74. 出征
神奈川県横浜市:中華料理屋
横浜港大さん橋に接岸しているのは、まるで仕事を失っていたはずの自動車運搬船。
自動車販売店に勤務し、今は特別休暇中となっている兄の俊明は、近くかの船舶に乗り込む予定だった。どうしてか臨時の自衛隊員として採用され、特設三曹の階級章を付けることとなったのだ。
その仕事はというと、今も続々と積み込まれている車両――トラックや特殊車両、銃や大砲にしては変テコなものを装備した4WD車両など――の管理。北米上陸前は船内に固定されているだけだから、その間は船内体育と実務に関する研修らしい。
真剣にやってはいるが、普通の仕事をするだけ。智子はそんな風に説明された。
「一応戦場にはいくけど、何てことはないさ」
幾分筋肉質になった兄は、そう言ってパーコー麺を一口。智子もそれに釣られた。
横浜港付近は出征者が集まる関係で、飯屋も開いていたりする。店の中国人達が現状をどう思っているのかは、正直全く分からないけど、とりあえず味は以前と変わらず最高だった。
「時空間災害も心配っちゃ心配だけど、誰かが行かなきゃだしな」
「まあ、そうだよね」
智子は卓上に並んだ麺鉢や麻婆豆腐、エビチリなんかを眺める。
かつて些細な幸せだったものを取り戻すため、兄は北米へと向かう。戦死者は未だ数十名程度だが、その日が近づくと流石に少しだけ心配になって、短冊に兄が無事に帰還できるようにと書いておいた。
「一応、ほんと気を付けてよ?」
「命令通り動いてさえいれば死なないさ、多分」
兄はニッコリと微笑み、
「それより戻ったらさ、何つったっけ、お前がいつもつるんでる娘」
「智慧のこと?」
「そうそう、智慧ちゃん紹介してよ」
「えー、兄ちゃんまだ言うの……?」
智子はちょっと呆れた。前もそんなことを言ってきて、友人関係が乱れるから嫌と返していた。
ただここで明確に断っても、いいことはないかもしれない。
それに最近、自衛隊員は臨時であってもMMK――モテてモテて困るを意味する古代語で、最近流行ってる――だ。これでも一応三曹らしいから、どうせそこらで彼女作ってくるんじゃないかしら。
「まあいいわ、考えとく」
「おっ、サンキューな」
満面の笑みを浮かべ、兄は麻婆豆腐を本当に美味そうに食べ始める。
まあ戻ってきた時にまだ覚えてたら、少しだけ本気で考えてあげよう。智子はエビを摘まみながら思った。
東京都日野市:猫カフェ
次男の健人が猫と戯れるのを、和知海将補はにこやかに眺めていた。
小学3年生の、随分年を取ってからできた子供だった。母も一回り以上離れた兄も自衛官という環境に生まれた健人は、世にいう"官品"らしくヨットクラブで頑張っていたが、それと同じくらい猫が好きな子供に育っていた。
健人はちょっと太々しいトラ猫を撫でながら、絵本を興味深げに読み進めている。
特異的時空間災害が起こる前に和知が寄贈した、サムという船乗り猫の数奇な運命についてのものだ。サムは元々オスカーと名付けられた、戦艦ビスマルクの雄猫だ。彼女が沈没した後に英国海軍に拾われ、駆逐艦コサック、航空母艦アークロイヤルと転々とし、最終的にジブラルタルの事務所に落ち着いたという。
乗った軍艦がことごとく沈むので、陸の上なら安全だと水兵達が考えたという訳だった。
「パパ、もしかして……」
ページの終わりで健人は気づき、
「この猫もしかしてまだ生きてる?」
「ああ、生きてるな」
息子の大きな発見に、和知も驚いてみせる。
記録によれば昭和30年まで生きたらしいから、実際この世界のどこかで日向ぼっこでもしているだろう。
「僕もサムに会いたい。会えないかな?」
「まだ戦争が続いているから、それが終わったらかな」
「じゃあ、それ願い事にする! 動画撮って、サムのこと皆に紹介する!」
健人は元気よく宣言し、ボランティアのお姉さんから短冊をもらってくる。
そうして年なりに丁寧な字で願い事を書き記し、笹の葉に飾った。「配給生活が終わりますように」「内定先が潰れませんように」といった切実な願望と比べると、「不沈のサムに会えますように」というのはちょっと異色だった。
ただ息子は既にこの世界を受け入れているのだろうとも思った。
和知としては、全てが元通りになってほしかった。ほぼ全ての日本人が心からそう願い、昭和20年の世界を異物と認識し、強固な精神的鎖国を実現しつつあった。だが特異的時空間災害が終息しないのなら、健人のようになっていくのかもしれない。
