宴①
弓、良し。ナイフ、良し。
リリアーナが作業を終えたその時だった。
「今、良いでしょうか? セレナです」
扉の外から控えめな声が聞こえる。
「ラディン、良い?」
リリアーナは手を止めて小さく問う。
「構わない」
ラディンも短く答えた。
「どうぞ、入ってください」
リリアーナが言うと、扉が静かに開き、セレナがするりと中へ入ってきた。
「お姉様が忙しいから、代わりに迎えに来ました。あの……少し早めに来たので、お話したいのですが」
おずおずとした声。指先がそわそわと動いている。
「何か?」
リリアーナが首を傾げると、セレナは少し息を吸い込んで言った。
「あの、お姉様の旅での様子を教えて欲しいのです。いつも、なかなか聞けないので……」
うーん、とリリアーナが唸る。隣でラディンも同じように腕を組み、唸った。
「どんなことを聞きたいんだ?」
ラディンが助け舟を出すように尋ねる。
「どんなことでも!」
セレナの瞳がぱっと輝く。
再び、リリアーナとラディンが「うーん」と声を合わせて唸るのだった。
「色々教えてくれるし、優しいかな……」
リリアーナが少し照れくさそうに言う。
「教えてもらえるなんて、いいなあ」
セレナが羨ましげに呟く。
「リュートも歌も、上手だな」
ラディンがぽつりと言うと、セレナの顔がぱっと明るくなった。
「お姉様です。当然です」
胸を張るように答えるセレナ。
「いつも落ち着いていて、素敵かなぁ。弓も凄く上手だったし」
リリアーナの言葉に、セレナは勢いよく頷いた。
「そう思いますよね!お姉様、弓もとっても強いのです!!」
その瞳はまっすぐで、少し誇らしげだった。
どうやらセレナは、セラフィーネが大好きらしい。
「一緒に旅してきたのでしょう?うわぁ……」
セレナはぽつりと、羨望を滲ませて言った。
「でも、王女様なんて、わからなかった……」
リリアーナがぽつりと言う。
「そうだな」
ラディンも静かに頷いた。
セレナは一瞬、顔を曇らせる。
「それは……私の能力が……」
声がだんだん小さくなっていく。
その時、遠くからセレナを呼ぶ声が聞こえた。
「いけない、行かなくちゃ」
セレナは慌てて立ち上がり、リリアーナとラディンを広場へ案内した。
あたりはすでに薄暗く、夜の気配が満ちている。
小さな焚き火がいくつも灯され、橙の光が人々の顔を柔らかく照らしていた。
火の周りには飲み物と食事が並べられ、島の人々が次々と集まってくる。
セラフィーネが立ち上がり、穏やかに声を上げた。
「今日は、客人がいるわ。皆、一緒に食事を囲んで歓迎しましょう……」
少しの酒と果実水、そして彼女が持ち込んだ簡素な食料。
豪華な宴とは言えない。
けれど、島の人々は心から喜び、笑い、飲み、食べた。
リリアーナはというと、あまり喉が通らなかった。
「食べないの?」
セラフィーネが心配そうに尋ねる。
「……果実水を飲みすぎたのかな。今は、そんなに……」
リリアーナは言葉を濁す。
「……そう」
セラフィーネはそれ以上は何も言わず、微笑んだ。
宴が終わりに近づくころ、焚き火の火が少し小さくなった。
「折角だから、歌うわ」
セラフィーネがそう言って、そっとリュートを手に取る。
柔らかな弦の音が夜気に溶けていく。
彼女の声は相変わらず澄み、どこか祈りのようだった。
「セラフィーネ様のリュートは、いつ聞いてもいいな」
「綺麗な声よね……」
あちこちで、静かな賛美の声が上がる。
セラフィーネは一曲を終えると、ゆっくりとリリアーナの方を見た。
「この、リリアーナの歌も、聞いてほしいわ」
その声にざわめきが走る。
「リリアーナ、精霊たちに、現れて――って願いを込めて歌ってほしいの」
「何だと……」
「王女は正気か?」
人々の間に小さな動揺が広がる。
セラフィーネはそんな囁きを気にする様子もなく、
リリアーナのそばに寄り、そっと耳元で囁いた。
「あの、海での歌よ」
「でも……」
リリアーナは不安げな瞳でセラフィーネを見上げた。
「歌ってみて、欲しいの」
セラフィーネの声は静かだったが、その瞳はどこかすがるように揺れていた。
リリアーナは言葉を飲み込む。
――あの歌。
海で、海獣を呼び寄せてしまった、あの歌。
心臓が速く打ち始める。胸の奥がざわついた。
「リュートを弾いてあげるわ。ほら、合わせて」
セラフィーネが弦を鳴らす。柔らかな音が夜の空気を震わせた。
リリアーナは、恐る恐る声を合わせた。
魔力を込める。あの時の、不思議な感覚を思い出しながら――。
――けれど。
「?」
何かが、引っかかるような気がした。
それでもリリアーナは祈るように、心の中で唱える。
精霊よ……いるのなら、現れて。
想いが強くなるたび、魔力もまた脈打つように膨らんでいく。
リリアーナの全身から汗が流れ落ちた。
どれくらい、歌ったのか……。
ふっと――何かが軽くなる。
その瞬間、リリアーナの肩に白い光が舞い降りた。
お雪様だった。
「……!」
人々がどよめく。
次々と、人々の周りに光が灯っていく。
赤、青、緑、橙――
島の精霊たちが、火の玉のような姿で現れ始めた。
その光は薄く揺れながら、焚き火の光と溶け合うように漂う。
「精霊だ……!」
「いたのか……?」
人々の間に驚きと歓声が混じった。




