オルフェウスの夢
オルフェウスは夢を見ていた。
まだ幼き日の記憶――父も母も若く、領地は確かに栄えていた頃のこと。
その冬は、かつてなく長く、冷たく、人々の命を容赦なく奪った。雪は春を閉ざし、遅れながらもきた夏……そこに待っていたのは安らぎではなかった。
ある日のこと、巨大な影が落ちた。人々が見上げると、羽を広げた魔鳥が舞い降り、人を、家畜を、鉤爪に掴んで空へと消えた。
翌日にはその数が増した。
逃げ場はなかった。家に閉じ籠もれば、魔鳥らは天から巨石を落とし、屋根を砕いた。嘴と鉤爪で器用に穴を広げ、血と肉を求めて家を荒らした。
人々は恐れた。だが膝を折ることはなかった。
男は弓を引き、剣を握り、夜空に影を見れば矢を放ち、地に降り立てば剣を振るった。
それでも犠牲は尽きなかった。
最初の年は、それで終わった。
「嵐は去った」と人々は信じようとした。だが翌年……倍以上の魔鳥が襲いかかり、七日のあいだ領地を焼き尽くすがごとく荒らした。
そしてその冬。北より狼型の魔獣が雪を割って押し寄せた。
かつては、夏に魔鳥の餌とされ、数を抑えられていた魔獣。今年は、増えすぎたのだ。飢えに駆られた群れが村を包み、凍える夜を赤く染めた。
夏は空より魔鳥が襲い、冬は地より狼が群れる。
民は剣を携えて戦い続けた。矢は折れ、剣は欠け、それでも抗うほかはなかった。
だが血は積み重なり、犠牲は終わらなかった。
オルフェウスは夢の中で見ていた。
焚き火の影の中で、父が肩を震わせ、唇を噛みしめながら洩らした言葉を。
「なぜ……なぜ我が代に、このような災厄が……」
強き領主であろうとした男が、ただひとりの父として声を震わせる姿。
その痛みが、幼きオルフェウスの胸を深く刻んだ。
オルフェウスは、青年になった。旅人や商人を見つけるたびに問いかけた。
「魔鳥を知っているか。魔獣を見たことはあるか。」
ある晩、焚き火を囲んで休んでいた旅人が応じた。
「魔鳥か……それは“鎧鷲”かもしれん。」
旅人の声は低く、炎に照らされた瞳が険しく光った。
「奴らはもっと北に棲む。だが餌を求めて季節ごとに渡ってくる。羽根の間には鱗を持ち、矢も剣も弾く。簡単には傷つかん。だが――」旅人は掌をひらりと返し、火を指した。「頭と胸の白い部分、そこだけが柔らかい。狙うならそこだ。肉食で、凶暴で、そして厄介なことに、人の行いを観察し学ぶ知恵を持っている。」
オルフェウスは息を呑んだ。焚き火の揺らぎが、あの翼の影を思い出させた。
別の商人が口を挟む。
「魔獣の方は、“雪豹紋”の群れだろうな。おそらく」
商人は肩をすくめ、声を潜めた。
「生態は狼に似ている。だが奴らはさらに北の氷原に群れを成して棲み、群れで狩りをする。一匹一匹はそれほど強くはない。だが数を揃え、互いに連携して獲物を追い詰める。逃げ道を塞ぎ、仕留めるまで群れ全体で動く。だからこそ厄介なのだ。人の村一つくらい、あっという間に囲まれるだろう。」
旅人と商人の言葉は重く、静かに夜の闇に沈んでいった。
オルフェウスは拳を固めた。魔鳥も魔獣も、ただの獣ではない。領地を脅かすのは、飢えた影ではなく、知恵と組織を持つ敵なのだと。
やがて夢は途切れ、目覚めの暗闇に置き換わる。
父は狼型の魔獣との戦いで受けた傷が癒えぬまま、命を落とした。
そして、同じ重荷がオルフェウスの肩にのしかかった。
次は、若き息子に、あまりに重いものを残さねばならぬ。
父が味わった胸裂ける苦しみを、今はオルフェウスが噛みしめていた。




