95. 地平線の向こう
ストックホルム:ブロンマ空港
中立国スウェーデンの首都であり、主に英独ソの外交・諜報関係者が暗躍したストックホルム。
その郊外に位置するブロンマ空港に、白亜の大型機が東北東からアプローチしてきた。尾翼に日の丸を描き、胴体に"大日本帝国"と記した外交機が、予定通りやってきたのだ。
なお戦勝続きが故か、この便については一切秘匿されていない。お陰で空港には報道陣も集まっている。
「何とも几帳面な……しかし妙な飛行機だな」
業界に入って四半世紀、海外を渡り歩いてきた通信社の特派員が、双眼鏡を構えながらぼやく。
「どういうことですか?」
「見てみろ、ありゃ米国のB-29だぞ」
事情を呑み込めぬ後輩に双眼鏡を貸してやり、更に簡単な解説を付け加えた。
あちこちが改造されてはいるようだったが、確かにB-29だった。その事実が持つ猛烈な違和感に、後輩もまた首を傾げる。
「鹵獲機だろうが……東京を焼いた飛行機だ。そんなもの使うか、普通?」
「既に普通じゃないことだらけですけどね」
「そりゃそうだが……例の超爆撃機で乗り付けた方が、各国への示威にもなるだろうに」
「先輩としても見てみたかったとか?」
「率直に言うと、それも少しある」
そんな会話を他所に、日の丸B-29は滑走路を目いっぱい使い、空力ブレーキ装置を用いて何とか停止した。
大勢の注目がそこに集中する。ともかくもタラップが降ろされ、フラッシュが焚かれる中、続々と日本の予備交渉団が降りてきた。正装をした外交官やら陸軍少将やらが、十数時間ぶりの地面を踏み締める。
「ん……?」
妙な違和感を覚えたのは、今度は後輩の方だった。
「どうかしたか?」
「いや……どうにも戦勝国の使節とは思えない表情をしているなと」
カリフォルニア州ロングビーチ:港湾
場違いに思える小型クルーズ船が、ロングビーチ港の片隅に停泊していた。
彼女は富豪の洋上別荘といった趣の船だったが、神戸寄港中に特異的時空間災害に巻き込まれ、紆余曲折あって陸上自衛隊に籍を置くこととなった。そうして無人機管制艦へと改造され、『神武』作戦に参加することとなったのだ。
「自我蜂048、これより作戦行動に入る」
無人偵察攻撃機の自我蜂――大昔の無人ヘリを現代化したような代物だ――を駆る藤嶋特設三曹は、落ち着いた声で宣言した。
上甲板のラウンジであった空間には、ネットカフェの個室をそのまま移植したようなものが並んでおり、そのうちの1つが彼の戦場に違いなかった、シエラネヴァダ山脈の向こうに広がる荒涼とした大地が、帯域節減のため幾分粗くディスプレイに映っている。そこに存在する敵の殲滅こそが任務だった。
なお通信中継に関しては、船尾から伸びる成層圏気球が一役買っている。高度2万メートルに基地局が浮かんでいるのだ。
「後退中の集団を捕捉」
画面上にはくねくねと長い蛇が現れ、藤嶋はそう報告した。
「低脅威度民兵の模様」
「索敵を継続」
「了解」
応答。索敵パターンに変更はなく、藤嶋はプログラムが走るのをただ見守った。
最優先で排除しなければならないのは、米陸軍の正規部隊。指揮官をことごとく失っても前動続行するよう命令された、磁石に吸い付く砂鉄のような軍団。あるいは首無しニワトリのマイクだろうか。ともかくも中枢に対する攻撃を前提とした、技術劣位側の最適解だ。
そうした者達に対峙するは、空のハンターたる無人偵察攻撃機と、地表に潜伏するキラーたる基幹自動銃ユニット。目標情報共有と配置の最適化、アルゴリズム化された射撃をもって、立体的かつ効率的な殲滅を図るという作戦だった。
(とはいえ――この辺りの掃討はほぼ完了しているようだ)
藤嶋は変な味のコーヒー飲料を飲み干しつつ、画面を凝視し続ける。
微妙に飛行パターンを変更し、割り当てられた空域を何度も飛行するも、正規軍と思しき反応は検出されない。自我蜂のセンサーは大したものではないが、20世紀半ばの擬装くらいは簡単に見抜く。とすると本当に存在しないのだろう。
「自我蜂048、間もなく帰還不能限界」
「帰還を許可。捕捉中の目標を射撃の後、帰還せよ」
「了解」
藤嶋は端末を素早く操作し、新たな命令を伝達した。
作戦行動を上書きされた自我蜂は、未だ眼下にあった長い列へと向かう。そして胴体下部に据えられた小型簡易ロケット発射機を起動させ、ネギを輪切りにでもするかのように、小口径ロケット弾を雨霰と見舞った。
