オルフェウスとの和解
朝早く、顔を洗う水を用意した召使が、軽く扉を叩いた。
「エドモンド様、リリアーナ様。お水を……」
返事がない。
「……入りますよ」小声で告げ、そっと扉を開ける。
そして次の瞬間。
召使の目に飛び込んできたのは……ベッドでぴったりとくっついて眠る、エドモンドとリリアーナの姿だった。
「……!!」
召使は言葉を失い、音速で扉を閉めた。
だがその表情は真っ赤で、胸の内は爆発寸前。
(い、今の……わ、私……絶対見ちゃいけないものを……っ! でも誰かに言いたい!)
その葛藤の末……五分後には、厨房の皿洗い担当に話していた。
「き、聞いてよ! 二人が、ベッドで……!」
そこからは早かった。
「えっ、なにそれ!」
「本当? 嘘でしょ!?」
「いや、あの子が嘘つくわけないわ!」
瞬く間に噂は廊下へ、侍女の控室へ、兵士の詰め所へ、ついにオルフェウスとマルグリットの耳にも届いたのだ。
「まさか……」
「……本当、なの」
顔を見合わせた二人の表情は驚愕に彩られていた。
エドモンドが誠実な男であることは、彼らが誰よりもよく知っている。
だが同時に、ことリリアーナに関しては時折、危うい一線を踏み越える可能性があることも……薄々察していた。
「……あなた」
マルグリットの声音は、氷のように低く響く。
「事実確認が、必要です」
オルフェウスはごくりと唾を飲み込み、背筋を正した。
どうやら避けては通れぬ、大事になりそうだった。
「……心の準備が必要だ」
オルフェウスは深く息を吐きながら言った。
「……そうね」
マルグリットも静かに頷く。
その後、二人の相談は夕方まで続いた。
ようやく覚悟を固め、夕食を部屋で取っているリリアーナとエドモンドの様子を確かめ、食事が終わった頃を見計らって、オルフェウスはリリアーナの部屋を訪ねた。
扉を開けて目にしたのは――かつてないほど甘やかな空気に包まれた二人の姿だった。
……オルフェウスは空気に耐えられず、口を開くなり言った。
「リリアーナ、すまなかった」
あまりに想定外の言葉に、リリアーナは目を瞬かせ、驚きに息を呑んだ。
「わ、私こそ……申し訳ございませんでした」
オルフェウスは真摯に続ける。
「君の安全を第一に考えたつもりだった。だが、結果としてかえって傷つけてしまった。許してくれないか?」
「……私も、許していただけますか?」
リリアーナの頬に、ほのかな涙が光った。
二人の言葉はまっすぐに響き合い……ついに、和解が成された。
やがてオルフェウスはエドモンドに視線を向け、落ち着いた声で言った。
「ところで、リリアーナはもう一人で大丈夫だよな? エドモンド、少し話があるんだ」
「リリアーナ、離れるけど、いいか?」
エドモンドが甘い雰囲気を残したまま問いかけると、リリアーナは素直に微笑んで頷いた。
「はい」
その返事に安堵を浮かべ、エドモンドはオルフェウスと共に部屋を後にした。
オルフェウスはエドモンドを伴い、執務室へと入った。
どっかりと椅子に腰を下ろし、重々しい声で切り出す。
「エドモンド、リリアーナとベッドをともにしていたそうだが……事実か?」
「……!」
エドモンドの心中は穏やかではなかった。
……な、なぜ知っている……!? 朝は少し遅く起きただけで、ちゃんと召使を呼びに行ったのに……!
動揺を隠しきれぬまま黙り込んでいると、オルフェウスが低く問い詰める。
「どうなんだ」
逃げ場はない……そう悟ったエドモンドは、腹をくくった。
「……はい」
オルフェウスは深く、長いため息を吐いた。
「……どこまで、した」
「どこまで、とは?」
怪訝そうに問い返すエドモンド。
「……いや、その……男女の営みとか……」
言葉を濁すオルフェウス。
「そんなことは、してません!」
きっぱりとした返答に、オルフェウスの眉がぴくりと動いた。
「……寝ていただけなのか?」
「リリアーナが……抱きついてきて、その、そのまま……寝ていただけです」
顔を赤らめながら、しどろもどろに答えるエドモンド。
「本当に、それだけなのか?」
「それだけです!」
力強く答えるエドモンドに、オルフェウスは椅子に沈み込むように肩を落とした。
「……わかった。……もう、いいぞ」
その声音は、安堵と疲労がないまぜになっていた。
疑問を抱えつつも、エドモンドは素直に退室していった。
影で一部始終を聞いていたマルグリットが駆け寄ってくる。
「事実なの……?」
「……そうだろう」
オルフェウスは頭をかきながら答えた。
二人は互いに顔を見合わせ、安心と、どこか残念な気持ちが入り混じった複雑なため息をつく。
「……まったく、あの子は誠実すぎて困るわ」
「……だが、その誠実さが未来を縛るかもしれんな」
夫婦の視線は遠く、エドモンドの行く末を憂えていた。
しかし、どこか口元は緩んでいたのだった。




