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男爵家の六人目の末娘は、○○を得るために努力します  作者: りな
第4章

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リリアーナ、イレーネを治す

男は、静かに口を開いた。

「もう一度、聞くが――君は、本当に治癒の能力を持っているのか?」


その問いに、リリアーナは息を呑んだまま固まった。

沈黙が部屋を満たし、灯の揺らぎだけがかすかに影を動かす。


代わりにエドモンドが口を開いた。

「……だとしても、簡単に治癒の能力は使えません。事情がありまして」


男は頷き、低く答えた。

「そのとおりだ。治癒の力というのは、個人差が大きい。小さな怪我しか癒せない者もいれば、死の淵から救える者もいる。……しかし――ラニア、と言ったか? 君は確か、“リリーなら治せる”と言っていたね」


ラニアは涙の残る目で、真っ直ぐに男を見上げた。

「うん。リリーなら、治せるよ」


男は小さく息を吐いた。

「……そうか。ならば、こうしよう。もし治癒の能力を隠しているのなら、イレーネが回復したことは、誰にも分からないようにする。普通に治る時期まで、ここで隠れて過ごしていればきっと大丈夫だ」


エドモンドは眉をひそめた。

「……ですが、秘密というものは、いつか漏れることもある」


男は静かに頷いた。

「その時は、出来る限り彼女の安全を最優先にしよう」


その言葉には、真剣さがあった。だが、それでも二人の胸には迷いが残る。

リリアーナはエドモンドを見つめ、エドモンドは小さく首を振った。

どちらの目にも、簡単には答えを出せない葛藤が浮かんでいる。


沈黙の中で、ラニアがぽつりと呟いた。

「……もしイレーネの怪我が治ったら、いっぱい話をしたりできるのかな?」


男はその言葉に、ふと目を細めた。

――この子は、町にいた頃のイレーネを知っているのかもしれない。買い物に来ていた時に、何度か顔を合わせていたのだろう。


「もちろんさ。怪我が治ったら、きっとたくさん話せるよ」

男の声は、優しく、どこか温かかった。


ラニアはその言葉に顔をくしゃりと歪めた。

「ねえ、リリー……お願い。イレーネを治して」


そう言って、彼女は小さくしゃくり上げながら泣き始めた。

その声は、抑えきれない思いと祈りが混じり合ったような、幼い震えだった。


リリアーナは、そんなラニアの背をそっと抱き寄せ、胸の奥が痛むのを感じた。

エドモンドも、拳を静かに握りしめる。


部屋の中には、沈んだ夕暮れの光が差し込み、

三人の影を柔らかく包み込んでいた。


「……私、治してみます」


リリアーナの声は、小さく、それでもはっきりと響いた。

部屋の空気が、少しだけ動いたように感じられる。


「……しかし――」

エドモンドが制止の言葉を口にしかけた。


けれど、リリアーナは静かに首を振った。

「ずっと辛い思いをしている彼女を、このままにしておくのは……私自身が、嫌なのです。お願いです。我が儘だと思って、聞いてください」


その瞳は、決意と優しさが混じり合っていた。

エドモンドは言葉を失い、しばらくリリアーナを見つめた。

やがて、深く息を吐く。


「……仕方ない、な」

その声には、あきらめではなく、静かな信頼が滲んでいた。


男は少し驚いたように目を瞬かせた。

「……お願い、できるのか?」


リリアーナは迷いなく頷いた。

「必ず治るとは言えませんが……努力してみます」

その言葉は、夜の静けさに溶けるように穏やかだった。


外はもう、暮れかけていた。

窓の外に見える空は紫と群青のあわいを帯び、

遠くで鳥の声がひとつ、消えるように響いた。


「今日はここで泊まっていくといい」

男がそう申し出たとき、エドモンドは一瞬、言葉を選ぶように黙った。

しかし、今夜泊まる宿は決めていない。断る理由もなかった。


「……お言葉に甘えます」

静かにエドモンドは答えた。


イレーネを見に行った男は、イレーネが静かに寝ているのを確認して言った。

「……治癒は明日にしてくれないか?彼女は、寝ているから」


それを聞いたリリアーナはそっと息を吐いた。明日、必ず彼女を助けたい――そう胸の奥で強く願った。


翌朝。

まだ柔らかな朝の光が窓辺を照らすころ、リリアーナは静かにイレーネの部屋の扉を開けた。


「……入ってもいいですか?」

その声に、イレーネはゆっくりと頷いた。


エドモンドと男は外で待ってもらうことにした。

部屋の中には、ラニアと年配の女性が少し離れた場所で見守っていた。


リリアーナはそっとベッドのそばに近づき、柔らかな声で言った。

「私はリリアーナと申します。これから、背中の治療をしてみますね。……背中を見てもいいですか?」


イレーネは静かにうなずき、体を横にして背を見せた。

包帯を解くと、焦げついたような皮膚が目に入る。

赤黒く焼けただれた跡は、痛みを語るように広がっていた。


リリアーナの胸が締めつけられた。

「こんなに……」

それ以上の言葉は出なかった。


彼女は深く息を吸い、両手をそっとかざした。

瞳を閉じ、心の奥底で祈るように願う。


――治って。どうか、この痛みを終わらせてあげて。

――お願い……全て、癒えて……。


やがて、手のひらの中から淡い光が生まれた。

その光はイレーネの背を包み込んでいく。


けれど、途中でリリアーナは胸の奥に小さな違和感を覚えた。

……昔の傷? 何かが、引っかかる……。

それでも彼女は目を閉じたまま、光を途切れさせなかった。


どれほどの時間が経ったのだろう。

額に汗が滲み、全身が重く感じられる。

リリアーナは息を切らしながら、ゆっくりと目を開けた。


そこにあったのは――

もう、傷ひとつない、滑らかな肌だった。


リリアーナは一瞬、信じられなかった。

そして小さく息を吐き、震える声で言った。


「……できた……」


その言葉を合図に、ラニアが駆け寄った。

「リリー! すごい! 本当にすごいよ!」

小さな体でリリアーナに抱きつく。


年配の女性は両手で口を覆い、涙をこぼした。

「……奇跡、だわ……」


その瞬間、部屋の空気がやわらかく揺れた。

光がカーテンの隙間から差し込み、イレーネの頬を優しく照らす。

イレーネはゆっくりと目を開け、呟いた。


「……痛く、ない」


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