ラニアとリリアーナの居場所
翌朝。
薄い朝光が差し込む中、セラフィーネは迷いなく口を開いた。
「探してみたい場所があるの。
そこは――獣も、人も寄りつかない場所なのだけど。近くに思い当たるところは?」
エドモンドは目を伏せ、低く答えた。
「……そういう場所は、全部探した。けれど、何も見つからなかった」
間髪入れず、ラディンも言った。
「俺も知っているが。ああいう場所は……気が重くなる。長く居られる場所じゃない」
それでもセラフィーネはひかなかった。
「地図を出して」
その声音に、エドモンドは抵抗することなく地図を広げる。セラフィーネは鋭い視線で地図を見つめ、
「一番、嫌な感じがした場所はどこ?」
静かに聞いた。エドモンドとラディンは迷いなく、同じ一点を指した。
「ここだ。……泉がある。だが――何もなかった」
エドモンドの声は、どこか苦い。
しかしセラフィーネの瞳は揺らがなかった。
「……いいえ。そこよ」
地図から視線を外さず、言い切った。
「ここを、もう一度探しに行くわ」
その宣言は、大きい声ではなかった、けれど強く場の空気を切り裂いた。
「じゃあ、俺が案内する」
エドモンドが短く言った。
セラフィーネが探すというその場所――。何が待つのか分からない。
それでも、行かずにはいられなかった。
心配したラディンと技術者も同行を決め、
四人は簡易の携帯食と護身用の武器を持って出発した。
エドモンドは一度も迷わなかった。…まるで何かに導かれるように、森の奥へと歩を進める。やがて、木々のざわめきが途絶えた。一歩踏み込むごとに、空気が冷たく沈む。
「……いつ来ても、嫌な感じだな」
ラディンが低く呟く。
「ああ」
エドモンドの声も、硬い。
目の前には、泉があった。深く澄みすぎた水面は、鏡のように凪いでいて――音ひとつしない。鳥も、風も、息を潜めている。
セラフィーネは無言で泉を見つめていた。
張りつめた気配が、その場を支配する。
「……どうするんだ?」
ラディンが問う。
「エドモンド、少し潜ってくれないかしら?」
その言葉に、全員が息を呑んだ。
冬の気配がすぐそこまで迫っている。泉の水は、氷のように冷たいだろう。エドモンドは、沈黙ののち、静かに答えた。
「……俺は、まだ怪我が完治していない。潜るのは、厳しい」
セラフィーネの視線が、ゆっくりと技術者に向かう。だが、技術者はすぐに首を振った。
「む、無理です……泳ぎも得意では……」
そのとき、ラディンが前に出た。
「俺が行く」
その瞳は真っすぐにセラフィーネを射抜く。
ラディンは上着を脱ぎ捨て、軽装になる。
白い息が空に溶けた。
「潜れば、いいんだな?」
「……そう。……けれど、気をつけて」
セラフィーネの声は、ほんの少しだけ震えていた。
ラディンは、何も言わず泉に足を踏み入れる。冷水が、足元から一気に身体を奪っていく。
「っ……」
短く息を吐き、ラディンはそのまま身を沈めた。
水面が揺らぎ、静寂が戻る。
ラディンは、静かに水底へ向かって潜った。
だが――異様だ。
水が、鉛のように重い。
腕も足も、思うように動かない。
しかし、ラディンは、静かに深く潜っていった。水の底、淡い光の向こうに――ラニアとリリアーナの姿が見えた。確かに、そこにいる。だが、近づこうとした瞬間、まるで透明な壁に阻まれるように、進めなくなった。
手を伸ばしても、届かない。焦りとともに、肺が焼けるように苦しくなる。もう息がもたない。
ラディンは、悔しさを飲み込みながら、水面へと浮かび上がった。
ラディンは泉から顔を上げた。激しい呼吸が、胸を打つ。
水滴を振り払いながら、岸へと上がると、息を整えつつエドモンドのもとへ向かった。
「……泉の底に、ラニアとリリアーナがいた。しかし、何かに阻まれて近くに行けなかった……」
報告を聞いたエドモンドは、かすれた声でただ一言、「リリアーナが……いるのか。まさか、本当に?」と呟くしかなかった。
ラディンは少し黙り込み、やがて自分の鞄を開いた。中を探り、ひとつの小袋を取り出す。それを、ためらいなく腕に布で巻きつけていく。
「それは、何?」セラフィーネが不安そうに問う。
「ラニアの髪が入っている。……少し、試してみる」
「え、ラニアの髪ですか?」
技術者が驚きと興味の入り混じった声を上げた。だが、その言葉が終わるより早く――ラディンは再び、泉の中へと身を投じていた。
「髪、調べたかったのに…」
技術者の言葉は、ラディンには届かなかった。
ラディンは、もう一度――深く、深く、潜った。水の冷たさが肌を刺し、鼓動が耳の奥で荒々しく響く。
――ここから、進めない。
前と同じ、見えない壁。胸の奥に焦りが滲む。ラディンは、腕に巻いた袋を力を込めて押し当てた。
次の瞬間――圧力が、ふっと消えた。
水が流れを変え、道が開く。
「……いける!」
ラディンは強く蹴り出し、さらに深く潜る。視界の向こう、淡く光る二つの影。ラニア、そして――リリアーナ。
手を伸ばす。
指先が、彼女の手に触れた。
……冷たい。恐ろしいほどに。
それでもラディンは、リリアーナの身体を抱え、地上を目指して泳ぎ始めた。