長い列を構成していた要素が吹き飛び、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
弾着と同時に機載の計算装置は戦果の算定を開始し、「170cm級歩兵型民兵7体を排除」「130㎝級自爆型民兵3体を排除」といった内容をログに書き込んでいく。ただの避難民のようにも見えるが、合衆国憲法修正第2条に人民が武装する権利が謳われているので、低脅威度の民兵という扱いになっている。
「自我蜂048、射撃完了。これより帰還する」
そう宣言した直後、戦場の扉が叩かれた。
渋谷のモダンなカフェレストランにでもいそうな雰囲気の士が、追加の飲料を持ってきてくれたのだ。藤嶋はありがたく受け取り、再び自我蜂へと意識を集中させる。
「戦争は悲惨ですね」
「ああ、そうだな」
無味乾燥なやり取り。それでも藤嶋は、天国の息子に幾らか遊び相手を届けてやったと思った。
千葉県野田市:私立大学
留学生への対応は、大学にとっても学生にとっても難しい問題だ。
家族や親類、母国という日常世界との縁を強制切断された彼等は、精神的に極めて不安定な状態にあって当然だろう。それでも当初に比べれば随分と落ち着いたのだが、どうしても腫れ物に触れるような扱いになってしまいがちで、それが逆に心の傷を深めてしまう例も散見された。
そんな中、エジプト出身のアイシャが講義に出てきてくれたことは、智慧にとっては純粋に嬉しい話だった。
まだ空元気なのかもしれないが、教授に活発に質問する彼女の姿を見ていると、純粋に嬉しくなる。なお何故8月になっても講義をやっているかというと、戦争と空襲、時空間災害による大混乱のためで、こればかりは仕方がない。
「ねえ智慧、私、就職先決まりそうよ」
休み時間に世話話などしていた中、アイシャはそう切り出してきた。
「えっ、そうなの?」
「うん。臨時政府の広報関係」
「あっ、おめでとう!」
智慧は本心から喜色を浮かべて祝った。
とはいえその直後、友が抱える何か途方もない寂しさに、否応なく気付いてしまった。何か不味いことを言ってしまったか、慌てて自ら発した言葉を反芻していると、そうじゃないとばかりにアイシャが微笑む。
「広報ってね……私達の生きてきた世界について、歴史について、記録することなの。もちろんこの世界にもエジプトはあるよ。でも私達の知ってるエジプトじゃないし、多分これからも違う歴史を辿ると思う。だから私達が育ってきた歴史を、誰かが記録していかないといけない……そうじゃないと私達、自分が何者か分からなくなっちゃうから」
「そっか……」
「ちょっと後ろ向き過ぎるかな? もう多分、二度と戻れないのに」
「ううん、そんなこと絶対ない」
智慧もまた、胸の締まるような思いを抱いていた。
去年の夏休みに皆で行ったシンガポールの情景が、脳裏に浮かんでいた。同じ場所を再び訪ねることはなくとも、様々な報道やSNSなどで、出会った人々との繋がりを保つことができていた。だが今ではそれすら不可能。朧になっていく記憶と想像力でしか、時空間の彼方に消えたものと接することができないのだ。
それが生まれ育った街や国だったら――あまりにも残酷だ。智慧はちょっと泣き出しそうになる。
「アイシャは、偉いし、強いよ」
「ありがとう。そう言ってくれると信じてた」
「うん。私も応援するから……何か手伝えることがあったら教えてね」
東京都千代田区:首相官邸
「総理、非公式ながらソ連側から打診がありました。我々の提示した条件を、原則として全て受け入れるようです」
執務室にて面談中であった志村外相は、緊急連絡を受けるや否や、興奮した声で報告した。
奇しくも昨日8月8日、スターリン国防人民委員の名をもって、全赤軍に戦闘行動の全面停止が命じられていた。またソ連領空を堂々と通過する外交機についても、一切手出しをしてこなかった。そうした事情を鑑みれば、予定調和であったとも言えるだろう。
それでも決して少なくない量の食糧や化石燃料、鉱物資源等が確保できそうだという事実は、十分喜ぶに値した。
「なおソ連側の要望といたしまして、鉄道網の修復に対する支援や船舶の貸与等がございます。図々しくもありますが、同国の輸送インフラは我が方の精密爆撃によって大打撃を受けているのは事実ですので……ええと、総理?」
