リリアーナの部屋
マルグリット夫人は、玄関から歩きながらリリアーナに向き直る。
「ここは、とても人が少ないの。だから原則、自分のことは自分でしてもらうわ。食事は一日三回、料理人が作る。夜は必ず皆そろって食べること。掃除は週に三回、通いの掃除人が来るけれど……気になるところは自分で掃除をしてね」
「は、はい!」
思わず姿勢を正すリリアーナ。
「本来なら、お茶でも飲んでゆっくり話をしたいのだけれど、今日は立て込んでいて。夜の食事の時にまた、話をするわ」
夫人はそう言うと、すぐにエドモンドへ視線をやる。
「エドモンド、部屋の案内とお茶をよろしくね」
「承知しました、母上」
きっちりと答える息子を残し、マルグリット夫人は急ぎ足で去っていった。
残されたリリアーナは、少し緊張の抜けた笑みを浮かべる。
「……とても、きびきびした方ね」
「母上は昔からああなんだ」
エドモンドは肩をすくめ、リリアーナを連れて城の中を歩き出した。
雪国の城は、外観どおり堅牢で素朴。けれど廊下も広間も清潔に保たれていて、無駄な贅飾はなく、実用的で整った雰囲気があった。
エドモンドはリリアーナを部屋へ案内した。
「こちらがリリアーナの部屋だよ」
扉を開けると、そこにはアイボリーで統一された部屋が広がっていた。
ふかふかの羽毛布団が敷かれた寝台、木製の棚、シンプルながら温かみのある調度品。
派手さはないが、落ち着ける雰囲気だ。
「婚約期間だから、僕の部屋とは離れている。……少し確認することがあるから、その間に荷物を片付けて休憩していて」
そう言うと、エドモンドはさっさと出ていってしまった。
「ええと……荷物は少ないから、すぐ終わるわね」
リリアーナは鞄を開き、衣服や小物を棚に収めていく。
数が少ないので、本当にあっという間に片付いてしまった。
「……暇」
やることもなく、ふと窓辺に立つ。
そこから見えたのは城の庭。
「……?」
思わず首をかしげた。
公爵家では庭と言えば、芸術品のように整えられた噴水や花壇を想像するものだ。
だが目の前の庭は、広さこそあるものの――草は伸び、木は好き勝手に枝を広げている。
「……手を入れてないのかしら?」
小さく呟いたその時。
「ただいま」
ドアが開いて、エドモンドが戻ってきた。
「あの……お庭……」
リリアーナは思わず口にする。
「すごく自然のまま、なのね」
エドモンドは窓の外を一瞥して、あっさりと答えた。
「うん、冬になると雪で埋まるからね。整えてもあまり意味がないんだ」
「…………!」
まったく予想外の理由に、リリアーナは言葉を失った。
「でも、リリアーナが残念そうにするなら、花壇くらいは作ってみようか。……あ、もちろん一緒に」
「えっ、わ、私も!?」
「うん。北国の夏は短いから、植えるなら早い方がいい」
「……そうなの?」
都や男爵領では四季がゆるやかに移ろう。けれど北では、春は一瞬で過ぎ去り、すぐに夏がやってくるらしい。
リリアーナは目を瞬かせた。
「もし作るならお花よりも薬草の花壇にしたい……」
エドモンドは目を丸くし、それからにやりと笑った。
「なるほど。実用的だ。雪国の城にふさわしいな」
「ふさわしいって……」
リリアーナは苦笑するが、どこか誇らしくも感じた。
エドモンドは窓の外を見やりながら言った。
「なら、庭の東側がいい。日当たりが一番いいんだ。土は痩せてるけど、薬草なら丈夫に育つだろう。僕も手伝うよ」
「ほんと?」
「もちろん。……ただし、出来る限りだけどね」
一階の台所に入ると、そこは驚くほどきちんと片づけられていた。
エドモンドは慣れた様子で棚から茶器を取り出し、手際よくお湯を沸かし始める。
「この辺りでは飲まれているけど、都では全く見ないお茶だよ。飲んでみて」
湯気の立つカップを差し出され、リリアーナはおそるおそる口をつけた。
「……甘い!」
思わず声が弾む。
「ここでは“甘青草”って呼んでる。発酵させるとこうなるんだ。……不思議だろ? 生で食べるととても苦いのに」
「……食べたの?」
リリアーナが思わず突っ込む。
エドモンドは真顔でうなずいた。
「子供の頃にね。名前に“甘い”ってついてたから、きっと甘いだろうって」
「……」
リリアーナはしばし黙り込んだあと、ぷっと吹き出した。
「どこに生えてるの?」
「山の中だよ。落ち着いたら採取しに行こう」
「行きたい!」
瞳を輝かせるリリアーナ。
「……まさか、生で齧ろうって思ってないだろうね?」
「え、そんなに変な味?」
「……まあ、君が笑ってくれるなら、また一緒に齧ってもいいけど」
「それはどうなの……」
二人の笑い声が、台所の石壁にあたたかく響いた。




