弾き語りが、城に来る
リリアーナは、連日忙しかった。午前中は弓と剣の練習を、午後からは薬草を調合した。ラディンから貰った薬を忠実に再現しようとしたのだ。しかし、材料が不足していて出来なかった。解らない薬草は、その薬の鍵であることが分かっただけだった。
ある日、知らせが入った。
「リリアーナ様、お客様がお見えです」
出迎えに出たリリアーナの前に現れたのは、腰まで届く長い亜麻色の髪を持つ妙齢の女性だった。
すらりとした肢体に流れるようなドレスをまとい、手には磨き込まれたリュート。
そして耳元で揺れるのは、銀色に光る鎧鷲の鱗を加工したイヤリング――。
「……久しぶり。元気だった?」
艶やかな声が響いた瞬間、リリアーナの瞳が大きく揺れる。
「……師匠!」
次の瞬間、リリアーナは駆け寄って抱きついた。リュートの弾き語りの先生は、セラフィーネと言った。
セラフィーネは微笑んで、その背を軽く叩く。
「遊びに来たわ」
「お会いできて……本当に嬉しいです!」
頬を紅潮させて喜ぶリリアーナの姿は、まるで少女のようだった。
「リリアーナ、元気だった?私も、会えてとても嬉しいわ。……ところでリュート、毎日練習しているんでしょうね」
問われ、リリアーナは一瞬だけ目を逸らした。
「……最近、忙しくて」
「言い訳は聞かないわ。後で弾いてみせて。確かめるから」
にこやかな笑みを浮かべながらも、瞳の奥は鋭い光を帯びている。
その気配にリリアーナは背筋を伸ばした。
夕方、約束通りリュートを手にしたリリアーナは、指がもつれて音を外し、散々な演奏をしてしまう。
「ダメね。音に心がない。指先も鈍ってる。怠けた証拠よ」
「うぅ……」
「呼吸、姿勢、力の抜き方……身体が忘れてるじゃない。これでは基礎からやり直しよ。でも大丈夫、直ぐに思い出すわ」
リリアーナはしょんぼりと肩を落としたが、叱られることすら懐かしく、どこか嬉しそうでもあった。
「……やっぱり、師匠に教わるの、好き」
その呟きに、セラフィーネの唇がかすかに笑みに弧を描く。
リリアーナは聞く。
「いつまで、こちらに?」
「まだ、決めていないわ」
「いっぱい、ここに居て欲しいです」
「そうねえ…」
リリアーナは、今迄の生活を話した。甘青草、甘甘の木、魔鳥、弓を頑張ってること…。話は、尽きない。ふと、視線を落とす。
「あの、相談があるのですが…」
少し迷った末、リリアーナはぽつりと口を開いた。
「……実は、会いたい人がいて。森で出会ったラディン、て言う人なのですが。貰った中に、どうしてもわからない薬草があって……もう一度、話を聞きたいの」
セラフィーネは黙って耳を傾けていたが、やがて細い指で顎を支えながら問い返す。
「けれど、エドモンド様は反対しているのね?」
リリアーナは小さく頷いた。
「うん……“危ないから”って。イリヤ族の人らしいの」
瞳が曇り、言葉がそこで途切れる。
セラフィーネはふっと唇の端を上げた。
「なるほど。エドモンド様の言うことももっともだけれど……私と一緒なら、許してくれるかもしれないわよ?」
リリアーナの顔がぱっと輝く。
「本当?」
「私から話してみようか。あなた一人では不安でも、私がついているとなれば、考えは変わるかも?」
「……お願いします!」
リリアーナは両手を握りしめて身を乗り出した。その目は真剣で、どこか子どものように期待に満ちていた。
セラフィーネはそんな彼女を見つめながら、どこか影のある笑みを浮かべた。
「任せて。私が必ず、話を通してみせるわ」
その言葉に、リリアーナの胸は希望でいっぱいになった。
エドモンドの執務室。
机に積まれた書類の上に差し込む夕陽の赤が、室内を染めていた。
ノックの後、セラフィーネがするりと入ってくる。長い髪を揺らし、背にリュートを負ったまま、まっすぐにエドモンドを見据えた。
「用件は何だ」
椅子から立ち上がるエドモンドに、セラフィーネは静かに告げる。
「リリアーナと一緒に、イリヤ族の所へ行くのを許可して欲しいの」
その一言に、エドモンドの眉間に皺が寄った。
「……何だと? あそこは我々と友好とは言えぬ相手だ。危険すぎる。認められるはずがない」
「反対するのね」
セラフィーネの声は平坦だったが、その眼差しは氷のように冷ややかだった。
「当然だ。リリアーナを危険に晒すなど――」
言葉が終わる前に、セラフィーネの腕がかすかに閃いた。
瞬きする間もなく、袖口から滑り出た小さな刃がエドモンドの喉元に突きつけられていた。
「……!」
エドモンドは思わず息を呑む。
セラフィーネは刃先をわずかに押し込む。
そのまま低く囁いた。
「……あの子を戦場に立たせた腑抜けが、偉そうに言うじゃないの」
エドモンドの拳が震えた。反論しようと声を張り上げかけるが――。
「リリアーナは連れていく。反対はさせない」
冷徹な瞳が至近距離から彼を射抜く。
「……待て、話を…」
その言葉を遮るように、刃がさらに押し付けられた。首筋から血が滲む。
セラフィーネの声は低く、鋭かった。
「聞く事は、無い」
セラフィーネは刃を納め、何事もなかったように背を向けて去っていく。扉が閉じる音がやけに冷たく響き、エドモンドの胸に重く残った。
執務室に残されたエドモンドは、赤い滴が滲む首の感覚も忘れ、ただ唇を噛み締めていた。
そして二日後。
城の正門前。
リリアーナは旅支度を整え、背に袋と矢筒を負っていた。隣には、凛とした姿のセラフィーネが立ち、まるで影のように彼女を護る。
「魔獣避けも持ったし、師匠もいる……」
リリアーナは笑顔で言った。
「行ってきます」
エドモンドは、彼女の瞳をまっすぐに見つめた。その顔は蒼白で、苦しげだった。言葉を選ぶ余裕もなく、ただひとことを絞り出す。
「……気をつけて」
声が震えた。
それでも、止めることはできなかった。
リリアーナは一瞬だけ立ち止まり、エドモンドの様子に不安を感じながらも、師匠に促されて歩き出す。
その背中が門を越えて見えなくなるまで、エドモンドは動かず、ただ息を詰めて見送っていた。




