リリアーナが知ったこと
セラフィーネは、沈黙の中で口を開いた。
その声は静かだったが、部屋の空気を一瞬で張りつめさせるほどの緊張を帯びていた。
「……その“種”は、もう取り出せないの?」
セレナは青白い炎に視線を落とし、耳を傾けるように目を細めた。
お雪様はふわりと、炎は、かすかに脈打つように揺れた。
セレナは言葉を続けた。
「……"1日かけて、リリアーナに馴染ませた。もうリリアーナの一部で、自分では出せない”……と」
その言葉が部屋に落ちた瞬間、誰も息をしなかった。
ラディンが、わずかに声を震わせながら問う。
「……リリアーナが、死ぬことは……ないよな?」
セレナはまた、炎に目を向ける。
光がゆっくりと揺らめいたあと、彼女は小さく唇を動かした。
「……“種が芽を出し、成長している間は……精霊もリリアーナを守る”。
……でも、“種が成長を終えたとき、どうなるかは分からない”……そう言っています」
誰も言葉を返せなかった。
窓の外の風の音が、遠くの波の音と混ざり、やけに冷たく聞こえる。
セレナの指先が小さく震えていた。
セラフィーネは目を伏せ、静かに息を吸う。
ラディンの眉間には深い皺が寄り、エドモンドはただリリアーナを見つめていた。
そして――リリアーナは。
目の前で交わされる言葉の意味を理解しようとして、ただ、立ち尽くしていた。
自分の体の中に、“種”がある。
それは、自分の魔力と血で育っていく。
頭では分かっても、心が拒んでいた。
信じたくない。
けれど、精霊は嘘は言わないはずだ。
喉の奥がきゅっと締めつけられ、息が苦しくなる。
彼女の耳には、波の音さえ遠く、世界が静かに歪んでいくように感じられた。
「……本当、なの……?だって、私、何も変わってないよ?……種、なんて、わかんないよ?」
かすれた声が、誰にも届かないほど小さく漏れた。
部屋の中に、重い沈黙が落ちた。
「リリアーナ――大丈夫だよ」
エドモンドの声は震えていた。
その目は真っすぐで、必死で、どこか幼い誓いのようにも聞こえた。
リリアーナはゆっくりと顔を上げる。
その瞳には、戸惑いと哀しみが揺れていた。
「……どうしてわかるの?」
問いかけは静かだったが、その響きは刃のように鋭く、エドモンドの胸に突き刺さった。
「今は、方法はわからない。でも――いつか必ず、何とかする」
その言葉に、リリアーナはかすかに笑った。
けれど、それは希望ではなく、諦めの色を帯びた微笑みだった。
「……無理、だよ。きっと」
その声は、消え入りそうに小さい。
それでも、確かに届いた。
エドモンドは拳を握りしめた。
「まだ、芽が出てないんだ。そんなこと、言うな……」
思わず声が荒くなる。
彼の中に渦巻くのは、怒りでも悲しみでもなく――ただ、無力感だった。
どうして、彼女を救う方法を知らないのか。
どうして、ただ見ていることしかできないのか。
リリアーナは答えなかった。
その沈黙が、何よりも痛かった。
そのとき――お雪様がふわりと降りてきて、リリアーナの肩に触れる。
まるで、「リリアーナは自分のもの」とでも言うように。
誰にも渡さない、とでも主張するように。
エドモンドの胸が、強く締めつけられた。
彼女の肩に寄り添うその精霊が、
今や――リリアーナを“縛る存在”に見えた。
その夜――島は、深い静寂に包まれていた。
風も止み、ただ、波の音だけが遠くでかすかに響いている。
エドモンドは一人、海辺に立っていた。
潮の香りが胸に満ち、冷たい風が頬を撫でる。
瞼を閉じれば、リリアーナの姿が浮かぶ。
あのかすかな笑顔、肩に寄り添う白い精霊――。
伸ばした手の届かない場所に、彼女がいる。
「……必ず、助ける」
呟いた声は、波にさらわれるように消えた。
それでも、その言葉は確かに、この胸の奥に刻まれた
エドモンドは空を見上げた。
青白い月が、静かに彼を見下ろしている。
その光が、まるで祈りのように彼を包み込んだ。
「どんなことがあっても、必ず――」
言葉の先を風がさらう。
波が寄せて、また引いていく。
その夜、彼は一人きりで誓った。




