第54話 化物なんかじゃない
――危なかった。
もうちょっとで、クーちゃんが【呪霊】に飲み込まれるところだったよ。
我ながらグッドタイミング。
「リッド……!」
「クーちゃん、大丈夫? 怪我はない?」
「だ、大丈夫ですが……。貴方、ボリヴィオ伯爵は――?」
「死にました、か」
ふぅ、とグレガーがつまらなそうな口ぶりで会話に割り込んでくる。
「やれやれ……おだてあげてさえいれば、いい金づるになってくれたのに。勿体ない」
「…………グレガー、貴方はわかっていたんだよね?」
「はあ? なにをです?」
「【呪物】の魔力源として使われた【呪霊】が、どんな最期を迎えるのか――だよ」
僕は怒りと覇気を込めた声で、彼に言う。
「彼は……ルドヴィークは、指輪から出られた時には酷く衰弱していたよ。魔力を使い潰された感じで、さ……」
「それはそうでしょうね。指輪の中に封じた時点で、消耗品となることは決まっておりましたし」
なにをわかり切ったことを、とグレガーはため息を吐く。
さらに続けて、
「【呪言使い】……貴方はどうしてそこまで【呪霊】に同情するのです?」
グレガーの前に、のそりと二体の【呪霊】が移動してくる。
『アハハ』『ウフフ』と不気味な笑い声を奏でながら。
きっとグレガーの術で操られているのだろう。
「この怪物共は、どこまでいっても所詮怪物でしかないのですよ? 憐れむ必要などない」
「――違う。その子たちは人間だ」
グレガーの言葉を、僕は断固として否定する。
「その子たちは、一人一人にちゃんと心がある。ただ【呪霊】になってしまった悲しい理由があるだけなんだ。怪物なんかじゃない」
「……」
「グレガー……貴方がそう思うのは、彼らや彼女たちのことをなにもわかってあげようとしないからだよ」
……三年前にフォレストエンド領で会ったあの子も、そしてルドヴィークも、誰にも悲しみや苦しみを訴えることができずに死んでいった。
もし、もしも、誰か一人でもあの子たちを救おうとしたら――
誰か一人でも、苦しみを理解してくれる人がいたら――【呪霊】になんてならなかったはずなんだ。
世の中から不条理をなくす――確かに、そんなことは不可能かもしれない。
でも一人の貴族として、僕は思うんだ。
誰も救いの手を差し伸べようとしないからって、それは見捨てていい理由にはならないと。
そして僕たちのような貴族こそが、本来であれば彼らに手を差し伸べなければならないんじゃないのかって。
人の、民の上に立つからこそ、人を見捨ててはならない。
他者の痛みをわかろうとしない者に、人を統べる資格はない。
人の上に立つ者こそ、人の痛みを誰よりも理解しないといけないんだ。
だからさ、僕からすれば――
「僕からすれば――人の痛みが、心の痛みがわからない貴方の方が……よっぽど怪物だ」
グレガーに向かって言い放つ。
【呪霊】を支配し、道具として操っている――本当の怪物に向かって。
「……どうやら、話をするだけ無駄のようですな」
『ウフ、フフフ……』
『アハハ、ハハハ……』
二体の【呪霊】が、グッと身を屈めて突撃体勢をとる。
「テレジア、エリザベート――【〝奴を殺せ〟】」
『ウフフフ!』
『アハハハ!』
〝呪詛〟を撒き散らしながら、勢いよく襲い掛かって来る二体の【呪霊】。
「リッド! 逃げなさい!」
後ろでクーデルカが叫ぶ。
こんな時まで心配してくれるなんて、流石は先生だ。
でも大丈夫だよ、クーちゃん。
僕は――逃げたりなんてしない。
二体の【呪霊】の手が僕に届こうとする、その直前、
『――【〝テレジア〟】【〝エリザベート〟】』
