エドモンドの訓練
リリアーナたちを見送ったあと、エドモンドはカイルスに向き直った。
「――あの弓の使い方を、教えてほしい」
カイルスは短くうなずく。
「いいでしょう」
エドモンドは少し間を置いてから、低い声で尋ねた。
「……本当に、兵士でも使えるようになるのか?」
「魔力の動きを感じられるのなら、できるはずです」
「魔力の……動き?」エドモンドは眉をひそめる。「どうやって感じるんだ」
カイルスは答えず、静かに彼の手を取った。
「今から、貴方の魔力を抜きます。魔力は……、血液みたいなものです。身体の中を流れている間は気づかないのですが。外に出て、初めて“無くなった”と感じるはずです……」
そう言われても、エドモンドには意味がよくわからなかった。
けれど、カイルスの手のひらから伝わる冷たい感覚に、胸の奥がざわめいた。
「――始めますよ」
カイルスの静かな声に、エドモンドの肩がわずかに震えた。彼は息を詰め、全身を強張らせる。
しばらくのあいだ、何の変化もなかった。風の音だけが、二人の間を通り抜けていく。
「……大分、魔力を抜いたのですが?」とカイルスが首をかしげた。
「そうなのか?」エドモンドは戸惑ったように自分の手を見下ろす。「何も、感じなかったが……」
カイルスは小さくため息をついた。
「初めてでは、仕方ありませんね」
こうして、最初の試みは静かに失敗に終わった。
シルビアは行商のついでに街へ来ていた。荷を下ろしながら、ふと思う。――せっかくだし、エドモンドの顔でも見ていこう。
そうして彼女は城へと足を伸ばした。
訓練場に差しかかったとき、シルビアは思わず足を止めた。
そこには、エドモンドと、亜麻色の髪をした若い男がいた。
二人は向かい合い、何も言葉を交わさずに、ただ静かに手をつないでいる。
その奇妙な光景に、シルビアはしばし立ち尽くした。
エドモンドの訓練は、毎日続いた。
兵士たちよりも先に自分が習得したい――その強い願いが、彼を動かしていた。
「……大分、抜いたのですが」カイルスが額の汗をぬぐいながら言う。
……他人の魔力を動かすのは、非常に難しい事なのだ。
「まだだ。もう一度、抜いてみてくれ」
エドモンドの声はかすれていたが、瞳は真剣そのものだった。
カイルスは小さく息をついた。
「……これ以上は、危険です」
その言葉の直後、エドモンドの身体がふらりと揺れた。
「ほら、言ったでしょう。……肩を貸します。魔力を抜きすぎです」
カイルスは素早く彼の腕を支えた。
「……すまない」
エドモンドは力なく答える。
カイルスは無言で彼を支え、訓練場の片隅までゆっくりと歩いていった。
シルビアは、あれ以来、毎日のように城へ足を運ぶようになっていた。
ただ、少し様子を見るだけ――そう思いながら。
けれど、その日、彼女は見てしまった。
訓練場の片隅で、エドモンドがあの亜麻色の髪の男に寄りかかっている姿を。
疲れたように目を閉じ、男の肩に体を預けていた。
シルビアは立ち尽くした。胸の奥が静かに沈んでいく。
「……私の、負けだわ」
女性としてなら、誰にも負けないと信じていた。
その自負が、音もなく崩れた瞬間だった。
カイルスは、次第に思い始めていた。――エドモンド様には無理かもしれない。
いくら誠実で努力を惜しまぬ彼でも、魔力の扱いは才能に左右される部分が大きいのだ。
それでも、エドモンドは諦めなかった。
執務を終えると、毎日のように訓練場へ現れ、真っすぐな目で言う。
「今日も、頼む」
その言葉に、カイルスは苦い思いを押し込めながら応じていた。
だが、ある日、彼はついに決心して口を開いた。
「……兵士を育てたいのですが。了承をください」
エドモンドは一瞬、驚いたように彼を見つめた。
それが、エドモンド以外を頼るという意味であることを、すぐに理解したからだ。
しばらく沈黙のあと、彼は静かにうなずいた。
「……わかった。許可する」
カイルスはすぐに兵士たちを集め、一人ひとりの魔力の感応を確かめた。
