影から国王への報告
王妃はリリアーナを私室に迎え入れた。
「リリアーナ、疲れたことでしょう。何か軽く食べられるものを用意するわ。あと、眠る場所は使用人の部屋でも良いかしら? 私が自由にできる部屋は、この城にはあまり無いのよ」
「はい。ありがとうございます」
リリアーナが頭を下げると、王妃は「部屋の準備を急がせるわね」と付き人に指示を出した。
付き人の動きは早かった。リリアーナがほっと一息つく間に、飲み物と、見た目にも美味しそうな菓子がいくつも用意されていく。
「とても疲れたでしょう? 好きな物を食べて」
王妃は、そっと労わるような声でそう促した。リリアーナは言葉に甘えて、飲み物を飲む。
ようやく、呼吸が出来た気がした。
お菓子をひとつ食べた後、リリアーナは勇気を振り絞って問いかけた。
「王妃さま、どうして私を気にかけてくださるのですか?」
――王妃は少し、遠い所を見るような素振りをしていたが、リリアーナの問いに微笑んだ。
王妃は視線で合図し、付き人を動かした。付き人は小さな器を手に取り、恭しく王妃へと差し出す。王妃はそれをそのままリリアーナへ渡した。
「見れば、わかるわ」
促されるまま蓋を開けると、そこには懐かしい香りを放つ落ち着きの葉が入っていた。
「……甘甘茶」リリアーナは思わず呟く。
「私の望みは、それの安定供給よ。公爵夫人が記念にとくれたものだけど……リリアーナ、これ、貴女が魔力を注いで成長させたのでしょう?」
「はい。そうです。魔力を注ぐと品質がよ良くなると聞いたので」
リリアーナはラニアの言葉を思い出しつつ答えた。
「そうなのね。貴女の魔力が必要なのね。それは、北の地でしか育たないのかしら?」王妃は言った。
「甘甘茶は北の地、特定の植物だと思います。他では見たことありません」リリアーナは、薬草の本でも甘甘茶は記されていなかったことを伝えた。
「リリアーナ……今日は突然の治癒を頼まれて、さぞかし疲れたのでは?」
王妃は聞いた。
「はい。とても緊張しました。……でも、まだ怪我人がいたら治せると思います」
リリアーナは自分の手を見つめて、静かに言った。
王妃は呆れたように、しかしどこか感嘆を含んだ声で言った。
「あんなにも立て続けに能力を使ったのに、魔力は切れていないの?」
「……疲れましたが、まだ魔力は残ってます」
「すごいわね……。それと、改めて礼を言うわ」
王妃は部屋の端に控えていた初老の男性へ視線を向けた。
「彼は長いこと実家の執事をしていたの。私には家族みたいな存在よ」
初老の執事は恭しく一礼した。
リリアーナは、微笑んだ。……ああ、良かった。ちゃんと、治ってる。
疲れが、一瞬溶けた気がした。
―――影は、その一部始終を聞いていた。
公爵夫人と王妃の関係、そして──“甘甘茶”という存在について。
そして影は気づいていた。王妃は、わざと自分に聞かせているのだと。早く調べ上げ、国王に奏上せよ──その無言の指示。
影は即座に動いた。
公爵家の内部へ忍び込むことは不可能だ。警備はあまりにも厳重で、隙がない。
だが、使用人たちの口は固くない。影は彼らの噂話、細かな違和感、断片的な情報を丹念に部下を使い拾い集めた。
その結果、甘甘茶には若返りの効果があるらしいことが分かった。ついでに育毛効果も──というおまけまで。
リリアーナは甘甘茶の“作り手”。
そして甘甘茶は北の地でしか育たない。
公爵夫人と王妃の密会──その事実だけでは何も断定できない。しかし、密会の直後、公爵夫人が本を作るかもしれないという情報がもたらされた。
本?
その内容は、もしかすると国王を暗に糾弾するものではないか。……王妃なら、ネタには事欠かないはずだ。
王妃の本心は、リリアーナを北の地へ返すこと。それが出来ないのなら、国王失墜も辞さない──?
影は、そう結論づけた。
影は、翌朝のまだ薄暗い頃に国王のもとを訪れた。調べ上げた事実を淡々と報告し、最後に静かに告げた。
「──王妃の意図は、おそらく、リリアーナを北の地に返すことです。……そして、可能性のひとつなのですが、それが出来ないのなら国王を、失墜させるかもしれません」
その言葉を聞いた瞬間、国王は直感で悟った。……王妃ならば、確かにそれくらいの策は平然と講じるだろう。国王がいなくても、王妃がいれば国はおそらく安泰だ。
しかし──リリアーナを手放すのは惜しい。
国王は影を下がらせた。
重たい扉が静かに閉じられる。
残された国王は、一人、深く沈み込むように考え続けた。




