三度目の襲来②
エドモンドは北東に布陣していた。
視線の先には、前回と同じく大きい魔獣が群れを従え、一定の距離を保っている。
軽率に、矢を放つわけにはいかない。兵士たちも息を詰めて構えを崩さなかった。
エドモンドは、大きい魔獣の姿に、底知れぬ恐怖を覚えた。もし自分へ向かって突進してきたなら、待ち受けるのは死のみ……。そう悟った瞬間、全身が震え、思わず息を詰めた。
だがその時、北から笛が鳴り響く。
「……また分散か!」
魔獣の群れは今回も二手に分かれて迫ってきた。
歯噛みするエドモンド。兵を動かせず、膠着の時間が過ぎていく。
北では兵士たちが必死に矢を射っていた。
矢は硬い皮膚、毛皮に弾かれ、浅い傷しか与えられない。
それでも、弱点に当たれば矢は食い込み、魔獣を僅かに怯ませた。
やがて、じれた魔獣たちは塊となり、轟音を立てて兵士たちへ突撃した。
盾を構え剣を振るう兵士たち。
魔獣避けを投げつけ、距離を作ろうとする者もいる。
だが、魔獣にとってそれはただの不快感に過ぎず、圧倒的な力の差は埋められない。
兵士たちの列がじわじわと押し潰されていった。
その時だった。
矢が一直線に飛び、魔獣の肩へ深々と突き立った。
絶叫する一頭。周囲の魔獣たちが振り返り、矢の飛んできた方向を睨む。
そこには、肩で息をしている、軽装のリリアーナがいた。……狩人としての能力は魔獣たちの位置を鮮明に描き出していたのだ。
リリアーナは冷徹な眼差しで弦を引き絞り、次々と魔石の付いた矢を放った。
狙いは正確。喉、目、胸、脚の腱…確実に命を奪う、戦力外にする一射が続く。
数頭の魔獣が悲鳴とともに崩れ落ちた。
怒り狂った一頭がリリアーナに狙いを定め、一直線に跳びかかる。
瞬間、リリアーナは腰から魔獣避けを抜き取り、魔獣の顔面へ投げつけた。
魔獣避けは飛沫となって散り、魔獣は目を灼かれたように怯む。
その隙を逃さず、リリアーナは地を蹴り、喉元へと滑り込んだ。
リリアーナは、狩人と身体強化の能力を重ねて発動していた。魔獣の弱点が見える。ナイフが魔獣の首元に深々と突き刺さる。
血飛沫とともに魔獣は地面に崩れ落ちた。
素早く距離を取り、再び弓を構えるリリアーナ。
矢を受け、仲間を斬り伏せられた魔獣たちは、次第に動きを鈍らせていく。
怯みの色が群れ全体に広がった。
リリアーナは冷静に次々と魔獣を無力化した。そして、エドモンドたちの陣へと駆け寄る。
だが、そこでは依然として膠着が続いていた。
兵たちは息を詰め、ただ睨み合うしかない。
リリアーナは狙いを定め、大きな魔獣へと魔石の付いた矢を放った。
矢は真っ直ぐに飛ぶ……しかし、魔獣は前足で弾き落とす。
エドモンドはリリアーナに気づいた。急ぎ、大弓を構える。
リリアーナもう一度、弓を引き絞る。
放たれた矢も、再び叩き落とされた。
「……!」
リリアーナは歯を食いしばり、三度目の矢を構える。
だがその瞬間、魔獣は矢を無視し、凄まじい速度でリリアーナに突進してきた。
矢を放つ――しかし脚の速さに狙いが外れる。
心臓が跳ねる。
リリアーナは震える手で次の矢をつがえ、再び射る。
その矢を、魔獣は口で噛み砕いた。
硬い牙でへし折り、咆哮を上げる。
魔獣は一瞬、足を止めた。
リリアーナとの距離はもう僅か。
腰の矢筒に残る矢は……一本。
矢を使い過ぎたのだ。
「……これで、決める」
彼女は覚悟を込め、矢を引き絞った。心臓の音が耳元で激しく聞こえる。
誰か、力を貸して……。
その瞬間。
魔獣の瞳に、ふと白い影が映った。リリアーナの肩に、ふわりと、それはあった。
視線が逸れ、注意が削がれる。
その時を逃さなかった。エドモンドは矢を放った。
先端には、魔獣避けの薬が付いている。試行錯誤の末、何とか形になった物だった。
矢は、魔獣の脚元に刺さり、魔獣避けが拡散する。
「グルァァッ!」
魔獣は苦悶の唸り声を上げ、動きを乱す。
北の方角から、かすかな遠吠えが聞こえた。
助けを呼ぶ、声に聞こえた。
大きな魔獣は応えるように声を返し、仲間の群れへと身を翻し、走っていった。
魔獣達は合流した。リリアーナによって無力化された魔獣達は、動けるのは自力で、動けないのは他の魔獣達に引き摺られていった。
……魔獣達は、去っていった。
残されたのは、静まり返る戦場と、矢を握ったまま立ち尽くすリリアーナ、そして弓を下ろすエドモンドの姿だった。
兵士たちは一斉に歓声を上げた。
「勝ったぞ!」
「退いた! 退いたぞ!」
その声は、恐怖に押し潰されかけていた空気を一変させ、勝利の喜びに塗り替えていった。
歓声の渦の中、エドモンドはただ立ち尽くしていた。
目の前にいる少女、リリアーナが、ここまで戦場を変えてしまったことに、言葉を失っていたのだ。
だがリリアーナは、視線を避けるようにエドモンドへ歩み寄り、か細い声で告げた。
「……酷い格好だから、城に戻ります」
そう言うと、すぐに踵を返し、兵士たちの前から速やかに姿を消した。
確かに、彼女の衣は返り血で真っ赤に染まっていた。
戦場に立った者の証。その凄惨さを、兵士たちでさえ目を逸らしたくなるほどに。
「リリアーナ……」
呼び止めようとしたエドモンドだったが、兵士たちが次々と彼を取り囲み、肩を叩き、言葉をかけてきた。
戦後処理の指揮も任され、彼はその場を離れることができない。
その日の被害は、兵士の怪我人少数だった。
戦場の整理が終わった頃には、夜もすっかり更けていた。
ようやく城に戻ったエドモンドが最初に尋ねたのは、リリアーナの行方だった。
「リリアーナは?」
召使いが答える。
「お休みになられました」
胸の奥で何かが引っかかる。
あれほど血にまみれ、必死に戦っていた彼女が、ただ眠っている……。
エドモンドは複雑な想いを抱えながら、自らの部屋へと足を運んだ。
翌朝、リリアーナが部屋から出る事は無かった。