喉の〝刻印〟に魔力を込め、僕は彼女たちの名前を呼んだ。
すると、ピタリと同時に動きが止まる。
『――【〝それがキミたちの名前なんだね〟】【〝とっても可愛らしいお名前だ〟】』
『ウ……フ……?』
『ア……ハ……?』
仮面の表情に変化はない。
けれど彼女たちは明らかに驚き、そして困惑するかのように、巨体を硬直させる。
『――【〝二人共、お願い〟】【〝僕の言葉を聞いて〟】』
『フ……ウァ……アァ……――!』
『アハ……アアアァァ……――!』
ガタガタと震え始める【呪霊】たち。
その様子を見て、グレガーは初めて顔色を変えた。
「なっ……!? なにをしている!? 私は【〝殺せ〟】と命令したのだぞ! 早くそのガキをくびり殺してしまえ!」
『――【〝ダメだ〟】【〝グレガーの命令なんて聞いちゃいけない〟】』
『ウウウゥゥ……――!』
『アアアァァ……――!』
ガリガリ、ガリガリ
彼女たちは何度も、何度も何度も何度も、自らの仮面を爪で引っ掻く。
まるでグレガーからの支配に、必死に抗おうとしているかのように。
……いや、違う。
彼女たちは、思い出そうとしているんだ。
自分が人間であったことを。
決して、怪物呼ばわりされる存在なんかじゃなかったことを。
『――【〝思い出して〟】【〝キミたちは人だ〟】【〝キミたちには心があるんだ〟】【〝怪物なんかじゃないんだよ〟】』
『ウ……うぅ……!』
『アぁ……ああぁ……!』
一瞬。
ほんの一瞬、仮面の奥に彼女たちの瞳が、僕には見えたような気がした。
やっぱり――キミたちにも――
「クソッ! 魔力を陰に、かの霊魂を支配したもう名の下に、主の勅命を聞き入れたまえ――〔勅命随身〕!」
もう少しで【呪霊】たちが自我を取り戻す――そう思った刹那、グレガーが魔術を発動。
「テレジア、エリザベート、【〝帰還しろ〟】!」
『『――!』』
グレガーが命じた直後、二人は勢いよく指輪の中へと引き摺り込まれていく。
文字通り、強制的に命令を守らされたと言わんばかりに。
「いやはや、驚きましたね……。まさか〝呪言〟にそんな使い方があるとは、想像もできなかった……」
引き攣った笑みを顔に浮かべ、実に悔しそうにするグレガー。
さしもの〝霊幻道士〟である彼も、僕が【呪霊】と意思疎通が図れるなんて思ってもみなかったらしい。
「屈辱ですよ……〝霊幻道士〟が【呪霊】の主導権を奪われるなんて……!」
「グレガー……! 【〝彼女たちを――!」
「おっと、その手には乗りません」
彼スッと腕を下へと向ける。
すると次の瞬間、足元からドバッと大量の〝呪詛〟が溢れた。
「うっ……!?」
〝呪詛〟はベチャベチャとしたスライムのように波打ち、僕やクーデルカに襲い掛かってくる。
なんとか僕たちはそれを回避したが――改めてグレガーの方を見ると、その姿は忽然と消えていた。
『――悔しいですが、今回は私の負けと致しましょう。【呪霊】を操れなくなっては、このグレガーなど平々凡々な魔術師に過ぎませんから』
どこからか、彼の声だけが聞こえてくる。
それを聞いた僕はギリッと歯軋りし、
「待てグレガー! 逃げるのか!」
『さようなら、【呪言使い】よ。またいずれ、どこかでお会いしましょう』
ハハハ、という笑い声が小さく木霊する。
それきり、グレガーの声は聞こえなくなった。
まんまと逃げおおせたらしい。
「……」
――この時、僕は誓った。
今度会ったら、その時こそグレガーから【呪霊】を解放してみせると。
もう――こんな悲劇は繰り返させないと。
そう、固く心に決めたのだった。





