島の人々
リリアーナたちは島に着いた。
積み込まれていた食料品を次々と降ろすと、船は再び港を離れ、静かに沖へと戻っていった。
セラフィーネはリリアーナの方を振り向いて言った。
「次に来てもらう日を、もう約束してあるの。リリアーナたちは、それまで島に滞在してもらうわ」
リリアーナは頷きながらも、島の中へと足を踏み入れた瞬間、息をのんだ。
そこにいた人々――大人も子どもも、皆痩せ細っている。頬はこけ、肌は乾いていた。
食料が、明らかに足りていないのだ。
やがて、セラフィーネの姿を見つけた島の人々が一斉に声を上げた。
「王女様がお戻りになった!」
「セラフィーネ様だ……!」
「見ろ、食料だ!」
「いつも、本当に有難い……」
「よくお戻りに!」
「今回は早かったですね!」
その声は喜びと安堵に満ちていた。
ラディンが、目を丸くしてセラフィーネに問う。
「……王女だったのか?」
セラフィーネは小さく肩をすくめた。
「一応ね……」
リリアーナは、その言葉を聞きながら胸の奥が少し痛んだ。
自分は、セラフィーネのことをほとんど知らなかったのだ――どんな人で、どんな過去を持っているのかさえ。
ふと、島の畑に目をやったリリアーナは、もうひとつの違和感に気づく。
作物たちが、どれも元気を失っていた。
葉はしおれ、土が……固い。
城の庭で見た薬草たちは、あんなにも恐ろしいほどの勢いで育っていたというのに――
この島では、まるで力そのものが失われているかのようだった。
人々は歓声を上げながら、船から降ろされた食料品を次々と運んでいった。
久しぶりの恵みに、誰もが顔をほころばせている。
セラフィーネはそんな光景を見つめながら、穏やかに声を上げた。
「皆、落ち着いて。……客人よ」
その瞬間、群衆の中から小さな声が響いた。
「お姉様!」
声の主は、十歳位に見える少女だった。
彼女は勢いよく駆け寄り、セラフィーネの手をしっかりと握った。
「セレナ、久しぶりね。元気にしていた?」
セラフィーネが優しく微笑むと、少女はうなずいた。
「はい。……この人たちは?」
セラフィーネは振り返って二人を紹介する。
「リリアーナと、ラディンよ」
リリアーナとラディンは、それぞれ軽く会釈した。
少女は、少し照れくさそうに頭を下げた。
セラフィーネは、人々が食料品を運び終えるのを見計らって、広場に向かって声を上げた。
「今夜、広場に集まって欲しいの。……客人がいるわ。皆で、食事をしましょう」
ざわめきが走った。
この島は長らく外との往来を絶っている。
外の人間が訪れることなど、滅多にない。
ましてや、セラフィーネが二人もの客人を連れて戻るなど、誰一人として見たことがなかった。
「客人だって」「誰なんだろう」「王女様のお知り合いか?」
人々の声が波のように広がり、やがて潮風に溶けていった。
セラフィーネは振り返り、リリアーナとラディンに微笑んだ。
「二人とも、船旅で疲れたでしょう。夜まで、ゆっくりしていて。……部屋を案内するわ」
彼女に導かれ、三人は島の中心部へ向かった。
そこには、他の家々よりも少し大きな建物が建っていた。
といっても、それはあくまで“島の中では”の話だ。
平屋造りで、壁は風に晒され白く褪せ、柱にはところどころ傷跡が刻まれている。
まるで長い年月を、島とともに耐えてきたようだった。
扉を開くと、静かな空気が迎えた。
中は簡素だが、どこか厳かで、寂しさと温もりが同居していた。
セラフィーネは微笑みながら言う。
「ここで少し休んで。夜になったら迎えに来るわ」
リリアーナは部屋の中を見回しながら、静かに息をついた。
セラフィーネは飲み物と果物を盆に載せて運び込み、
「悪いわね。私が、忙しくて……」とだけ言い残すと、静かに部屋を後にした。
扉が閉まると、途端に静寂が降りる。
外では波の音が遠くにかすかに聞こえていた。
ラディンは床にどっかりと腰を下ろし、大きく息を吐いた。
「……大変そうだな」
リリアーナも隣に腰を下ろした。
島の人々の痩せた姿、元気のない作物たち。
その光景が、まだ目の奥にちらついていた。
「……そうだね」
リリアーナはふと、自分の鞄を開けた。
中には、海辺で採取した薬草がいくつか入っている。
潮風で程よく乾いたそれらに指先で触れると、不思議と心のざわめきが少しだけ凪いだ。
視線を横に向けると、ラディンが弓と矢、
そして小さなナイフの手入れを始めていた。
無言のまま、動作だけが静かに続く。
………ラディンも落ち着かないのだ。
そう思った瞬間、リリアーナも慌てて自分の装備を取り出し、手入れを始めた。
刃を拭う手が少し震えている。
やがて、ラディンが口を開いた。
「リリアーナ。……無理だと思ったら、逃げてもいいんだ。
全てを、背負う必要はない」
リリアーナは手を止め、顔を上げた。
窓の向こうから差し込む夕陽が逆光となり、
ラディンの表情は見えなかった。
「……そうなのかな。……でも、出来ることは、したい」
その言葉を口にしながら、リリアーナは幼い日の記憶を思い出した。
あの頃、食べるものが少なく、空腹で眠れなかった日。
胸の奥がきゅうと痛んだ。
食べられないのは、ただの“飢え”じゃない。
心まで削られていくような、痛みだ。
どうして、精霊は消えてしまったのだろう。
こんなに人々が苦しんでいるのに。
どうして、何もしてくれないの……?