結果、二人――かすかに魔力の流れを感じ取れる者がいた。
その日から、カイルスは彼らの訓練を始めた。
エドモンドは少し離れた場所で、それを黙って見守っていた。
エドモンドはカイルスに聞いた。
「子どもの頃はどんな訓練をしていたのだ?」
「……小さくて透明な玉を渡されます。それに、魔力を込めるのです。上手く込めると、お菓子とか貰えたのですよ」
「……今は、ないのか?」
「持っていたら、使っています……あれは、非常に貴重なのです」
「……他に練習方法は無いのか?」
エドモンドは必死だった。
カイルスは色々な方法を試したが良い結果は出なかった。
カイルスは、ある日エドモンドの執務室を訪ねた。
「少し手伝ってほしいのですが……」
そう言って、彼は南の森へ同行を求めた。
「猪型の魔獣を仕留めたいのです」
カイルスはそう説明した。森を訪れること二度、三度――目的の魔獣にはなかなか遭遇しなかった。
そして四度目の探索で、ようやく機会が訪れた。
茂みを割って現れた魔獣に、カイルスは瞬時に弓を構えた。矢が放たれると同時に、魔獣は一声も上げずに地に伏した。
彼は慣れた手つきで魔石を取り出し、さらに脂肪を丁寧に切り取り、布に包んだ。
その後、腰の袋から不思議な模様の刻まれた瓶を取り出す。
「……これからすることは、必ず秘密にしてください。セラフィーネ様が、特別に配慮して用意されたものです」
そう言って瓶の蓋を開けると、中から種のような小さな物体を取り出した。
それを倒れた魔獣の体内へと埋め込み、カイルスは素早く後方へ下がる。
「これから木が生えます。十本の触手を持っています。一本を残して、すべて斬り落とします。協力を、お願いします」
言葉が終わるか終わらないうちに、地面がうねり、魔獣の体から木が伸び上がった。
しゅるしゅると音を立て、異様な速さで成長する。
「来ます!」
木の触手が鞭のようにしなり、二人へ襲いかかる。
カイルスは剣を抜き、正確な動きで一本、また一本と斬り払った。
エドモンドも必死に応戦した。木とは思えないほどの力強さに、腕がしびれる。
――木のくせに、恐ろしく強い……。
木の魔物との戦いの最中、エドモンドは妙な感覚を覚えていた。
最初に剣を振るったときは、刃が弾かれただけだった。硬く、重く、斬れない。
何度も木の魔物の触手を弾く。しかし、ある一撃の瞬間――。
身体の奥で、何かが動いた気がした。
それは血でも息でもない、もっと深いところでうねる何か。
次の瞬間、木の魔物の触手は斬れた。
その様子を見ていたカイルスが、静かに言った。
「それが、魔力です」
エドモンドは息を詰めたまま、手を見つめていた。
――これが、魔力。自分の中にも、確かに流れていたもの。
触手が最後の一つになると、木の魔物の動きが止まった。
「動かないで」
カイルスは鋭く言った。
触手の先端には、先ほどの種があった。
それはゆっくりと緑から黒へと変色していく。完全に黒く染まった瞬間、カイルスはそれを切り取り、瓶の中へ戻してしっかりと蓋をした。
「……何だったのだ、今のは」
エドモンドは息を整えながら呟く。
「……木の魔物です」カイルスは静かに答えた。
二人の前には、一本の枯れ木が残されていた。
「昔、精霊と職人が協力して“封じの瓶”を作ったそうです。この魔物を、余計な労力をかけずに手に入れる――祖先の知恵です」
エドモンドはその動かなくなった魔物を見上げた。
胸の奥で、確かな差を感じていた。――知識の深さという、越えがたい隔たりを。
その後、木の魔物から得られた素材は慎重に扱われた。
魔石と魔鳥の羽根は城から、木は今のようにして用意され、すべて職人の手へと渡っていった。
城の中では一時、反対の声も上がった。
「いざという時の資金源が……」と。
しかし、オルフェウスはそれを静かに制した。
「元々、無かった物だ。必要とされる時は、今なのだ」
その言葉に、誰も反論できなかった。
そして――魔鳥の襲撃の日は、確実に、刻一刻と近づいていた。




