92. 逃れる者達
バハ・カリフォルニア州:沿岸地帯
米本土防衛を考える上では、メキシコ西岸もまた戦略上の要所に違いなかった。
そこが無防備なまま放置された場合、日本軍が易々と上陸し、カリフォルニア州の背後を突くかもしれない。故に米墨連合軍が急遽編成されたのだった。純軍事的な意味でメキシコ軍が役立つとは、誰一人として期待していなかったほどだが、メキシコ領内に作戦展開する以上、同国軍との関係は最重要だと言えるだろう。
だがその結束すら崩れつつあるという懸念が、日増しに強まりつつあった。
しかも国土が脅威に晒されている状況にもかかわらず、当のメキシコ人に当事者意識がまるでない。穴を掘るにしても物資を運ぶにしても、何もかもがいい加減で、脱走兵が後を絶たないあり様という。
挙句、日本軍による熾烈な爆撃が始まり、その被害がメキシコ領内にも及ぶや否や、
「お前等アメリカ人がいるから爆撃されるんだ」
「巻き添えは御免だ」
「さっさと出て行ってくれ」
などといった無責任な主張を、地元の民間人と一緒になって喚き出す始末である。
「意気揚々と空軍を送り出した癖に、旗色が悪くなるとすぐこれだ」
「全く度し難いチンピラゴロツキ集団」
指揮系統崩壊を前提とした戦闘を想定し、実際そうする他なくなった米軍将兵は、呆れ切った顔でそう漏らす。
そしてそんな状況の中、外の情報を得る唯一の手段となっていた地元ラジオから、驚くべきニュースが齎された。
「連合国からの離脱をここに宣言する。全国軍部隊は直ちに……」
「こん畜生!」
元中隊長の連隊長が憤怒の声を上げ、ラジオ受信機に強烈な拳骨を見舞う。
声は紛れもなくメキシコ大統領たるカマチョ氏のもので、メキシコの裏切りはここに決定的となった。スペイン語を理解しない者達も、上官の荒れ狂いようから全てを察したようだった。
なお和平や講和といった内容は皆無だったので、本当に一方的な決定であるらしい。
だが大統領があのように宣言した以上、メキシコは敵に回ったと見ていいだろう。日本軍が上陸してきたならば、率先してその軍門に降り、道案内を自ら買って出かねない。結局のところメキシコとの友好や同盟は、米墨戦争以来の一方的な力関係によってしか担保されていないのだ。
加えて合衆国大統領の命令は絶対だった。故郷をクソッタレのジャップどもから守るためにも、ここで退く訳にはいかない。
「連隊長、どうしますか?」
「総員傾注!」
連隊長は拳を強く握り、覚悟を決めて叫んだ。
「これより我々はここエル・ロサリオ一帯を制圧、現地死守を継続する。各部隊は直ちにメキシコ軍の武装解除にかかれ」
釜山府中央洞:港湾地帯
このところ朝鮮には、社会不安が広まりつつあった。
というのも日本に働きに行っていた家族や親戚との連絡が、ある日を境に突然取れなくなったためだ。電話に電信、手紙のいずれも駄目で、関釜連絡船まで運航停止となれば、不審に思うなという方が無理だろう。
お陰で役場や警察署には説明を求める大勢が詰め掛け、しかし誰も何も把握していないので、一触即発といったあり様だ。
とはいえ親兄弟の身を案じる余裕は、今の高木にはまるでなかった。
確かに2つ上の兄が音信不通だったが、まず自分の心配をする必要があった。保崙部なるやくざ者にあれこれ流していたのだが、その途中で盛大な馬鹿をやってしまった。結果、悪友の韓ともども、双方から追われる身である。
「糞、俺等やばいぞ。ディスイズ緊急事態だぞ」
「大丈夫、助けを呼んだんだからな」
「何だとお前こいつめ、全部お前のせいだぞ」
物陰で揃って怯えつつ、そんなやり取りを繰り返す。
実のところ高木は、韓を滅茶滅茶に殴りたい気分だった。だが騒ぎを起こせば追手に見つかるだろうし、何より高跳びの手段を自分は持っていない。となれば癪で甚だしく不安だが、ここは韓に従う他ないのだ。
「全く、俺の人生が急降下だぞ。俺は年収1000円を稼ぐ男なのに……」
「あ、来たよ」
その言葉に高木は少しだけ期待し、すぐにガッカリする破目になった。
