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男爵家の六人目の末娘は、○○を得るために努力します  作者: りな
第4章

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団長の弟

団長の弟は、真夜中に考えていた。

イレーネの焼き跡が消えた――呪われし者と呼ばれ、焼かれた印が、跡形もなく。


これから彼女の周囲では、不審な出来事が起こるのだろうか。

だが、彼女の過去をどれだけ遡って調べても、あの時を除いて異常はなかった。

実際、背に火傷を負った後も、彼女には何一つ起きていない。


報告すべきか。

否、隠匿すべきか。

いっそ、火傷が原因でイレーネは“死んだ”ことにして、新たな人生を歩ませるべきか。


男は思い返す。

少女が大人へと成長する道程を、ずっと見守ってきた。


あの祖母に、愚痴ひとつ漏らさず仕え続けた姿を。

わずかな手土産でも、花が開くように笑った彼女を。


今なら、彼女を自由にできる。

今の自分には、その力がある。


かつてのように――若造と鼻で笑われる地位に、甘んじてはいない。


エドモンドと言った若者……おそらくイレーネの血縁者。

どうして存在を掴んだのか、謎は残るが――鍵はラニア。

だがイレーネは、あの少女を知らぬ様子だった。


祖母は、おそらく、先が長くはない。

では、祖母が死んだ後、イレーネはどうなる?


やはり、自分の庇護下に置くべきだ。


そこまで考えたところで、男は思考を止めた。

彼女の最も輝くべき時間を奪ったのは――他ならぬ自分だ。


彼女は己をどう思っているのか。

それを問う勇気すら持てない自分に、男は小さく失笑した。


翌朝。

まだ誰も目覚めぬ薄闇の中で、男はイレーネの部屋の扉を叩いた。

起きなければ、それでいい――このままにするつもりだった。


だが、扉の向こうから小さな声が返る。


「……誰ですか?」


「私だ」


男が低く答えると、しばらくして扉が開いた。

羽織を肩に掛け、寝起きのままの髪をわずかに乱して。


「体調は、どうだ?」


男が問うと、イレーネははにかむように笑った。


「背中の痛みは、全くありません。久しぶりによく眠れました」


「それは、良かった」


男の視線が、部屋の奥へ一瞬だけ向かう。

仮置きされたベッドには、男の祖母が穏やかに眠っていた。


「何か、飲みながら話そう」


促され、イレーネは小さく頷く。


二人は台所へ向かった。

男は湯を沸かし、二つのカップに温かな香りを満たす。


「ありがとうございます」


礼を言うイレーネに、男はためらいなく切り出した。


「君は、これからどうしたい?」


しばしの沈黙の後――


「私は、これからも奥様に仕えるつもりです」


男は、もう一歩踏み込んだ。


「祖母が亡くなったら……どうする?」


イレーネは俯き、かすかに眉を寄せた。


「……どう、なるのでしょうね」


その声は、自らの人生をどこかで諦めてしまっている響きを持っていた。


「……このまま、ここに居るのはどうだろう。

自分は不在にしていることが多いが、屋敷の管理と――祖母をここで見ていてほしい」


イレーネの肩が揺れた。


「それは……私はここで、生涯を閉じろと……?」


「違う――いや……そうなのだが、そうではないんだ」


焦りが滲む声。

イレーネが顔を上げる。

澄んだ瞳がまっすぐに男を射抜いた。


男は息を整え、決意を言葉に変える。


「自分は、君に好意を持っている」


イレーネの息が止まり、目が大きく見開かれた。


「……わかりました」


その一言と同時に、涙が頬をつたい、唇は微笑の形を描く。


今すぐ抱きしめたい。

彼女の震えを受け止めたい。


――だが男は、動けなかった。


胸を満たす歓喜と、言葉にならぬ罪悪感が、足を縫い止めていた。




イレーネは、大きな火傷を負ったあの日、自分は死ぬのだと思った。


“愛し子”――そう呼ばれてから、彼女の人生は激しく狂い始めた。

辛いこと、悲しいこと、苦しいこと。

どうして私だけ――何度もそう思った。だが、その問いに答えてくれる者は誰もいなかった。


心のどこかでは、両親に助けを求めていた。

けれど、その声は届くことはなかった。


祖母が、少しずつ優しくなっていった。

そして彼が、ほんのわずかでも気に掛けてくれるようになった。

それだけが、イレーネにとってのささやかな喜びだった。


――このまま死ねたら良い。

そうすれば、すべては終わる。

この忌まわしい背中の刻印からも、解放される。


それは彼女にとって、唯一の希望のようなものだった。


しかし――紫の髪の子が現れてから、すべてが変わった。


背中の火傷の跡が、跡形もなく消えた。


驚き。喜び。そして、不安。

感情が渦を巻き、心が揺れた。

そして翌朝――彼が訪れた。


……何? 私の処遇?


イレーネの胸を、不安が締めつける。

あの暗い牢獄の日々が脳裏をよぎる。


だが、彼の口から出た言葉は、想像もしなかったものだった。


――ここにいてほしい。

――自分は君に好意を持っている。


胸の奥が、じんわりと温かくなった。


嬉しい。

きっと、この感情にはこの言葉が一番ふさわしい――

イレーネは、静かに、そう思った。



……その二人の姿を、ラニアは物陰から静かに見つめていた。あの子は――イレーネは、もう大人になっていた。そしてこの場所で、ささやかではあっても、笑えている。昔のようなあどけない笑顔ではなくても。


ほんの少し前まで、ただ側にいるだけで良かったのに。リリアーナに抱きしめられ、誰かに褒められて――満たされていたはずのモノが、変わった…。


もう、見ているだけの自分には戻れない。


ラニアはそっと視線を外し、二人を残してその場を去った。リリアーナの眠る部屋へ向かい、ベッドの傍に立つ。


「……トイレ?」


寝ぼけまなこでリリアーナがラニアを見る。

ラニアは何も言わず、リリアーナに腕を回した。ぎゅっと、頼るように。リリアーナは驚くでもなく、優しくラニアの背を撫でた。


夜が終わり、曙光がゆっくりと差し込む。

二人を包む空気は、静かに、温かく、そしてどこか切なかった。


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