80. ハワイの戦雲
オアフ島ワヒアラ:太平洋艦隊司令部
南洋に浮かぶ色鮮やかな楽園は、今や地獄に変わろうとしていた。
全ては3月に戦況がおかしくなってからだった。東海岸が爆撃を受け、アラスカが陥落し、強勢を誇った太平洋艦隊までもがあっという間に全滅したという状況では、ハワイなど敵中に置き去りにされた群島でしかない。決死の覚悟で送り出した疎開船団は、どうやら無事パナマに到達したらしいが、以来本土との航路は途切れてしまっている。
不幸中の幸いは、食糧供給の問題は当面生じないと試算されていることだろうか。
実際オアフ島は軍民合わせて30万超の人口を抱えているが、サトウキビ畑やドールの果樹園を作付転換させるなどして持久体制を整えている。加えて太平洋各地に運ぶ予定だった糧秣が備蓄されており、それをフィリピンやニューギニアで口にするはずだった将兵の運命を考えると悍ましいが、カロリー供給だけは何とかなりそうではある。
ただもはやいつ何時、日本軍が上陸してくるか分かったものではない。
特に太平洋艦隊司令官たるニミッツ元帥には、奇妙な既視感があった。西海岸を襲ったという敵艦隊の動きが、世界が狂う前に関東地方空襲を行った第58任務部隊のそれに近似されたのだ。事実、硫黄島上陸作戦が発動したのはその3日後だった。
「索敵機が敵艦隊を捉えました」
案の定の緊急報告が飛び込み、
「位置はカウアイ島南西150海里、輸送船団を伴っているとのことです」
「遂に来たか……」
緊急報告に場がざわめく中、ニミッツはその方角をきつく睨めつける。
敵がハワイ攻略を目論んでいることは明白だった。アレクサンドロス人の驚異的技術を得ているとはいえ、ハワイ諸島を放置しての西海岸上陸はリスクが大き過ぎるとの判断なのだろう。
軍事的には常識的なものであり、そうであるが故の対処が可能だった。
「諸君、正念場だぞ。ここで粘り強く戦い、反攻の時間を稼ぐのだ」
「元帥、攻撃隊を放ちますか?」
「ここで出しても戦果は挙がらん。予定通りやるんだ」
「了解いたしました。隠蔽を徹底させます」
どっしりと構えてスタッフ達の動きを眺めつつ、ニミッツは防衛計画を脳裏に浮かべる。
手許にある艦艇は修理が後回しにされたが故に残ったものばかりだから、座礁させ砲台として活用する。余剰の水兵や施設の工員などは特設の海兵隊となって銃を取り、これまた現地徴募だらけの陸軍部隊とともに戦う。水際での戦闘は極力避け、内陸に誘い込んで敵の消耗を誘う方針で、これまた硫黄島か、本来そうであるはずだった沖縄の日本軍かと思えてくる。
惜しむらくは、十分な陣地構築ができなかったことだろう。機材と燃料はあっても、工事には時間が必要だったのだ。だが泣き言を連ねてもどうにもならない、とにかく今あるもので何とかするしかない。
「諸君、ともかくも――」
ニミッツの言葉や意志は、これまでに爆殺された何百もの高級指揮官や政治家と同様、肉体とともにバラバラになった。
太平洋艦隊司令部を始めとする指揮中枢は、ウィーラー陸軍飛行場の隣に築かれた堅固な施設群にあり、熾烈な砲爆撃にも抗堪し得るはずだった。だがそれも20世紀半ばの設計でしかなく、アラスカ湾にて主力艦を一撃で爆沈させた滑空徹甲爆弾のような脅威を、想定できている訳もなかったのだ。
オアフ島:ホノウリウリ
この地に設けられた捕虜収容所の雰囲気は、なかなかに複雑だった。
敗勢の続いていた祖国が異様なほど盛り返し、噂では昨日の爆撃で太平洋艦隊司令部が消えてなくなったそうだが、看守や衛兵もとにかく殺気立ってしまっていた。更に即物的に困るのが食糧事情で、最近は殺されないだけマシだと思えと言わんばかりの量しか配給されなくなり、誰もが腹を空かせていた。
加えて自分達は生き恥そのもので、故郷の地を再び踏むことなど叶うまい。そんな自棄も相変わらずあった。
「はぁ、どうしたもんか」
元上等兵の白井は何度も土下座して分けてもらった残飯を台車で運びながら、あれやこれやと思い出す。
フィリピンの戦いで名誉の戦死かと思いきや、気付いた時には米軍にとっ捕まっていた。自害しようにも止められるし、止められるのをいいことに、生きていたいと願ってしまった。我ながら情けなく、惨めで惨めで仕方がなかった。
海辺のサンド島収容所からここに移されたことからして、友軍のハワイ上陸は近いのかもしれない。だが仮に戦争が勝利に終わったとしても、鹿児島には戻れそうにない。親兄弟にも、何故腹を召さなかったのかと言われるだけだろう。