「まあ、おっと……」
和知は肩に飛び乗ってきた三毛猫を受け止めつつ、
「さっさと戦争を片付けてこないとな」
「うん、パパ頑張って!」
健人が心の底からの笑顔を見せ、和知は大いに元気づけられた。
自衛艦隊幕僚長だった和知は明後日、アンカレッジへと渡り、新設された"第一艦隊"司令官に就任する。馬鹿でかいが出鱈目な改装艦ばかりの艦隊で、それでいて『神武』作戦を発動させる上で最重要な役割を有していた。
茨城県小美玉市:居酒屋
「俺等、3日後にはアラスカだな」
久保田三佐は日本酒を味わいながら、何気なく言った。
第3飛行隊はエルメンドルフへと進出し、『神武』作戦を支援することとなっている。水陸機動団が少し前にカナダ太平洋岸沖のクイーンシャーロット諸島を制圧していて、臨時滑走路が完成し次第、そこを中継拠点として北米爆撃を行う予定だ。
それからふと店のテレビを見てみると、妙な飛行機械が映っていた。
自動車工場を転用して製造された簡易な自爆無人機で、根室から射出されたそれらが、ウルップ島の試験場に置かれたM4中戦車を吹き飛ばしたりしている。解説によると本物の戦車で、拿捕したソ連貨物船の積荷であったらしい。
「この戦争、どうなるんだろう?」
「俺達が考えたってしょうがないさ」
同じくF-2Aパイロットの川越三佐は、相変わらずの調子で返答する。
それから芋焼酎を少し飲み、店でNo.1のジューシー唐揚げをパクつく。なお両者とも唐揚げにはレモン派だ。
「何か色々凄い戦争だけど、任務を命令通りこなせば、そのうち片付くだろ」
「まあ、そうだな」
「何処で戦うにしろ、大事なのは平常心……いや、ちょっと待てよ!?」
相当に飲んでいたはずの川越が急に真顔になる。
「やばい、重大なことを忘れていた」
「ん、何かあったのか?」
「ああ……アラスカじゃ"鋼鉄魔法少女"ができない。どうしよう」
「何だよ、脅かすなっての」
呆れ果てた言葉と限りなく大きな溜息が漏れる。
とはいえ――よくよく考えてもみれば、これまでに例のない規模の大遠征が始まるのだ。自衛隊員や補助隊員の精神衛生管理もまた非常に重要で、案外馬鹿にできない問題かもしれないと久保田は思った。
石川県加賀市:温泉地
「本当に俺の像が立ってるなあ……」
「ご満足いただけたでしょうか?」
生憎の雨に背広を濡らしながら、ポカーンと自身の銅像を眺める辻大佐に、陸上自衛隊の三原孝信三佐が尋ねる。
父が婿養子であったから姓が変わっているが、実のところ三原は辻の曾孫にあたる人間であり、それ故に面倒事を押し付けられてしまった。全く大変な先祖を持ってしまったものである。
「ああ、十分だ。こうなったらとことん戦うまでよ」
茫洋とした調子で言うと、辻は唐突に気合を入れ、自らの頬をバチンと両手で叩く。
「勝って勝って勝ちまくる、それが俺だ辻政信だ」
猛烈に荒い鼻息。精悍な表情。立ち直ってはいるようだった。
実際辻は実験兵団の指揮官に収まってしまっていた。鹵獲品や自衛隊のお古、民生品転用兵器で武装した、寄せ集め感に満ちた部隊で、羽田大本営の強い要望もあって近日中の侵攻作戦への投入も決まっている。ボケた頭では戦えないことだけは間違いない。
とはいえ正直なところ、三原には曽祖父が亡霊のようにも見えた。
それも過去の亡霊とかいった観念的なものに非ざる、実の肉体を有し自ら行動する亡霊だった。不可解な形で現世に蘇ってしまった亡霊が、同じように時空間上の迷子となった数千の若者を率いて、戦いに赴かんとしている。恐らくはまた二重に戦死する者が出て、厚生労働省の役人や靖国神社の宮司を困惑させるのだろう。
そしてそんな辻の姿を眺め、ある程度の答えを予期しつつ、三原は尋ねる。
「実のところ、何故戦おうとされるのでしょう?」
「んん……?」
辻は表情を変えずに唸る。
その後の一瞬を彼は思考の整理に使ったようで、言語化が完了したのか口を開いた。
「俺達には軍隊しか残っておらんからだ」
少し苦しげな、何かを堪えたような声色で、
「内地がこのあり様では、俺達には軍隊しか残らん。だから部隊を家族と思う他、懸命に戦って勝つ他、これから生きていく道はない。だいたい令和の政府はだ、俺達を内地に戻そうとは、これっぽっちも考えておらんのだろう?」
「ええ……何故それを?」
「何だ、案の定か。まあ致し方あるまいな」
降りしきる雨の中、辻は様々なものを諦めたような調子で言う。
