三人の旅路②
リリアーナは、日中、ラディンと共に護衛の役目を果たしていた。
「もっと遠くまで気配を追うのよ。心で」
セラフィーネは彼女にそう言い聞かせる。どんな時でも魔力を使い続けるように――それがセラフィーネの教えだった。
「はい……」
リリアーナは返事をするが、休まる時はほとんどなかった。
魔獣からの護衛は、時に危険を伴うものだった。
ある日、熊のような姿をした魔獣が二体、ペアで現れた。
その圧倒的な力にリリアーナは押し負け、衝撃で地面に叩きつけられ、腕に少し傷を負ってしまう。
彼女はすぐさま体勢を立て直し、とっさに治癒の術を施した。
「大丈夫か」
ラディンの声にリリアーナは答える。
「大丈夫です」
商人達は、リリアーナが無事であることに、胸をなでおろした。
旅の間、ラディンはリリアーナを沈黙して見守っていた。
ある朝のこと。
ラディンはセラフィーネに声をかける。
「……こっちへ」
彼は彼女を木陰へと導いた。
「……血がついてる」
ラディンの視線はセラフィーネの頬を捉えていた。
「返り血ね。落としたと思ったのだけど……」
彼女は淡々と答える。
ラディンは黙って彼女の頬に触れ、親指で血の痕を拭った。
「……昼くらいは、寝てろ」
「平気よ」
セラフィーネは微笑みを浮かべて言う。
「……ギリギリだろう。遠くまで魔獣を引きつけて」
ラディンの言葉に、セラフィーネの表情が一瞬だけ揺らいだ。
「……知ってたの?」
「こんなに続けて、夜に魔獣が出ないんだ。気がつくさ。……そこで魔獣を殺して、他の魔獣を寄せてたのだろう?」
ラディンは低く答える。
「私の歌とは、思わなかったの?」
「現実主義なんだ」
短いやり取りののち、ラディンは静かに告げた。
「昼間、リリアーナは俺が守る。……出来る限り、だが。……無理はするな」
セラフィーネはほんの僅かに俯き、囁くように言った。
「……ありがとう」
木陰には朝の光が差し込み、二人の影を淡く揺らしていた。
リリアーナは、セラフィーネとラディンが連れ立って木陰に消えていくのを見ていた。
「……!」
狩人の能力を使い、彼女は気配を殺して後を追う。
葉陰に身を潜め、息を殺す。
(バレてない……)
そして、見てしまった。
――ラディンが、セラフィーネの頬に触れている場面を。
リリアーナの頭に衝撃が走った。
「なっ……!?」
心臓が跳ね上がり、全身に熱が駆け巡る。狩人の冷静さなど吹き飛んで、次の瞬間――。
彼女は茂みを静かに飛び出し、まるで野兎のような速さで駆け去った。
「み、見なかったことに……いや、見ちゃったけど……。あ、あの二人が……そんな関係だったなんて」
頭の中にこだまする悲鳴。
安全圏に逃げ込むと、リリアーナは木に背を預け、崩れ落ちる。
「今まで全然わからなかった……!」
頭を抱えてごろごろ転がり、顔を真っ赤にしたまま地面を叩く。
「うぅぅ……どうしよう……次、顔合わせられない……」
――そんな騒動があったとは露知らず、木陰の二人はただ静かに話を交わしていた。
「……血がなかなか落ちないんだが。なんの血だ?」
ラディンが囁くように問う。
セラフィーネは、ふっと意味ありげに微笑んだ。
「……吸血大蝙蝠、みたいなの」
「蝙蝠? あんなものに……飛び道具なんてあったのか?」
訝しむラディンに、彼女はゆっくりと手を伸ばした。
白い指先が、髪を留めていた簪にかかる。
さらり、と音を立てるように簪が抜かれると、解き放たれた亜麻色の髪が波のように肩へ流れ落ち、きらめく。
「こうやって……」
セラフィーネは簪を指先で弄ぶように回し、軽く投げる仕草を見せる。
その動きは流麗で、まるで舞を舞うかのようだった。
「襲って来た時に、急所に、ね?」
艶やかな笑みと共に放たれたその言葉に、ラディンは息を呑む。
沈黙の中、心の奥で感情だけが揺らいだ、気がした。
陸路の旅は、概ね平和だった。
リリアーナは昼間、護衛の役目を果たし、夜は倒れるように眠り込んだ。だが、どれほど疲れていても、魔力を玉に込める作業だけは欠かさなかった。小さな玉が、銀色で満たされると、セラフィーネは「次は、これに……」と新しい玉を出した。
リリアーナは、日々の努力の甲斐あって、玉に注ぎ込まれる魔力の力は、ほんの少しずつだが確かに大きくなっていた。
セラフィーネは、昼間、時々うとうととしている時が増えた。
ある夜、眠るリリアーナを見つめながら、セラフィーネがぽつりと呟いた。
「……まだまだ、ね」
ラディンは眉を寄せて問い返す。
「こんなに、頑張っているのに……?」
セラフィーネはしばし口を閉ざし、やがて視線を落とした。
「それは、わかってる。でも……足りないのよ」
その横顔には、わずかに焦りの色が浮かんでいた。悔しさとも、苛立ちともつかぬ感情が滲んでいる。
ラディンは静かにその表情を見つめ、驚いていた。――あのセラフィーネが、こんな風に心を乱すことがあるとは。
焚き火の揺れる光が、彼女の横顔を照らしていた。