「日本が勝つんなら、満洲にでも移民すっかなァ」
簡素な烹炊所の前で白井はぼやき、
「もっともそれまで生きてられるか分からんが」
「大丈夫だ。諦めてはいけない」
「えっ!?」
独り言であったはずなのに、誰かが返事をしてきた。
しかも聞き覚えのない、何とも元気のいい声だった。驚いて振り返ると、建物の影に1人の男が立っていた。闇夜でも間違える訳もない陸軍の軍服に身を包んでいて、階級は大尉。反射的に敬礼してしまう。
「機動第4連隊の大場栄大尉だ」
「歩兵第71連隊の白井牧次郎上等兵であります」
そう名乗ったところで、色々なものがどっと押し寄せてきた。
本物の陸軍大尉が、どうやってか、こんな敵地真っ只中に現れたのだ。それだけで胸が張り裂けそうだった。
「大尉殿、申し訳ございません」
「泣き言はなしだ。それと声が大きい」
大場が先手を打ち、
「近く我が軍の総攻撃が、ハワイ占領作戦が開始される。合わせて収容所の解放もやるから、俺が知らせに来たという訳だ」
驚くべき情報だった。しかもその伝達のため、とかく秀でた大尉がやってきたのだ。
それを思うと戦意が轟々と燃えてきた。たとえ故郷に戻れぬとしても、この人のためなら何でもできそうだ。玉砕するとしてもいい機会だろう。握った拳に力が籠り、総攻撃の日が待ち遠しくてたまらなくなる。
「生きて虜囚の辱めを何とかとか言わんから、その時が来たら一緒に戦え。無論それまでは軽挙妄動は慎み、敵の目を欺け。俺からは以上だ、では失礼する」
「その、大尉殿、少し休まれていかれては? 一応食べ物もあります。この辺を道案内できる者も」
「俺は十分食ってある。それに新兵器のお陰で、諸君等より具に地理を把握できているのだよ」
大場は自信満々にニッコリと、しかし何処か虚無的に笑う。
「実は俺も戦後は満洲の予定だから、何なら一緒にやろう。ではまたな」
「はい、大尉殿」
感極まって、しかし声量を抑制して白井は返礼した。
大場はそれからすぐに闇に溶け込んでいく。やはりその立派なる背には妙な寂寥感がつきまとっているように思え、理由は全くと言っていいほど思い浮かばなかった。
(まあいい、ともかくも今は周知と準備だ)
白井は考えるのを止め、行動に移った。実際それは正解だった。
オアフ島:ダイヤモンドヘッド
太古の火山爆発によって形成されたダイヤモンドヘッドには、真珠湾を防衛するための沿岸要塞が築かれていた。
だがその目玉というべき臼砲は、全てここ数日の空襲でぶち壊されてしまった。状況は他の砲台でも同じであるらしく、コンクリート製の掩蓋で覆った16インチや14インチの巨砲ですら、どれも射撃不能に陥ってしまっているらしい。
「畜生、ジャップども!」
山頂に設けられた射撃指揮所にて、第64沿岸砲兵連隊のマッキャンベル少佐が唸る。
馬鹿みたいにでかい、妙にのっぺりした形状の砲艦が、朝日に煌く沖合を悠然と航行していた。わざと座礁させた海軍艦艇がまずその迎撃を行うはずで、一応は数発の命中打を与えはしたらしかったが、直後に何処かから飛来した誘導ロケット弾によってガラクタに変えられてしまっていた。
挙句、血気に逸った指揮官がそいつに203㎜砲弾や155㎜砲弾を見舞おうと試みては、やたら精度のよい対砲兵射撃を食らい、貴重な戦力を失っているというあり様だ。
しかも敵艦の数は、糞でか砲艦以外は妙にささやかな規模と思えるが、時間とともに増えていく。
アラスカ沖で確認されたというミョウコウ型重巡洋艦やナガラ型軽巡洋艦、アキヅキ型駆逐艦といった顔ぶれだ。その程度の戦力なら鎧袖一触のはずなのにと、誰もが切歯扼腕して悔しがった。
「少佐、敵艦隊がまた現れました」
「何ッ!?」
マッキャンベルは双眼鏡を構え、監視を行っていた軍曹の指し示す方へと向ける。
そうして水平線付近を捜索すると、確かに動いていると思しきものが幾つか見えた。ゆっくりとではあったが、それらはオアフ島を目指してきている。思わずゴクリと唾が飲み込まれた。
「そのようだな、監視を続けろ」
軍曹に命令し、同時に新たに発見した敵艦隊の位置と針路を連絡する。
その間にも例の糞でか砲艦やミョウコウ型による砲撃は続き、飛行場や野戦砲兵陣地などがまたも吹き飛ぶ。何発かは近くに着弾した。何もできない時間がもどかしくて仕方ないが、今は耐え忍ぶべしと自分に言って聞かせる。
「少佐、どうも不可解な敵艦が混ざっています」
「どういうことだ?」
再び促されて双眼鏡を構え、敵艦隊を望遠する。
