リリアーナ、薬草がどうしても解らない
リリアーナは調合室に籠もっていた。窓から差し込む午後の陽光が、棚に並ぶ瓶や乾かした薬草を照らしている。部屋の中は、草や樹皮や薬液の入り混じった独特の香りで満ちていた。
机の上には、先日ラディンから渡された魔獣避けの薬が置かれていた。そして、貰った薬草を一つ一つ調べていく。
「これは……八重葉草。こっちは、夜明け花……ここに載っているのね」
リリアーナは薬草の本を片手に、落ち着いた声で確認していった。知識と照合できる瞬間には、小さく頷き、納得の表情を浮かべる。
だが、一つだけ、解らない薬草があった。
「……これ、何かしら……?」
彼女は棚からさらに他の薬草の本を取り出し、絵と文字を追っていく。しかし、いくら目を凝らしても見つからない。似ているものはあっても、決定的に同じではない。
「どの本にも載ってない……」
額にかかる髪を指で払いながら、彼女は小さくため息をついた。
(ラディンに……会えたら、きっとすぐに答えてくれる……)
解けない薬草の存在に、心がざわついて落ち着かない。リリアーナにとって、解らない薬草というのは屈辱でもあった。
その想いは、調合室を出た後も彼女にまとわりついた。庭で薬草に水をあげているときも、食事中、スープをかき回しているときも、無意識に考え込んでしまう。時折、視線が宙に彷徨い、手の動きが止まる。
そんな彼女の姿を目にするたび、エドモンドは不安を募らせていった。
「……また悩んでいる」
本に目を落とすふりをしながら、視線の端で彼女を追う。
原因はなんだ?
薬草のことか。それとも、あの金髪の男のことか。
……エドモンドは結局男の事を聞けないでいた。疑念が胸を突き上げる。しかし、問いただす言葉は喉でつかえて出てこなかった。
(もし違ったら……疑うようなことを言えば、彼女を傷つけるだけだ。けれど、もし本当にその男のことなら……?)
考えれば考えるほど、胸の奥に重たい石を抱え込むような感覚に沈んでいく。
リリアーナは、その日も調合室で例の薬草を思い浮かべていた。頭をフルに回転させても、答えは出ない。
(……矢を持っていた。森で会ったとき、確かに背に矢筒があった。もしかしたら、矢の職人なら、知っているかもしれない)
そう考えて、城に矢を納品に来ていた職人に声をかけた。職人は昔に比べて本当に少し、柔らかくなっていた。
「あの、少し聞きたいの。……金髪の男の人で、矢を使う人、知りませんか?」
職人は腕を組み、眉を寄せて考え込む。
「金髪の男……?……知らねえな」
「そうですか……」
リリアーナの肩が小さく落ちる。期待していただけに、落胆も大きかった。
「……ありがとうございます」
礼をして去っていく背中は、どこか寂しげだった。
――その様子を見送った職人は、腕を組んだままリリアーナを見送る。
「……男を探してる?」
気になった職人は、納品のついでにエドモンドの執務室を訪ねた。
「……少しいいか。娘が、妙なことを聞いてきたぞ」
「……妙なこと?」
「金髪の男を知らないか、と」
エドモンドの心臓が跳ねた。
「な……金髪の男?」
胸の奥で、早鐘のように鼓動が打ち鳴らされる。
だが領主としての威厳を崩すわけにはいかない。
「……いや、知らないな。そんな人物に心当たりはない」
努めて落ち着いた声で答える。しかし、その裏で心臓は止まる気配を見せず、さらに強く、速く鳴り続けていた。
職人はじろりと彼を見たが、何も言わずに部屋を後にした。
エドモンドは深く息を吐き出す。
(リリアーナ……やはり、あの男を探しているのか)
エドモンドは心を決めた。調合室の扉をノックする。
「リリアーナ、入ってもいいか」
窓から差し込む光の中、彼女は机に広げた薬草と本に目を落としていた。振り返った顔は少し驚き、けれどすぐに柔らかく微笑む。
「いいよ」
エドモンドは一歩踏み入れ、彼女の様子をしばし見つめる。悩みのある瞳。机の上に散らばる薬草。
「……最近、心配事があるのか? もしあるのなら、俺に話して欲しい」
リリアーナは少し視線を伏せ、唇を結んだが、やがて静かに口を開いた。
「魔獣避けを、男の人に貰ったの。でも、その中にどうしてもわからない薬草があって……これ、知ってる?」
そう言って差し出された小皿の上には、例の薬草があった。
……薬草、で悩んでいるのか……?
半信半疑のままエドモンドは覗き込むが、すぐに首を横に振った。
「……知らないな」
「そっか……」
リリアーナは小さく肩を落とす。
エドモンドは少し黙った後、低い声で尋ねた。
「薬草で、悩んでいたのか?」
「……うん」
「……もしかして、その男というのは……金髪で、緑色の瞳をしていたか?」
リリアーナは顔を上げ、ぱっと明るい表情を浮かべた。
「知ってるの?」
「……シルビアの兄かもしれない」
「シルビア?」
「ほら、前に町で会った……」
リリアーナは一瞬ぴくりと固まり、すぐにじとりとした目を向けた。
「……あの女の人の、兄?」
エドモンドは軽く肩をすくめる。
「多分」
「あの女の人の、兄……」
リリアーナは思案し始めた。
「……まさか会いに行くとは言わないだろうな。シルビアはイリヤ族の人間だ。あそこは敵というわけではないが、仲が良いとも言えない」
……何で、考えていることがわかるの……?
胸の奥でそう呟きながら、リリアーナは無言のまま指先で葉をいじっていた。
エドモンドは、リリアーナの悩みがわかった。男ではあったが、薬草で悩んでいたとは……。もっと自分を信頼して、話して欲しいと思うのだが、その術がわからなかった。




