとうございます。
評価ありがとうございます。