まず目についたのは巡洋艦――艦影図表によるとカトリ型――で、後ろにかなり大型の艦が数隻、そしてその幾らか後方を違和感の塊が幾つも航行していた。
「馬鹿な……」
己が目を疑い、再度確認。違和感はまるで消えず、怒りが沸々と湧いてくる。
「ありゃあ、我が軍の戦車揚陸艦だ!」
正体に気付いたマッキャンベルは、思わず大声を上げていた。
ソロモンやノルマンディー、レイテといった上陸戦で多用され、勝利に大きく貢献したそれらが、日本の練習巡洋艦に率いられて接近しつつある。その意味するところは明白だった。
「畜生、あのコソ泥ども! 盗んだ船で揚がってくる気か!」
太平洋:オアフ島西南西40海里
「機雷なんて嫌いだよね」
中型タンカー『グローリアス丸』船長にして特設三佐の岩崎が、そんなことを唐突に呟いた。
あまりにもしょうもない親父ギャグだったので、周囲が南極みたいに凍り付く。とはいえ辛辣極まる沈黙とは裏腹に、誰もが機雷に対して好ましくない感情を抱いていた。
実のところ『グローリアス丸』のクルーは既に船を離れ、海上自衛隊の掃海母艦『うらが』に乗り込んでいた。
一方で彼等が船は、実用化され始めていた無人航行船に比べれば相当いい加減だが、遠隔操縦が可能なように改造されていた。そして同じような運命の大小様々な僚船と同様、真珠湾の真ん前を駆け回っている。その目的たるは掃海。一応は係維機雷処分用の掃海具を曳航してはいるものの、最悪身を挺して機雷を処分することになる。
大変に優秀な本職の掃海部隊も参加してはいるが、原始的な機雷が大量に敷設された中、手っ取り早く安全を確保する手段も必要とされた。そんな訳で老朽化したタンカーなどが、随分な最後の奉公をすることとなったのだ。
「砲弾は思ったほど飛んできませんね」
「敵砲兵あらかた潰した後だ……あッ、右舷に被雷」
「感応型、結構多いな。ニミッツも必死か」
遠隔操縦装置に取り付いている者達が呻く。
ディスプレイには上空の無人機からの映像が届いており、ハワイ防衛のために敷設された機雷によって『グローリアス丸』が傷つく様が、何とも克明に描き出されている。それを見て気分のよい船乗りなどいないだろう。
それでも誰もが任務に忠実で、十分過ぎるほどの浮力を有する巨大掃海船を、どうにか指定された通り運航させていく。
「戦後間もない頃は、人が乗り組んで似たようなことをやったそうだ。特攻掃海なんて呼んでな」
岩崎は幾分物悲しそうな口調で言う。
技術に劣る場合、不足分を血で贖わなければならなくなる。何かの本の記述にあった気がするし、この世界において何百万の血をもってしても埋められない技術優位を得ているのが、令和の日本なのかとも思う。
「まあそれを考えれば、科学技術様々だ」
「ですね」
「ともかく、ご先祖様達の道を啓開していこう。そっちは本当に生死がかかってるからな」
その言葉は紛れもない事実で、皆が揃って肯いた。
ハワイ攻略をもって大東亜新秩序の礎とするといった大義よりも、捕虜収容所の解放の方が重要と感じられる。とはいえ帰るべき故郷を失った陸海軍将兵が、それでも理想や同胞のために戦おうとする姿を見ると、当然手助けしたいと思うのが人情だろう。
そして今後生じる被害を抑制するべく、『グローリアス丸』は機雷処分を継続し、幾度となく船体を歪めた。
ハワイ沖に帝国陸海軍部隊が出現、自衛隊の支援を受けつつ上陸を始めんとする第80話でした。サイパンに潜伏していた大場大尉も再登場です。
第81話は6月27日(土)更新予定の予定です。読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
大場大尉の所属している機動第4連隊は、機動第1~第3連隊は実在しますが、架空の部隊です。
機動第1~第3連隊が対ソ戦用の特殊部隊として編成されていたもので、長距離挺身によって橋梁を爆破したり、後方攪乱を行ったりする目的で編成され……個人用気球で敵地に侵入するといったことまで試みていたとか。機動第4連隊はそれに次ぐ形で、ある程度現代装備を備えた特殊部隊といった扱いです。元々機動第1~第3連隊が、連隊と名前がつきながらも300名未満の部隊だったようで、まあ規模としてもそれくらいではないかと。
なお前回のあとがきで書きました、終戦を知らない日本軍がいて……という映画、「バトルストーム」(邦題、現代は「IN GOLD WE TRUST」)というタイトルでした。どうもVHSしか出ていないようですが、興味がある方は是非!




