レオンの瞳
リリアーナはレオンを見つめる。
まだ、自分より幼い。こんなにも小さな手が、どれほど悔しさを抱えてきたのだろう。
やがて、リリアーナは静かに口を開いた。
「……あの。レオンと、二人だけでお話をさせていただけませんか?どうするかは、そのあと……話を伺ってからにしたいのです。」
真剣な瞳に、部屋の空気がわずかに揺れた。
リリアーナとレオンは、小さな客間へと案内された。
閉ざされた空間に、微かな緊張だけが漂う。
「少し……顔に触ってもいい?」
リリアーナはできるだけ優しく尋ねた。
「……いいよ。」
短く返すレオンの声は硬い。諦めに慣れてしまった子の声。
リリアーナは包帯越しに、そっと手をかざす。
少しだけ魔力を通してみる。
――治って……どうか……
念じる想いは届かず、
包帯の奥は、ぴくりとも反応を返してこない。
(……やっぱり、無理)
胸に、ひやりとした悔しさが落ちる。
「……治らない、だろう?」
レオンの問いはあまりにも真っ直ぐで、残酷だった。
リリアーナは返事ができなかった。
代わりに、別の問いが口からこぼれる。
「……ねぇ。どうして、泉に行ったの?」
「言いたくない。」
レオンは顔をそむけた。空気がまた重く沈む。
しばらくの沈黙。
それを破ったのは、リリアーナだった。
「……あのね、私……死にかけたことがあるんだ。」
レオンは顔を上げた。
「私ね、ここにはもう住めないって思って……その場所から黙って出たことがあるの」
リリアーナはゆっくりと語り始めた。
「誰にも言わずに、隣町へ向かう途中……雪苺が生えてて。美味しそうだったから、つい食べちゃって」
少し苦笑を混ぜる。
「……そしたら、それは雪苺と違って。強い毒のある実でね。倒れちゃったの」
「……すごいな」
思わず漏れたレオンの言葉に、リリアーナはむっとしたように眉を寄せる。
「すごいな、じゃないの。大変だったんだから。エドモンド様、すごく怖い顔してたし……私は甘くて美味しい実を食べたつもりだったし」
レオンはぽつりと尋ねた。
「……叱られなかったのか?」
「叱られは、しなかったよ。みんな心配してた」
レオンの指が小さく震えた。
「……母さんが、泣いてた。なんで、こんなことにって」
リリアーナは静かに目を伏せ、小さく言った。
「理由なんて聞いても……結果は変わらないのに、ね」
レオンは唇を噛む。
「だから……言いたくない」
リリアーナはふっと微笑んだ。
「どうせ……ただ泉を見たかっただけでしょ?」
レオンは強く首を振る。
「違うよ」
そして、ぽつりとこぼれた。
「……ひとりで泉に行って、銀貨を投げたら……願い事が叶うって……聞いたから」
言ってしまった。そう言わんばかりに、レオンはぎゅっと拳を握り締めた。
「願いって……何?」
リリアーナがそっと問いかける。
「……誰にも言うなよ」
レオンはぎゅっと唇を噛みしめた。
「父さんみたいに、強くなりたいって……願ったんだ。それが、この結果」
肩が落ち、レオンの顔は影に沈む。
リリアーナは、胸の奥がきゅうっと締めつけられた。
――そんな願い、誰だって言えない。笑えない。
「こんな目じゃ、もう無理だ。何も、出来ない……」
レオンの声は震えていた。
「父さんだって、僕に気を使って……
こんなところにまで連れてきたけど……」
かすかに息を呑む。
包帯の下、閉ざされた瞳が見える気がした。
「……僕だって……。見えるようになりたいよ」
泣き出しそうな声。
その叫びは、幼さと必死さが入り混じった痛みだった。
リリアーナは、何も言えなかった。
言葉が、どれも軽すぎて。
ただ、レオンの近くで静かに息をしていた。
しばらく沈黙の時があった。
「……さっき聞いたことは、誰にも言わないわ」
リリアーナは、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「だから……私が毒の実を食べたことも、他の人には内緒にしてね」
「……知られたら、嫌なのか?」
レオンの声は淡々としている。
「……少し、恥ずかしい」
リリアーナが答えると、レオンは小さく鼻で笑った。
「一晩……治せるかどうか、考えてもいい?
目を……見てもいいかな?」
「いいよ」
レオンは微かに頷いた。
リリアーナの指先が、そっと包帯に触れる。
一巻き、また一巻き――慎重に解いていく。
そして、そっと瞼を持ち上げた瞬間。
言葉が、消えた。
そこにあるはずの光は――何も無い。
黒々とした、あまりにも深い空洞だけ。
ひっ、と喉の奥で悲鳴が上がりかける。
握った指先から、体温が抜ける。
鼓動が痛いほど跳ねた。
リリアーナの動揺を感じ取ったように、
レオンが静かに言った。
「……やっぱり、無理だろう?」
もう、諦めることに慣れた声だった。
リリアーナは……何とか声を絞り出す。
「……一晩、考えさせて」
それしか言えなかった。
それしか、言えなかったのだ。
二人は皆の元へ戻った。
リリアーナは、ぎゅっと指を握りしめたまま、団長に言った。
「……一晩、考えさせて貰えませんか?」
沈痛な面持ちの少女を見て、団長は言葉を失ったまま、ただ頷いた。
エドモンドもラニアも、何も言わずにその様子を見守るだけだった。
こうして一行は、団長の弟の家にもう一晩滞在することになった。
その夜――
リリアーナは眠ることができなかった。
レオンの傷ついた姿が何度も脳裏に浮かぶ。
どうにかして、治してあげられないだろうか。
ほんの少しでも、見えるようにできないのだろうか。
自分の瞳へ意識を向ける。
魔力が血液のように、体の隅々を巡っているのが感じられる。
目にも、確かに魔力が流れている。
――だが、レオンは。
触れた時に分かった。
彼の瞳には、魔力の欠片すら残っていなかった。
(……こんなの、どうすれば)
レオンの「諦め」に満ちた声が、耳から離れない。
――見えるようになりたいよ。
その言葉が胸を焼きつづけた。
リリアーナは、暗闇の中でただ一人、
夜が明けるまで考え続けたのだった。




