二人の旅路
リリアーナは船から降りた。降りる前にお雪様に言った。
「ここからは、お雪様は目立つかもしれないの。姿を消していてくれる?また、領地に着いたら、現れていいから……」
お雪様は、姿を消した。
リリアーナとエドモンドは、乗り合い馬車で帰ることにした。次の町で一度降り、次の馬車を待つ間、エドモンドが言った。
「少し歩こうか。じっとしてると疲れるし」
リリアーナは小さくうなずくだけだった。
通りには人の声と、焼き立ての匂いが混じって流れてくる。
エドモンドは周りを見回しながら、わざと明るい声を出した。
「ほら、見てみろ。あの果物、珍しくないか? なんだろうな、あの形」
「……手の形?」
リリアーナが少しだけ顔を上げた。
「そう、見えるね。……食べられるのかな?」
「知らない。……でも、気になるね」
エドモンドは、その小さな言葉にほっとする。
さらに通りを歩いていくと、甘い匂いが風に乗ってきた。
「お、いい匂い。焼き菓子だよ。買ってみる?」
「……ううん、今はいい」
「そっか。じゃあ俺が食べる」
そう言って、エドモンドは屋台で焼き菓子をひとつ買い、半分に割った。
「半分、あげるよ」
「……うん。……あ、美味しい……。」
リリアーナが少しだけ口元をゆるめる。
「もうひとつ、買おうか」
「……うん」
「少し、待ってて」
エドモンドは弾んだ声で答えた。
リリアーナは小さく息をついたが、その肩がほんの少しだけ軽くなったように見えた。
次の馬車が来るころには、彼女の目の奥に、ほんのりとした光が戻っていた。
それを見たエドモンドは、何も言わずにその隣を歩いた。
旅の道が進むにつれて、リリアーナの顔に少しずつ血の気が戻ってきた。
エドモンドが「……薬草を売ってるな」と指さすと、リリアーナがぱっと顔を上げる。
「見ていっても、いい?」
「もちろん」
二人は足を止め、屋台の前に並んだ。乾いた葉や花の香りがふわりと風に乗る。
「うーん……あれと、これと、それも気になる」
リリアーナは指先で薬草の入った瓶を指しながら、楽しそうに目を動かした。
「……荷物になるから、そんなに買えないが」
エドモンドが少し困ったように言うと、リリアーナは唇を尖らせた。
「わかってる。でも、ここで別れたら、二度と会えないかもしれないよ?」
その言葉に、エドモンドは一瞬、返す言葉を探した。
けれど、彼女の瞳が楽しげにきらめいているのを見て、苦笑まじりに言った。
「じゃあ、少しずつなら買うか……」
「やったぁ!」
リリアーナが小さく跳ねるように笑う。
その笑顔は、道端の陽だまりみたいに明るくて、エドモンドの胸の奥まであたためた。
「……そんなに嬉しいか?」
「うん。だって、どれもとっても珍しい!」
「そっか」
エドモンドもつられて笑った。
ふたりの笑い声が、通りのざわめきに混じって、柔らかく響いた。
昼間はあれほど笑顔を見せていたリリアーナだったが、夜になると少し様子が違った。
町の外れにある夜営地には、乗り合い馬車の客や歩きの旅人たちが、思い思いに火を囲んでいる。焚き火の赤い光が、ゆらゆらとリリアーナの横顔を照らしていた。
「……もし、寝ている間に種から芽が出たら、どうなるのだろう?」
ぽつりとこぼれたリリアーナの言葉に、エドモンドは息を止めた。
リリアーナは地面にへたりと座り込み、立てた膝に顔を埋めていた。
「……怖い、な」
エドモンドが静かに言う。
「……うん」
小さな返事が、焚き火の音に紛れる。
彼女の肩が小さく震えているのが、火の明かりの中でもわかった。
エドモンドは言葉を探しながら、少し間を置いてから言った。
「……まだ、何も決まってない。明日は、明日だ。……今は、寝よう」
「……うん。そうだね」
リリアーナの声はかすかで、けれど少しだけ落ち着いたように聞こえた。
エドモンドはしばらく黙って彼女を見てから、少し冗談めかして言った。
「……不安なら、一緒に寝るか?」
「一緒に?」
リリアーナが顔を上げる。月明かりの中で、その瞳が揺れた。
「な、何もしないよ。ただ、隣で寝るだけだ」
慌てて両手を振るエドモンド。
リリアーナは少し考えてから、こくりとうなずいた。
「……うん」
二人は焚き火のそばに並んで寝床を作った。
二人はなかなか眠れなかった。しかし、エドモンドの寝息が、静かに夜の空気に溶けていく。その気配を感じて、リリアーナはそっと目を開けた。
焚き火の光はもう弱く、赤い残り火が小さく揺れている。
あたりは夜露の気配に包まれ、虫の声が遠くで途切れ途切れに響いていた。
すぐそばに、エドモンドがいる。
手を伸ばせば届く距離。ほんの少し指を動かせば、そのぬくもりに触れられるのに。
けれど――その一歩が怖かった。
触れてしまえば、心のどこかが壊れてしまう気がした。
リリアーナは、伸ばしかけた手をそっと胸の前に戻す。
そして、自分の腕で自分を抱きしめるように、きゅっと身を丸めた。
焚き火の赤が、彼女の頬を淡く照らす。
その光の中で、リリアーナの瞳だけが、静かに、深く揺れていた。




