ラニアはラディンに会った
「もぉ。冗談じゃないか。ただ、少し血を貰っただけだよぅ」
ラニアは、わざと可愛らしい声音で言った。だが、その言葉に反して、部屋の空気は一気に凍りつく。そして、セラフィーネの表情は、まるで絶対零度だった。
「……少し?」
目を細め、低い声で問い返す。
「……ちょっと、多かったかな?」
ラニアは舌を出し、軽く肩をすくめる。まるで悪戯がばれた子供のような仕草だった。
そのとき、エドモンドが堪えきれずに口を挟んだ。
「ラニアとリリアーナがいれば、ラディンが良くなる、と言ったな。それはどういう意味だ?」
その一言に、セラフィーネの反応は早かった。ラニアの肩を掴み、強く揺さぶる。
「何ですって。直ぐに、良くなるの?」
鋭い視線が突き刺さる。
ラニアは少しだけ面倒そうに眉を寄せ、それでも軽い調子で答えた。
「多分、できるよ~」
あまりにも無責任で、曖昧な返答。だが、その言葉に含まれる可能性に、誰もが息を呑んだ。
「今すぐ、しなさい。早く」
セラフィーネは有無を言わせぬ勢いで、ラニアの肩をがっしりと掴んだ。
「えー。でもー」
気の抜けた声でそう言いながら、ラニアはちらりとリリアーナの方を見る。その視線に、嫌な予感が胸をよぎった。
「リリアーナと、前みたいに一緒に暮らせるっていうのが条件」
その言葉に、リリアーナは完全に固まった。
……え。私?
理解が追いつかず、思考が止まる。セラフィーネはすぐさまリリアーナに鋭い視線を向けた。
「リリアーナ、それくらい、いいわよね」
拒否を許さない眼差しだった。
……セラフィーネに、そんなふうに見られてしまったら、断れるはずがない。
かなり酷いです……。
心の中でそう呟きながら、リリアーナは観念したように小さく口を開いた。
「……はい」
「じゃあ、ラディンのところに行くわよ」
セラフィーネは即座に決断し、ラニアとリリアーナの腕を掴んで歩き出した。
引きずられるようについていくリリアーナは、すっかり肩を落としている。一方でラニアは、これ以上ないほど楽しそうな笑顔を浮かべていた。
その様子を、少し離れた場所から静かに見ていたアグネッタも、ため息混じりに後を追う。
……まったく、嵐のような子ね。
そう思いながらも、彼女はこの先に起こるであろう“結果”から目を離すつもりはなかった。
「ラディン、入るわよ」
セラフィーネは返事を待つことなく扉を開け、ずかずかと部屋に入った。
「どうした……」
そう言いかけたラディンは、部屋に入ってきた紫髪の少女を見た瞬間、言葉を失った。
「調子はどうなの?」
ラニアが、まるで世間話でもするような軽い口調で尋ねる。
「最悪だ」
ラディンは忌々しそうに吐き捨てた。
「えー、これくらいで済んだんだから、全然いいと思うけど?」
ラニアは肩をすくめる。
「ふざけるな」
「それより、ラディンを治しなさいよ」
セラフィーネの声は低く、鋭かった。
「……もう。リリアーナ、ちょっとこっちに来て」
ラニアはそう言って、ベッドの傍へと近づく。リリアーナは不安を押し殺しながら、ラニアの隣に立った。
「リリアーナ、ラディンの様子、わかる?」
リリアーナはそっと手を伸ばし、魔力を通してラディンの身体を探った。
――普通の人と、違う。
「……やっぱり、足りないです」
「そうだよ。血がね」
ラニアは当然のように言った。
「リリアーナ、再生してよ」
……やり方が、わからない。知っていたなら、迷わずとっくにやっている。リリアーナは唇を噛んだ。
黙り込んだ彼女を見て、ラニアは促すように言う。
「もっと深く探って。ほら、血が生まれるところがあるでしょ」
言われるまま、リリアーナは魔力をさらに細かく、深く潜らせた。ラディンの身体の奥、奥へと。
「……?」
ふと、意外な場所で確かな手応えを感じる。
「……ここ、なの?」
胸――心臓ではない。血は、心臓で作られているわけではなかったのだ。
リリアーナは息を呑み、その感覚を確かめるように、静かに意識を集中させた。
「気づいた?」
ラニアが静かに言った。
リリアーナは言葉を返せず、ただ息をのむ。
ラニアは確認するように、ラディンの背にそっと手を置いた。
「ほら、このあたりだよね。一部分は」
その瞬間、ラディンの表情が強張った。
ラニアは低く、囁くように告げる。
「リリアーナ、再生だよ」
促されるまま、リリアーナはラニアの手のすぐ隣に自分の手を添えた。胸の奥で不安が渦巻く。
――ラディンの血を、再生する。
……本当に、これでいいの?
「リリアーナ、集中して」
鋭い声が飛び、リリアーナははっとする。
「はい」
深く息を吸い、意識を研ぎ澄ます。
魔力を細く、さらに深く――ラディンの内側へ。それは、骨の中へと入り込む。
――再生。
――ここから生まれる血よ、どうか増えて。
次の瞬間、ラディンは自分の身体の内側が、じわりと熱を帯びるのを感じた。
今まで味わったことのない感覚だった。
――何だ……これは……?
しかし、その変化に最も驚いたのは、周囲にいた者たちだった。セラフィーネ、アグネッタ、エドモンド。三人の視線が、一斉にラディンへ集まる。
青白かった顔色が、みるみるうちに血の気を取り戻していく。リリアーナはしばらく、再生に集中していた。やがて、
「……これくらい、だと思うのだけど」
リリアーナは深く息を吐き、そう呟いた。
全身から力が抜け、強い疲労感が押し寄せる。
ラニアはその様子を一瞥し、軽く肩をすくめた。
「いいんじゃない」
その一言で、部屋の空気は静かに、しかし確かに変わった。




