アデライドとの学習時間
リリアーナは作法のレッスンで「合格」をもらえるようになっていた。
最初はぎこちなかったお辞儀や立ち居振る舞いも、アデライドの隣に並んでも恥ずかしくないほどに整っている。
そんな折、アデライドがある日、午後のお茶の時間にぽつりと言った。
「……リリアーナ、学院が始まるまで、ずっと屋敷にいてほしいの」
リリアーナは思わずサーバーを落としそうになった。
「え……でも、私はそろそろ……」
彼女の頭には、もともと考えていた計画があった。
調剤師としての勉強を深めたい。弾き語りももっと上達したい。街に戻れば顔なじみの少年に会うこともできる。両親に近況を報告することだって大事だ。
けれどアデライドの真っ直ぐな瞳を前に、言葉が続かなかった。
「……ずっと一緒にいたいの。私も学院に行く前に、もっと勉強しておきたいのよ。あなたがいてくれると、心が落ち着くし……頑張れるの」
その日のうちに、家令を通じて公爵の耳にも話が届いた。
翌日、公爵が直接リリアーナを呼び出した。
「リリアーナ。……アデライドにとって、そなたの存在は良い影響を与えておる。わしとしても、学院が始まるまで滞在してほしいと考えている」
リリアーナは胸の前で手を握りしめる。
「ですが……私は勉強もしたくて……将来は学費を免除して学院に通うことを目指していて……」
公爵は軽く頷いた。
「承知しておる。だからこそ、だ。アデライドの側仕えとして暮らすならば、彼女の学びを近くで見られる。掃除ばかりよりも、そなたにとって有意義であろう」
「……私が、アデライド様の勉強を一緒に……?」
「うむ。学問も共有すればよい。わしも出来る限り、学費免除の対策をサポートしてやろう。どうか――受けてくれぬか」
リリアーナの胸は熱くなる。
望んでいた学びへの道が、思いがけず開かれていく。
同時に、アデライドの願いも叶えられる。
「……はい。私でよければ、アデライド様のお側に」
リリアーナの返事に、公爵の険しい表情が柔らかくほどける。
そしてアデライドは、満面の笑みを浮かべてリリアーナに抱きついた。
「ありがとう、リリアーナ!」
こうしてリリアーナは「掃除の見習い」から、「公爵令嬢アデライドの側仕え」へと新たな役割を得ることになった。
アデライドのために設けられた午前の勉強の時間。
家庭教師が机の上に分厚い本を並べ、歴史と数理、礼儀作法を順に教えていく。
「では、アデライド様。この王国が建国されたのはいつでしょう?」
アデライドはペンを握りしめ、首をかしげる。
「えっと……三百年くらい前……?」
教師が言葉を選びかけたその時、隣に座るリリアーナが小声で答えた。
「正確には三百二十五年前、です」
教師が驚いて顔を上げる。
「……その通りです。よくご存じで」
アデライドがぱっとリリアーナを見る。
「リリアーナ、知ってたの? どうして?」
「家にも古い文献があって……よく読んでいたんです。弾き語りには歴史が必要だと教えられて」
リリアーナは恥ずかしそうに俯いた。
次の課題は算術だった。
「この数列の答えを……」
アデライドは途中で筆を止め、眉をひそめた。
リリアーナは一目で規則を見抜き、あっさりと解いてしまう。
「……なるほど。リリアーナは筋が良いな」
教師が感心して頷く。
アデライドは目を丸くして、羨望の眼差しを向けた。
「すごいわ、リリアーナ……私よりずっと勉強できるじゃない!」
「い、いえ……そんなこと……」
リリアーナは慌てて否定するが、アデライドは尊敬の色を隠さない。
「私、もっと頑張らなきゃ。リリアーナみたいに出来るようになりたい!」
その様子を聞いた公爵は、静かに腕を組んだ。
これまで「田舎男爵の見習い」としてしか見ていなかった少女が、娘を励まし、前へ導く存在になりつつある。
「……リリアーナ、ただの掃除役では収まらんな」
-
その日の授業が終わった後。
アデライドは「また明日も一緒に頑張りましょう!」と元気に手を握ってきた。
リリアーナも笑顔を返す。
胸の奥がじんわりと温かくなる――同時に、少し寂しさも広がっていく。
(……私はただ、学びたいだけ。誰かより優れているとか、すごいと思われるためじゃないのに……)
称賛されれば嬉しい。
でも、そのたびに、幼い頃から一人で森を抜けるために本や計算を必死に覚えた日々が蘇る。
生き延びるための知識と努力が、今になって評価されているのだ。
(アデライド様と笑い合えるのは、本当に嬉しいのに……心のどこかが空っぽのまま)
リリアーナは自分でも説明できない感情を抱えながら、アデライドの手をぎゅっと握り返した。




