リリアーナ、エドモンドと会う
薬調合準備室にて
放課後。
調合室の準備室に向かったリリアーナは、扉の前で小さく深呼吸をした。
(大丈夫、大丈夫……先生が呼んでくれたんだもの)
ノックしようとした瞬間――背後に気配を感じた。
はっと振り返ると、そこに長身の青年が立っていた。
硬質な灰色の瞳。
冷たい地方特有の、白みがかった金髪。
精悍でありながら、どこか静かな雰囲気を纏ったその姿に、リリアーナは言葉を失った。
「……だ、誰?」
思わず声が出る。
青年は軽く一礼した。
「君こそ?」
戸惑ったまま、とりあえずリリアーナは扉をノックした。
「入りなさい」
中から教師の声が聞こえた。
二人で部屋に入ると、薬学教師はすぐに立ち上がった。
「来てくれてありがとう、エドモンド」
教師はリリアーナを見て、軽く紹介した。
「こちらはリリアーナだ。剣も学んでいるが、薬草や調合にも真剣でね。君に会わせたいと思った」
リリアーナは慌てて深く頭を下げ、小さな声で言った。
「……よ、よろしくお願いします」
エドモンドは一瞬驚いたように目を瞬かせたが、柔らかく口元を緩めた。
「こちらこそ」
そこから、教師が本題を切り出した。
「さて。エドモンドの辺境伯領は、この国で最も寒冷だ。だが、他と気候が違うからこそ、珍しい植生に恵まれている」
エドモンドが頷き、穏やかな声で説明を補う。
「ええ。厳しい土地ですが、雪解けの頃には特有の薬草が芽吹きます。例えば――」
彼は実際に乾燥薬草の小袋を取り出した。……エドモンドは家訓で数種類の薬草を常に携帯していた。
白い霜を思わせる葉を見た瞬間、リリアーナの瞳はぱっと輝いた。
「……こんなに、細かい葉脈……! 初めて見ました!」
教師も興味深げに前のめりになった。
「これは珍しい……効能は?」
「解熱と、鎮静作用。だが調合にはコツがいる。」
「なるほど……」
二人の薬談義は止まらなかった。
リリアーナも次々と質問を投げかけ、エドモンドも誠実に答える。
教師すら満足するほどの内容に、部屋の空気は知識と情熱で満たされていった。
――だが、気づけば外は夕暮れ。
教師は腕を組んで小さく咳払いをした。
「……そろそろ時間だな。名残惜しいが今日はここまでにしよう」
「あっ……」
リリアーナは思わず声を漏らす。
教師が片付けを始める中、彼女は恐る恐る口を開いた。
「……もし、まだ質問があったら……またここで、話が出来ますか?」
エドモンドはわずかに驚いた表情を見せ、すぐに小さく笑った。
「……ええ、まだ話していないことは色々あります。場所の使用許可さえ頂ければ」
リリアーナは胸が高鳴るのを感じながら、精一杯の声で言った。
「もしよろしければ……お願いします」
エドモンドの灰色の瞳が、静かに彼女を見つめた。
「――喜んで」
あの日から二週間。
リリアーナは次の約束を心待ちにしていた。
「次回は、辺境から薬草や魔物素材を送ってもらう」――エドモンドがそう言ってくれたのだ。
彼の言葉を思い出すたび、胸の奥が熱くなる。
(どんな薬草なんだろう。どんな効能があるんだろう……)
考え始めると、嫌がらせの声も遠く霞んでいく。
相変わらず、昼食の席では一人だし、持ち物は勝手に動かされる。プリントがわざと配られない事もある。
だが、リリアーナは少しだけ余裕を持って受け流せるようになっていた。
机に向かう夜。
リリアーナは紙とペンを手に取った。
「質問事項をまとめておかないと……」
独り言を呟きながら、薬効の整理や調合の手順を書き留めていく。
頭の中は次に聞きたいことでいっぱいだ。
ふと手が止まった。
(そうだ……師匠に手紙を書こう)
リリアーナの胸を去来するのは、学院に来る前に世話になった調合師の姿。
温かい手で薬草の扱いを教えてくれた、優しい人。
学院に来てから書いた手紙は、涙の跡で文字が滲み、何度も書き直した。
苛められた日々、孤独に押し潰されそうな日々――弱音が溢れそうだった。
だが、今回は違う。
――筆は迷わず動いた。
『珍しい薬草の話を聞きました。素晴らしいのです。
もし入手できたら送りたいです』
書き終えた紙を見つめ、リリアーナは驚いた。
涙の染みが、一滴もない。
学院に来て初めてのことだった。
「……私、本当に楽しみにしてるんだ」
胸の奥に広がる、久しぶりの希望。
それは彼女の心に、じんわりと温かさを残していった。