現れたのは金村一という、昔は女郎屋の車引きをやっていた奴だった。職場の洗濯機を分解して戻せなくなったり、小銭をちょろまかそうとして大損したりする、韓と甲乙つけがたいほどのオバカなのだ。
「はぁ何だ、金村かよ」
「何だとは何なの……」
金村が変テコ口調で憤り、大声を上げようとする。
韓が慌てて口を塞いだので事なきを得たが、やはりお先真っ暗な気がしてならない。
「とにかく僕は今、貨物船に乗っているの。海はいいの」
「まあ洗濯夫としてだけどな」
「うるさいの。とにかくこっそり船に乗せられるの」
「でも見つかったらやばいだろ」
「密航なんてよくあるし、沖に出たらすぐ船長に土下座して、雑用でも何でもすると言えばいいの。船は簡単には引き返せないし、僕は実際そうしたの」
「なるほど。金村兄貴、よろしくお願いします」
高木と韓は深々と頭を下げた。何とかなりそうな気がした。
それから2人はじっと夜を待ち、金村の手引きで貨物船に何とか忍び込んだ。船が日本海に出た辺りで名乗り出た彼等は、凄まじい剣幕で怒鳴られたり頭にコブを作ったりはしたものの、働いて返すということで何とか決着した。
「ところでさ」
トイレ掃除の途中、高木は尋ねる。
「この船って何処に向かってるんだ?」
「ハワイなの」
「マジか。よし、ハワイでパイナップルするぞ!」
返答を聞くや否や、高木はやる気百倍になった。
生のパイナップルを腹いっぱい食べる。そんな稚気めいた夢が、思いがけず叶うかもしれなかった。
モスクワ:クレムリン宮殿
「誠に遺憾ではありますが、日本の要求を呑む他ありません」
国家防衛委員会の議長として、スターリンは力なく決定を述べた。
異を唱える者などいるはずもなかった。将軍や官僚を真っ先に爆殺し、交通の要所や補給拠点を一方的かつ精確に吹き飛ばしていく日本軍が相手では、どれだけ兵や戦車があろうと無意味に違いない。更にこのまま戦争を継続していたら、ソ連は本当に労働者しか存在しない国になってしまうだろう。
そうした意味では、開戦後に要求を釣り上げられなかっただけマシと思うべきなのかもしれなかった。
「それにしても未来人とは……」
やつれた相のスターリンは、ちびちびとウォッカを嘗めつつ溜息をつき、
「ズルにも程がありますが、いったいどういうことなのでしょうね?」
「規模も往来の形態も、依然として全て不明です」
モロトフは率直な口調で言った。
英国人は彼等特有の回りくどい表現――ウェルズの『宇宙戦争』を翻案したラジオドラマを踏まえなければ理解できない物言い――を用いて、アレクサンドロス人が架空の存在だと伝えてきた。それと独自に掴んだ幾つかの情報とを組み合わせると、日本が何らかの形で未来からの援軍を得ているのはほぼ確実との結論に辿り着く。
だがそれ以上となると、その援軍とやらが非常に強力なことくらいしか分からない。つまるところ数学の難問を前に、ようやくそれが数学の問題だと理解したという程度でしかないということだ。
「とはいえ同志スターリン」
モロトフは語気を少し強め、
「未来人と直接関係するかは分かりませんが、少々気になることが出てまいりました」
「ほう……同志モロトフ、続けてください」
「はい。このところ日本大使館とスウェーデン外務省との間で、予備交渉団を乗せた外交機の離着陸に関する調整が行われております。その過程でスウェーデン側は一部の大使館職員の便乗帰国を要請したようですが……日本側が何故か難色を示していると」
「同志マリクの件と同じということですか?」
「その通りです、同志スターリン。現在確認中ではございますが、同様の交渉はスイスでも行われており……これまた同じ経過を辿っているとのこと。なお両国の日本大使とも大使館職員の便乗帰国提案に前向きな態度を示したそうですが、どちらも本国への照会を行った結果、ひっくり返されたようです」
「なお同志スターリン、日本の外交機についてですが」
国防人民委員代理のブルガーニンが付け加え、
「スウェーデン側に伝達された情報を総合する限り、かなりの大型機と見られます。機体規模の問題から便乗帰国が困難ということはあり得ないでしょう」
