北の領地では
リリアーナの去った北の領地では、彼女が王との謁見を終えたという知らせと同時に、ようやくオルフェウスたちの拘束が解かれた。
兵士たちは、「命令だったのだ。恨まないでくれ」と、どこか罪悪感をにじませた表情で言ったが、オルフェウスはその言葉を本気で信じることはできなかった。
しかし、今はそれを追及している場合ではない。冬が来る。摩獣が現れる時期が、刻一刻と迫っていた。
リリアーナのいないこの状況で、摩獣にどう対処すればいいのか――。去年のように運良く姿を見せずに済む、などという甘い期待はできない。
それに、リリアーナは女性でありながら、この領地にとっては貴重な戦力だった。
オルフェウスが復帰し、以前より力を増したといっても、あれらに通用するのかはわからない。
領地を守る責務と、迫りくる脅威。オルフェウスは、重く深い悩みを抱えたまま、静かに拳を握りしめた。
同時に、オルフェウスは、去年摩獣が現れなかった理由について、ある可能性が脳裏を離れなかった。――それは、リリアーナの存在だ。
その思いを確かめるように、彼はエドモンドを呼び、真剣な面持ちで切り出した。
「去年、冬の摩獣が来なかったことについて、どう思っている?」
エドモンドは少し考え、慎重に言葉を選んだ。
「……わかりません。しかし、あの時リリアーナは“種”を身に宿していました。それが関係している可能性は、否定しきれません」
「やはり、そう思うか。今年は摩獣対策を抜かってはならない、ということだな」
オルフェウスの声には、決意の色が濃かった。
「そのほうが良いでしょう。……ならばリリアーナは現在、王城にいるのです。王に兵士の派遣を要請してみてはどうでしょう?」
エドモンドの提案に、オルフェウスは苦い顔をした。
「今まで何度も要請したのだが、すべて却下されてきたのだぞ」
「今回は事情が違います。もしかしたら考慮されるかもしれません」
エドモンドの静かながらも確信ある口調に後押しされ、オルフェウスは深く頷いた。
「……わかった。やってみよう」
そうしてその晩、オルフェウスは国王宛てに、丁寧でありながら切実な手紙をしたためた。
国王は、オルフェウスから届いた書状を読み終え、露骨に眉をひそめた。
「……リリアーナが貴重な戦力だから、王城にいる代わりとして兵士を派遣しろ、だと。どう思う?」
問いを向けられたのは、リリアーナの素性を長い時間調べ上げてきた“影”の一人だった。
男は恭しく頭を垂れたまま、低い声で答える。
「恐れ入りますが、リリアーナは北の領地では“相当な弓の使い手”として知られております。代役の用意なく断るのは……下策かと存じます」
国王は大きくため息をついた。
「……面倒だな。まあ、適当に兵士を送ればよいか」
まるで些事にしか感じていない様子で、国王は決断した。
その日のうちに、騎士団長へ通達が届いた。
内容は“北の領地に兵士を派遣せよ”。名目は魔獣被害の阻止。
人数は――三分隊でよい、と。
命令書を読んだ騎士団長は、思わず眉をひそめた。
(三分隊……? たったそれだけで本当に足りるのか……?)
疑問は胸に渦巻いたが、国王の決定に異を唱えることは許されない。騎士団長は静かに命令を受理し、準備に取りかかった。
一番若い中尉が、三分隊を率いて北の領地へ向かうことになった。
理由は単純――誰もが、寒さ厳しい冬に、さらに寒い北の地へ行きたくなかったのだ。
「適任は一番若い奴だな」
その一言で、なし崩しに任務は決まり、若い中尉は押しつけられたのだった。
もちろん、中尉は面白くなかった。
(どうして俺が……。ただの摩獣被害の警戒のために、わざわざこんな遠くまで……馬鹿らしい)
任務を“適当に終わらせて早く帰る”つもりで、彼は北へと足を進めた。
北の領主オルフェウスは、表向きは丁寧に彼らを迎えた。しかし、兵の数を確認するや否や、わずかに眉間に皺を寄せた。
(……足りない、って言うのか?わざわざ来てやったのに、もっと感謝しろよ)
中尉は胸の内で舌打ちした。
オルフェウスは言った。
「摩獣が現れた時は、私の指揮下に入ってもらう」
その言葉に、中尉は即座に反発した。
「いえ。我が軍だけで対応できます。配置さえ教えて頂ければ、指示は不要です。勿論、手出ししないで頂きたい」
(なぜ貴様の言うことなど聞かねばならん)
露骨にそう思いながら、彼は淡々と告げた。
オルフェウスはしばし中尉を見つめ、不快げに顔を歪めたが――中尉は、その視線さえも無視した。
リリアーナのいない冬、摩獣たちは現れた。あの、一際大きな摩獣の姿もあった。
オルフェウスとエドモンドは兵を分散させ、それぞれの地点で迎撃に当たった。魔力を込めた矢は遠くまで強く放たれ、摩獣たちを牽制するには十分だった。しかし、摩獣は賢い生き物だ。やがて彼らは、もっとも手薄だと判断した地点へと、一団となって襲いかかってきた。
そこは、王都から来た兵たちの配置された場所だった。王都でなら十分な戦力と見なされる彼らであっても、北の地で求められる弓矢の技量には明確な差があった。
オルフェウスたちはすぐにでも援軍に駆けつけようとした。だが、王都軍の中尉から事前に「手出し無用」と釘を刺されている。助けに行くこともできず、ただ「どうか持ちこたえてくれ」と願うしかなかった。