ここ加賀市こそが故郷であるはずだったが、一応自分も縁者なはずだが、やはり辻にとっては黄泉も同然なようだった。もっとも国家的視点からすれば、そう思ってくれている方がありがたいのだろう。
「三原少佐……ああ、三佐だったか。折角だ、湯にでも浸かっていかんか?」
辻は唐突に人懐こい相を浮かべ、
「身体が冷えてしまった。風邪を引く訳にはいかん」
「分かりました」
応諾。三原は端末を操作しながら、湯は奈良時代から湧き続けているのだったなと思った。
東京都千代田区:首相官邸
「現在、米国西部に展開している作戦航空機は概ね3000、今後も増加するものと思われます」
会議室の壁に投影された北米大陸の地図を背に、三津谷統幕長が大臣達に説明する。
広大な地積のあちこちに数多存在する飛行場群に、航空隊を意味する駒が重なっている。かなり分散しているようだった。一か所に集めればB-747Aなどの爆撃で容易に無力化する、それは米国人も理解しているという訳だ。
「特に航続力に優れる中型機、大型機をシエラネバダ山脈からロッキー山脈にかけての内陸部に展開させるなど、西海岸沿岸での戦闘を念頭に置いた配置を行っております。米国本土上陸を円滑に遂行するに当たり、これら敵航空戦力の撃滅は欠かすことができない一方、初動での完全な撃滅は、我の戦力から考えても困難と予想されます」
「自衛隊にも空母は2隻しかないからな」
加藤総理がフンと鼻を鳴らす。2隻の空母のどちらもが軽空母だった。
なお厄介なことに、艦載機のF-35Bも急速に消耗しつつあった。元々が輸入品であり、後方支援ネットワークが遮断され部品供給も絶望的な状況では、あと数か月で全機が飛行不能となると予想されてる。最先端技術と軍事機密、特殊なノウハウの塊のような航空機だから、再び飛ばすには最短で5年という見積もりだ。
無論のこと、似たような話はF-2Aなどでも持ち上がっているが、こちらはF-35系列とは性質が異なる。
「まあいい。その撃滅を、あの"第一艦隊"がやる訳だな」
「その通りです、総理」
三津谷が自信満々に答え、
「大型改装艦を中心とする水上打撃部隊で西海岸一帯に対する砲爆撃を連続して実施、敵航空戦力による反撃を誘発せしめ、同部隊の対空火力をもってその撃滅を行います」
「出てこない可能性についてはどうだ?」
日下防衛大臣が質問する。
「旧日本軍は本土決戦に際して航空戦力を温存、敵揚陸船団が確認され次第、全力での航空特別攻撃を行う計画だった。同じ手を使われないとも限らん」
「その場合は大西洋航路遮断作戦を実施する予定のB-747Aも航空基地攻撃に投入いたします」
「ふむ……」
その回答に、日下が少し考え込む。
「なお、当時の意思決定構造や大衆世論状況等からの分析では、97%以上の確率で大規模な反撃が実施されるとのことです」
「その辺はまあ、今更あれこれ考えても仕方あるまい」
加藤は楽観的な口調で言い、
「明日には出撃だ、武運長久を祈るしかないだろう」
「そうですね」
日下も肯き、両者の視線が投影された地図の端、"第一艦隊"と記された大きな駒に集中する。
武藤補佐官が提案した源内プロジェクトの成果を、全日本の科学的知見と産業技術、ある種異質な新結合を、これでもかと詰め込んだ大型改装艦群。省力化が徹底され、乗組員防護には徹底した配慮がなされているが、それでも命を懸けて任務を遂行する者達がいることに変わりはなかった。
作中では七夕を迎え、人々が短冊に願いを込める中、出征が始まっていく第74話でした。
第75話は6月6日(土)更新予定の予定です。読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
不沈のサムは、その真偽について色々あるようですが、その実、好きなエピソードだったりします。特に小さい子供の場合、世の中が滅茶苦茶になっていても、会ってみたい存在と映るのではないでしょうか?
一方、どこかの誰かさんは、未来に生きた自分の足跡を思い切り目の当たりにし、故郷が故郷たり得なくなってしまうことを実感します。その先にあるものは……?
そして北米上陸作戦における大きな関門の1つが、西海岸に当然集中するであろう航空戦力になります。
特に数千機が分散配置された場合、作中にある通り、なかなか処理が面倒です。"第一艦隊"が如何なるものになるのか、如何なる戦い方をするのか、ご期待いただければ幸いです。




