女の子の名前はラニアに
マルグリットはラディンと女の子を衣装部屋へと案内した。
「時々、風を通しているから大丈夫だと思うわ」
そう言いながら、長い年月を感じさせる木の扉を開けた。淡い光が差し込む中、女の子はラディンの腕から降り、静かに立った。
マルグリットは扉から小さな服を取り出し、女の子の肩にそっと当てる。
「少し大きいかしらね」
その手元を見つめながら、女の子が言った。
「あの子の、服だね」
マルグリットの手が止まった。
「……知っているのね」
小さく息を吐いて、再び手を動かす。
女の子は続けた。
「ねえ、あの子に会いたい?」
マルグリットはしばらく黙っていたが、やがて低く答えた。
「……今さら、だわ」
女の子は首をかしげるように言った。
「ぼくは、会いたいな。もし見つけたら、会いたい?」
マルグリットはふと手を止め、女の子を見つめた。その瞳には微かな揺らぎがあった。
「……我が子に、会いたくない、て思う親なんていないわ」
「ふうん。置いていったのにね」
その一言で、マルグリットの指先が震えた。
ラディンは静かにしゃがみ込み、女の子と目を合わせる。
「俺たちの世界は、お前たちとは違うんだ。どうしても、できないことがあるんだよ」
低く、静かに話す。
女の子の目に、みるみる涙がたまっていく。
「だって、あの子、泣いてたから……」
その涙を見て、ラディンはそっと女の子を抱きしめた。
「これから、いろいろ知ればいいんだ……。」
部屋には布の匂いと、静かな嗚咽だけが残った。
女の子は新しい服を身につけた。
白い襟のついた淡い青のドレスに、小さなリボンが胸元で揺れている。髪にもマルグリットが選んだ細いリボンを結ばれ、光を受けてきらりと輝いた。
くるり、とその場で回ると、スカートの裾がふわりと広がる。
「マルグリット、有難う!」
女の子は笑顔いっぱいで言った。さっきまで涙で濡れていた頬が、もうすっかり晴れている。
マルグリットはその姿を見つめ、静かに微笑んだ。
「よく、似合うわ」
その声には、どこか懐かしさと、胸の奥を掠めるような痛みが混じっていた。
――そして三人は、リリアーナたちの待つ部屋へ戻った。
女の子はラディンの手をしっかり握りしめている。
そこではすでに、女の子をどう呼べばよいのか、話し合いがされていた。
オルフェウスとエドモンド、そしてリリアーナは、真剣に――いや、少し困ったように――話し合っていた。
「名前がないと、不便だろう」
と、オルフェウスが腕を組みながら言う。
「そうねぇ……。お雪様だから、“ユキちゃん”はどう?」
とリリアーナが明るく提案した。
沈黙。
エドモンドとオルフェウスは、顔を見合わせて微妙な表情を浮かべる。
(それは……ちょっと、安直すぎるな)
二人の思考は見事に一致していた。
「本人に聞くのはどうだ?」
エドモンドが口を開く。
「まあ、それが一番だな」
とオルフェウスがうなずく。
リリアーナは、少し考えてから手を合わせた。
「ねえ、“ラニア”っていうのはどうかな? “光”っていう意味なの。ほら、あの子、光と共に現れたでしょ。この先も光に包まれるように、って」
「まあまあ、だな」
オルフェウスは鷹揚に言ったが、エドモンドはふと眉をひそめた。
(待てよ……“ラニア”って、“ラディン”の“ラ”と、“リリアーナ”の“ア”が入ってるじゃないか……)
その偶然に気づいた瞬間、彼は思わず口を開いた。
「……待て」
そのとき――。
扉の外から、元気な声が響いた。
「いいね! ぼく、ラニアって名前がいい!」
勢いよく扉が開き、女の子が満面の笑顔で飛び込んでくる。
そのままリリアーナに抱きつき、笑いながら言った。
「ありがとう、リリアーナ!」
部屋の中に、柔らかな笑い声が広がった。
まるでその名が、最初から決まっていたかのように
エドモンドは、言葉を続けられなかった。
喉の奥に引っかかったような違和感と、胸の奥をくすぐるような感情が、言葉を奪っていく。
リリアーナが、優しく微笑んで言った。
「じゃあ、ラニアって呼ぶわね」
「うん!」
ラニアはぱっと顔を輝かせると、少し首をかしげながら尋ねた。
「ぼくは、リリアーナのこと、“リリー”って呼んでいい?」
そのあまりにも無邪気な笑顔に、リリアーナは思わず笑ってしまう。
「いいわよ」
「大好き、リリー!」
ラニアは勢いよくリリアーナに抱きついた。
「ふふ、可愛くしてもらったのね」
「うん!」
リリアーナの胸元で、ラニアは嬉しそうに頷いた。
二人のほのぼのとした光景を見つめながら、エドモンドはなぜか胸の奥に小さな敗北感を覚えた。
理由は分からない。ただ、リリアーナの笑顔があまりにも柔らかくて――その隣に自分が立っていないことが、少しだけ寂しかったのかもしれない。それとも、リリアーナの愛称を普通に呼ぶ権利を、堂々と奪われた事にか……。
そんなエドモンドの肩を、ラディンがぽん、と叩いた。
「……なんか、すまない」
エドモンドは苦笑して、肩をすくめた。
「……別に、いいさ」
そう、相手は子どもなんだ……。エドモンドは心の中で呟いていた。




