リリアーナ、エドモンドに会う
エドモンドは島に降り立った。船は水や食料などを補給し、三日後に出港する予定だという。船員の一人が、「前の航行のとき、紫色の髪をした少女を乗せた」と話していた。……リリアーナは、この島にいるはずだ。
しかし、どこへ向かえばいいのか、見当もつかない。エドモンドは足を止め、静かに周囲を見渡した。
その頃、リリアーナはお雪様と戯れていた。
あのとき――セラフィーネを治癒している最中に聞こえた声。
あれは、お雪様のものだったのだろうか。
ふと、リリアーナはお雪様に語りかけた。
「ねぇ……お話、できないのかな? “イイモノ、クレタラ”って……たしかに聞こえたのよ?」
お雪様は答えない。ただ、ふわふわと浮かび、風に揺れていた。
「うーん、何なのかなぁ……」
リリアーナが呟いたそのとき、遠くから声が響いた。
――船が来たぞ。
セラフィーネが言っていた、リリアーナ達の帰りの予定に使う、船でもある。
「ラディン、船を見に行ってくるね」
考え事をしていたラディンにそう告げると、彼は短く「ああ」とだけ返した。
だが、リリアーナが立ち去ろうとした瞬間、ラディンは眉をひそめ、彼女の腕を掴んだ。
「待て、リリアーナ」
振り向いたリリアーナの顔には、いつもの笑み。
いつもと変わらない、はずだった。
「……いや、なんでもない」
ラディンは手を離した。
「変なの」
リリアーナは小さく笑い、軽やかに歩き去っていく。
その背中を見送りながら、ラディンの胸には説明のつかない違和感だけが残った。
リリアーナは島で唯一の港を目指していた。
鎖国をしているこの島では、行き来する船も、限られていた。
潮の香りが少しずつ濃くなっていく。風が髪を撫で、波音が静かに寄せてくる。
――あ、船だ。
白い帆が見えた瞬間、リリアーナの胸が高鳴った。次の瞬間――光を受けて揺れる銀色の髪が目に入った。
「……見間違い……?」
息を呑んで立ち止まる。何度か瞬きをしても、幻のようにその姿は消えない。
心臓が、急に早く打ち始めた。
「リリアーナ!」
風を切る声が響いた。
あの声を、忘れたことなんて一度もなかった。
リリアーナは目を見開いた。
エドモンドが駆け寄ってくる。
懐かしいその笑顔が、現実だと分かった瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「元気だったか?」
彼の優しい声が耳に届く。
「うん……」
短く答えた途端、涙がこぼれそうになった。
「怪我とか、してない……?」
リリアーナは言った。
「してないよ」
その言葉に、リリアーナは小さく息を吐いた。無事だった。――本当に、無事でいてくれた。
「領は、良かったの……?」
リリアーナの声は震えていた。
彼が魔鳥と闘うという現実に、胸の奥の不安は消えなかった。
「魔鳥の襲来は終わった。だから、来たんだ。今回の被害は、前よりずっと少なく済んだよ」
「……良かった……」
安堵が胸いっぱいに広がる。
気づけば、目の端に涙が光っていた。
エドモンドが微笑む。その笑顔が懐かしくて、嬉しくて、どうしようもなく泣きたくなった。
「……島の案内するね」
リリアーナは涙を拭い、笑顔を作った。
二人は並んで歩き出す。
潮風が頬を撫でた。
……本当に、エドモンド様だ。
リリアーナは心の中でそう呟きながら、隣にいる彼の温もりを確かめるように歩き続けた。
港からの道を歩きながら、エドモンドは島の様子を眺めていた。
人々の傍らには、淡い光をまとった小さな影――精霊たちが寄り添っている。
その光景に、エドモンドは思わず足を止めた。
「……ここは、精霊が多いのか?」
リリアーナが笑いながら振り返る。
「私たちが着いたときは、いなかったんだよ。でも、セレナのおかげで現れたの。」
「セレナ……?」
「そう。この国の"王"なの」
「王……。」
エドモンドは言葉を繰り返しながら、リリアーナの肩に目を向けた。
そこには、雪の結晶のように白い小さな存在――お雪様が、静かに浮かんでいた。
「……だから、お雪様もずっといるのか?」
「さあ?わかんない。でも、精霊が現れてからずっといるかな……?」
「そうなのか……」
エドモンドは短く答えたが、その視線はお雪様から離れなかった。
どこか、引っかかるものを感じた。
リリアーナはそんな彼の表情に気づかぬまま、軽やかに前を歩いていく。
やがて、二人は小さな屋敷に辿り着いた。
「来たことを、伝えてくるね」
リリアーナはそう言って扉を叩いた。
少しして、部屋の奥からかすかな声が返ってきた。
「入って……」
セラフィーネはベッドに身を起こしていた。顔色はまだ白いが、以前よりはずっと動けるようになった。
しかし、エドモンドにとっては信じられない姿だった。
「……どうしたんだ?」とエドモンドが尋ねる。
「……怪我をしてね。リリアーナが治してくれたのだけど、まだ動けないの」
「……大変だったな」
エドモンドの声には、静かな哀しみと労りが滲んでいた。
「リリアーナを送ろうと思っていたけど、行けそうにないの。申し訳ないけど……リリアーナとラディンと一緒に帰ってもらえるかしら?」
「怪我人なんだろう? 大丈夫だ」
エドモンドは短く首を振った。
セラフィーネは少し微笑み、かすれた声で言った。
「リリアーナにお礼をしたいのだけど……」
「お礼なんて、いいです。色々教えてもらいましたから」
リリアーナがそう言うと、セラフィーネの目に柔らかな光が宿った。
部屋の隅では、ラディンが静かに二人のやり取りを見つめていた。
言葉を挟むこともなく、ただ黙って――けれど、その視線の奥には何かを見定めようとする鋭さがあった。
窓の外では、潮風がそよぎ、遠くで波が砕けている。
「少し、島を散歩してくるね」
そう言い残して、リリアーナはエドモンドを誘って部屋を出ていった。
扉が静かに閉まる。
やがて、ラディンが低い声で口を開いた。
「……リリアーナに、何か感じないか?」
セラフィーネは寝台の上で、ゆっくりと顔を上げた。
「……どういう意味?」
「いや、感じないんなら、いいんだ……」
ラディンは、言葉を終わらせた。