「ん、ああ。済まん」
呼びかけられた加藤総理は、ハッと我に返って詫びる。
このところどうも上の空でいけない、そう自らを戒める。国民経済を最低限維持する目途が立ったことへの安堵や、ここ5か月ほどの連勤が故の疲労も当然あったが、ここへ来てまた突拍子もない話が飛び出してきたが故だった。
「ええと……原則として全てというのは、原子力・ロケット技術管理レジームの受け入れも含めてか?」
「無論です」
「そうか、ならば何とか上手くやれたということだな。これで国民生活も少しは良くなるだろう。それと船や線路がないとモノを運べないと、ソ連が言っている件だが……それについては了承する他あるまい。ない袖は振れないからな。ただ過大請求には気を付けてくれ、あそこの十八番だからな」
「了解いたしました」
元気よくそう応じてから、志村は幾分心配そうな顔をする。
「しかし総理、少々お疲れではありませんか?」
「まあうん、疲れてはいるよ、流石にね」
参ったとばかりに加藤は笑い、
「だが実を言うとどうも、武藤君が知らせてくれた件が気になって仕方なくてな」
「日本が物理学的に実在するという、例の仮説でしょうか?」
「ああ。まさしく国体という奴だ」
諧謔的な言葉とともに微妙な沈黙が訪れ、レクの内容を揃って思い出す。
かの仮説が急浮上して以来、様々な学会で侃々諤々喧々囂々の議論が続けられているようだ。とはいえ国家が何処かの次元において、三次元空間におけるボールのような物体として存在している可能性は、確かにあるのだという。そうでなければ特異的時空間災害という恐らくは自然的な現象に際し、日本がその政治的状態を保ったまま昭和20年に転移するなどあり得ない。
国を1隻の船に見立てる言い回しは昔からあるが、つまるところそれは物理学的にも正しい発想かもしれないという訳だ。
「流石に珍説も過ぎるというか……どう扱っていいものか、これっぽっちも分からん。政治学と物理学の超統一理論だとか何とか言われている気分になる」
「ただ特異的時空間災害を説明し得る、今のところ唯一の説ではあるようです。シミュレータ仮説を除けばですが」
志村もまた得体の知れぬものを見たような面持ちで、
「無論突拍子もなさ過ぎて、正直私にも理解しかねますが……政治学と物理学の超統一理論という概念、もしかすると次の世代にとっては冗談でなくなっているかもしれません」
「なるほど、次の世代か。なら次の世代に期待しつつ、そのために今できることをすべきか」
加藤は大きく肯いた。それから感慨深げに深呼吸をし、少しばかり顔色を回復させた。
国家の課題とは基本、何十年とかけて解決していかねばならぬもので、恐らくは時空間災害対策も同様だった。またそうであるからこそ、どれほど頑張れたとしても、何時かは次の者に夢を託さねばならなかった。戦時宰相としての激務の中、半ば忘れかけていた宿命で、少しばかり肩の荷が下りた気分にもなる。
(とはいえその意味では……)
目の前の外交問題へと思考を切り替えつつ、加藤は最後に少しだけ考えた。
かの新説によれば超次元的物体であるはずの"日本"にとって、自分や他の多くの政治家達、あるいは1億2000万もの国民の意志とは、いったい如何なるものなのであろうかと。
第95話では本来見える範囲の外で話が進んでいきます。
第96話は9月17日(木)更新予定の予定です。読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
正直、ぶっ飛び過ぎた理屈を扱っているのではないか? と思ってしまうことがあります。
ただあり得ない現象に直面した時、それをどう捉え、どう向き合うかという部分は、可能な限り頑張って書いてみたいと我ながら思っております。本業の物理学やっている方からしたら失笑もの、爆笑ものかもしれませんが……恐れずに知恵を巡らせ、頭を使っていきます。
なお首無しニワトリのマイクですが、生まれは1945年4月30日で、首をはねられたのは同年9月10日だそうです。戦争がひっくり返ったお陰で、本作の世界では生まれていない、もっと早く食肉されてしまった、といったことが起こっているかもしれません。