「ふむ……これまた全く、意味が分かりませんね」
スターリンの感想とともに沈黙が場を支配する。
支離滅裂が極まった対応の裏には、事態を説明する鍵が隠れていると、出席した誰もが感じていた。未来人が戦争への介入を始めた頃から、日本本土と各国大使館とのやり取りが不自然になり出していて、今回の件もその流れの上にあると思われた。
ただその2つの要素はあまりにも乖離していて、どう繋がるかが全く分からない。
「まさか職員が全員、未来人に消されたとでも?」
誰かがボソリとそう呟いたのを、モロトフは聞き逃さなかった。
そして凄まじい直観的戦慄に襲われた。大使館職員だけでなく日本にいるはずの外国人全員が、もしかすると本来いるはずだった日本人までもが、どうしてか綺麗さっぱり消滅しているのではないかと思えたのだ。
コロラド州プエブロ:郊外
ジョンとジェニーの兄妹は長旅の末、何とか目的地に到着した。
だが彼等の表情は硬い。未だ安否の分からぬ父がかつて、身を寄せる先の主人であるベネット叔父さんを、相当なロクデナシだと言っていたからだ。勇猛果敢な将校の皮を被った嗜虐趣味者で、それ故に陸軍を退役させられたのだという話だった。
それでも他に行く宛などなかったから、何があっても我慢するしかない。
そう覚悟を決めていた兄妹だったが、まさかベネット叔父さんが下卑た笑みを絶やさぬ人間で、いきなり古びた馬小屋に案内されるとは思っていなかった。挙句の果てに、そこに住めと言われるとは。
「悪く思わんでくれよ。ジャップの爆撃で、何処もかしこも余裕がねえんだ」
ベネットの声色は言うまでもなく噓臭く、
「まあキリスト様だって馬小屋でお生まれになったし、問題ないな?」
「はい。大丈夫です」
ジョンは感情を押し殺して肯いた。
それから震えるジェニーの方を向き、精一杯の微笑みを浮かべた。どんなに辛い状況であっても、将校は笑っていないといけない。父は常々そう言っていて、唯一の妹を守るためには実際それが必要だった。
「ジェニー、とりあえず屋根のある家だ。まずは綺麗に掃除しなきゃだ」
「……うん」
少し明るくなった妹の声に、ジョンは幾分救われた気分だった。
だが兄妹の健気さが気に入らないのか、ベネットはシケた面をし続けていた。そして思い立ったかのように、ジェニーの手を引いて馬小屋へと入らんとするジョンを呼び止める。
「無料の昼食なんてない。いい言葉だよな」
「……そうですね」
「つまり無料の家もねえってこった。意味分かるか?」
流石のジョンも流石に暫し言葉を失った。
とはいえ想定していたことでもあった。鞄から封筒を素早く取り出し、手渡す。小間使いや新聞配達で稼いだ財産を分散保管したものの1つで、一応馬小屋の相場の数十倍は入れてある計算だった。
なお彼の銀行口座には、堅実な父母が作っておいてくれた預金があったが、銀行そのものが爆撃された関係で、まともに引き出せなくなっている。
「うーん、正直足りねえ。だがガキにしちゃ上出来か」
ベネットはあからさまな暴利を宣言し、封筒の中身に舌なめずりする。
そして「さあさあどうぞお入りください」とだみ声で歌いながら、意気揚々と人間の住むべき家屋へと消えていった。
「兄ちゃん……」
「大丈夫だ。俺が付いてるからな」
今にも泣き出しそうな妹を、ジョンは必死に励ました。
それから心の内で主に誓った。これが試練であるのならば耐えますと。
戦争や戦禍、あるいは別のものから逃れようとする第92話でした。その先にあるのはいったい何でしょうか?
第93話は9月1日(火)更新予定の予定です。読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
第70話で登場した兄妹、本当はここで二段目のネタが明らかになる仕様のはずでした。
でも何故か、連載から6時間ほどで元ネタが暴かれてしまいまして……VALSのクイズの時もそうでしたが、ネット上には本当に恐ろしい人々がいると思い知ったほどです。それでも懲りずにあれこれ盛り込んでいければと思っておりますので、皆様、何卒よろしくお願いいたします。




