リリアーナ、王宮図書館に行く
リリアーナは、アグネッタと共に城で滞在することになった。部屋に荷を置き、一息ついてから、おずおずと尋ねた。
「師匠……いえ、アグネッタ様。どちらでお呼びすればいいのでしょうか?」
するとアグネッタは、ふうと小さなため息をこぼしながら言った。
「どちらでも構わないのだけれど……リリアーナ、まず言葉遣いをどうにかしたほうがいいわ。それに、動きに品が無いわ」
「……え?」
男爵領にいた時には一度もそんなことを言われたことはなかった。
リリアーナは思わず固まる。
……ど、どういうことなの……?
その困惑を見て、アグネッタは椅子に腰掛けながらゆっくりと言った。
「リリアーナ。私はここでは“男爵領のアグネッタ”ではないの。かつて貴人たちと堂々とやり合っていた、調合師アグネッタよ。
城にいる間は、話し方はもちろん、姿勢、礼の仕方、歩き方、食事の作法、お茶の飲み方──すべてにおいて恥ずかしくない振る舞いをするわ」
厳しいが誇りのある声だった。
そして真っすぐリリアーナを見据える。
「当然、弟子であるあなたもよ」
リリアーナは思わず聞き返した。
「……弟子の私まで、そんなに必要なのですか?私は、師匠の付き人という立場なのに……。」
必要以上では、とリリアーナは思ったのだ。
しかしアグネッタは一切揺らがず言い切った。
「当然です。私の“指導力”に関わるのですから」
終始、凛として真面目そのものであった。
アグネッタはリリアーナを見るなり、ぴしりと言った。
「リリアーナ、その姿勢から問題よ。もっと背筋を伸ばして。顎を引いて……そう。それ。その感じを忘れないように。あとで薬草の知識を確認するわ。いつ、誰に、何を問われるかわからないのだから。──まさか、忘れてはいないでしょうね?」
その鋭さに、リリアーナの肩がすくんだ。
「……すこし、復習する時間を頂けませんか?」
自分の知識が急に心もとなく思え、リリアーナは弱々しく言った。
アグネッタは返事もそこそこに、さらさらと紙に何かを書きつけた。そして呼び鈴を鳴らし、外に控えていた兵士を呼んだ。
「これを王妃様に届けて。本は出来るだけ早く欲しい、とお伝えしてね」
「畏まりました」
兵士は紙を受け取り、すぐさま走っていった。ほんの少し後、息も乱さず戻ってくる。
「王妃様よりの伝言です。薬草は早めに揃えるそうです。本については、他の本も必要になるかもしれないとのことで、王宮図書館の利用許可をお二人に出されました」
そう言って、二枚の許可証をアグネッタに差し出す。
「わかりました」
アグネッタは短く答えて兵士を下がらせた。
その一連の、流れるような手際に──
リリアーナはただただ戸惑うばかりだった。
……し、師匠。まるで別人です。それに……王宮図書館って、そんな簡単に入って大丈夫なんですか……?
アグネッタは小さくため息をついた。
「あそこは遠いし広いし、探すのが大変なのよ。……リリアーナは入ったことあるかしら?」
リリアーナは正直に言った。
「一度も入ったことありません」
アグネッタは眉をひそめた。
「……“入ったことはございません”よ。言い直し」
リリアーナは慌てて姿勢を正し、
「入ったことはございません」
と言い直した。
するとアグネッタは満足げにうなずき、
「それなら、リリアーナには良い勉強になるわね。行きましょう」
と言って、すたすたと歩き出した。
──どこに向かっているのか、全く分からない。それでもリリアーナは、必死にその背を追いかけた。
アグネッタは優雅そのものの足取りなのに、歩く速度だけは容赦がなかった。すらりと伸びた背筋、揺るぎない姿勢──その後ろ姿は、まるで公爵夫人の立ち振る舞いを見ているようで、リリアーナは思わず真似をしてみた。……けれど、歩くのが難しい。
アグネッタは迷うことなく王宮の回廊を進み、振り返りもせず言った。
「ここが王宮図書館よ。……道は覚えたわね?」
「……覚えてません」
リリアーナは小さな声で答えた。先ほどから、ただついていくだけで精一杯だったのだ。
「帰りも同じ道を通るわ。リリアーナ、覚えるように」
アグネッタはぴしりと告げる。
迷路のように折れ曲がる回廊──とても覚えられる気がしない。リリアーナが不安を滲ませると、アグネッタはすぐさま言った。
「……顔に出ているわ。常に口角を少し上げるように」
「は、はい……」
慣れない頬の筋肉をぎこちなく動かし、リリアーナは必死に口角を上げてみる。
そして、王宮図書館の扉が開いた。広がった光景に、リリアーナは思わず口を少し開く。
高い天井、果てしなく並ぶ書架──その壮観に、胸の奥が一気に熱を帯びた。
その様子に、アグネッタはふっと柔らかく笑う。
「リリアーナ、気になる本があったら借りても良いわよ」
ぱあっと、リリアーナの瞳が輝いた。
アグネッタは迷いなく薬草の本棚へ向かい、指先で背表紙を滑らせると、慣れた手つきで四冊の本を抜き取った。その中には、リリアーナにも見覚えのある分厚い薬草図鑑があった。
アグネッタはその一冊をリリアーナへ差し出しながら言った。
「リリアーナ、この本の内容を明日確認するわ。それから──この後、私は王妃様と話があるから、戻るまでは図書館か部屋にいるように」
図書館にいても良いんだ──。リリアーナの胸は一瞬、弾んだ。ここで好きなだけ本を眺めていていいなんて、夢のようだ。
しかし、腕の中の薬草書はずっしりと重い。どう考えても、読み終わる頃には夕日が差し込んでいそうである。
「……部屋で、本を読んで待ってます」
リリアーナはしぶしぶ答えた。図書館への憧れと、課題の重さの間で揺れながら。




