70. 業火
東京都新宿区:防衛省庁舎
「率直に言うと、西海岸はもう駄目です。突然こんな事言って申し訳ないですけど、でも本当の事です」
「もうそろそろすると、南の方に、物凄く大きな空襲があって、それが終わりの始まりです。程なく全域が標的となりますので、善良な米国市民の皆さんは、焼け出される前に、東に逃げてください。空襲が止んでもう少しすると、彼等は来ます」
「悪いけど、苦しくて、痛くて、辛い終わりになります。それじゃあ、もう定時なので、この辺で。さよなら」
そんな内容がアラスカのラジオ局から、全米に向けて英語放送されていた。
情報本部統合情報部の面々は、"Tokyo Rose 2nd"なんて名前の人工合成音声や冗談で作ったとしか思えない文面に呆れたり苦笑いしたりしつつも、その効果については真剣に評価する。
「どうだ、一応事前の避難を呼びかけてはいるが」
統合情報部長の加賀谷一佐が尋ねる。
デスクトップ上であれこれ作業をしていた岡田三佐は、すぐさま振り向くと、思い切り肩を竦めて溜息をつく。
「全く効果は見られません。5月の空襲の後は、どこもかしこも大混乱だったようですが、最近は妙に落ち着いています」
「別に奴等の運命に興味なんかないが」
加賀谷は首を傾げ、
「何故なんだろうな? 日本でも学童疎開があっただろう」
「やはり認識が追い付かないのではないでしょうか? 勝利目前から急転直下の本土空襲ですし」
「なるほどな。まあいい、最終確認だが、西海岸の敵夜間戦闘機の動きはどうだ?」
「動けておりません」
岡田はそう言うと、デスクトップの画面に必要なデータを表示させる。
エルメンドルフに前方展開し、北米大陸の上空高度2万メートル近くに滞空するRQ-4B グローバルホーク。それが取得した航空無線記録のうち、西海岸において夜間に発せられたものを特定条件で抽出する。それらを日ごとに集計すると、自爆無人機の実戦テストを兼ねた空襲を行った3日前から、大幅に減少していることが分かる。
米軍もP-80やF7Fを夜間戦闘機として運用すべく訓練を行っていたが、その全ての拠点が吹き飛んでいた。
「加えて高高度高射砲群も沈黙しています」
「問題は何もなしか、分かった」
加賀谷は微妙につまらなそうに肯くと、最終報告を上げるべく電話機を取った。
カリフォルニア州:チャンネル諸島上空
宇宙に溶け込んだような成層圏を、これまた漆黒の大型双発機が隊伍をなして進んでいく。
全く今後を見通せない航空旅客業界が航空自衛隊に売却し、これまた強引な改修の結果として誕生したB-777B爆撃機だった。客席やギャレーなど一切が取り払われたキャビンの下には、主力戦車の総重量を上回るほどの集束焼夷弾が積み込まれている。
それらが目指すは言うまでもなくロサンゼルス。
自衛隊に転職し、あるいは出戻ったりしたパイロット達の幾人かは、慣れ親しんだ航空路がこうも変わってしまったことに愚痴をこぼしつつ、機首を人口150万超の大市街へと向けていく。
「爆撃扉開け」
号令とともに、胴体後部に備えられた扉がゆっくりと開放される。
爆弾庫――要はかつての貨物室だ――の与圧は既に切ってあった。新たな空気抵抗が発生して機体が幾分振動するも、機載のコンピュータがすぐにその分を補正し、飛行への影響を回避する。
ともかくもそうして投弾装置が露となり、付属のレーザー測定機器が大気流動や地表面をスキャンし始める。
「迎撃はなさそうですね」
「油断は禁物。気合い入れていくぞ」
先頭を進むB-777Bのコクピットにて、正副のパイロットがそんな会話を交わす。
実際、被害があってはならなかった。21世紀のボーイング社とは当然連絡がつかないから、機体の再生産は困難であるし、何よりパイロットの生命を危険に晒すことはできない。夜間高高度爆撃であるのもそのためだ。
とはいえ更に先行するC-2EBおよびB-747Aからの報告によると、高度1万メートル以上でまともな飛行が可能な迎撃機は、相変わらず存在していないとのこと。同じく厄介な高高度高射砲にしても、未だ復旧していないようだ。
最悪の事態に備えて機載された"お守り"。その効力を身をもって実証せずに済みそうなことに、全ての搭乗員が安堵する。
「爆撃準備」
気付けば先頭機は海岸線を越えんとしており、
「投下」
合図と同時に集束焼夷弾が、魚の産卵か何かのように連続射出されていく。
それらが地上目掛けて突き進みし、空中で爆ぜて無数の子弾を撒き散らす様は、完全な東京空襲の意趣返しであった。ただ一見するとランダムなその投下パターンには、計算され尽くした秘密が潜んでいた。
カリフォルニア州ロングビーチ:市街地
ジョンとジェニーの兄妹は、開戦とほぼ同時にこの美しい街へと移っていた。
言うまでもなく軍人の子弟であるが故だ。父なる人物は重巡洋艦に乗り組んでいるが故、滅多に家には戻らなかったが、それでも兄妹にとっては自慢の父だった。特に中学2年生のジョンは、水兵達の話を聞くのを何より楽しみにしていた。
ただそうした環境が故か、彼等は世情に敏感でもあった。
母や周囲の大人達の態度から、戦争の雲行きが突然怪しくなり始めたのだと、ジョンは朧気ながら察していた。そうした懸念は本土空襲関連のニュースで増幅され、州政府が発した疎開命令によって決定的となった。来週には3年半ほど過ごしたこの街を離れ、ベーカーズフィールド近郊の農村へと移ることとなる。
(父さん、大丈夫かな……?)
がらんとしたアパートメントのベランダから、幼いジェニーとともに、ジョンは夜の港を心細げに見やる。
明かりは未だ煌々としていたが、船が少なく思えた。太平洋艦隊全滅という恐ろしい噂が流れており、とにかく気が気でない。この街を離れてしまえば、永久に父との繋がりが消え失せるのではないか、そんな恐怖が兄妹の心に影を落としていた。
「ん……?」
ジョンはふと、聞き覚えのない音に感づく。
何かが空の上にあって、得体の知れない轟きを撒き散らしている。どうしてかその音階は変調していき、ほぼ同時に唸るような警報が街のあちこちから鳴り響いてきた。
夜空を幾筋ものサーチライトが割き、音源を必死に探して回る。
「おい、空襲だぞ!」
誰かが大声で叫び、無秩序な悲鳴や足音がそれに続いた。
市街はあっという間に混乱に飲まれた。耳が聞こえているだけでゾッとする喧噪、怒号が飛び交う。
「兄ちゃん、怖いよ」
「大丈夫、俺がついてる」
ジョンは気丈に微笑みかける。
こうした時に頼りになる母は、工場の夜勤のため不在。妹を守ってやれるのは俺だけだ、そう自身に言い聞かせる。
「悪い敵は、勇敢な兵隊さんがやっつけてくれる。さあ、行くぞ」
そう言って怯えるジェニーの手を強く握り、アパートメントを出、指定された避難所へと足を進める。
ただ暫くして、視線を北へと向けたジョンは、悍ましい光景を目撃してしまった。ロサンゼルス中心街のある辺りが、不気味に明るく煌き、何かがシャワーのように降り注いでいた。
カリフォルニア州ロングビーチ:航空機工場
既にロサンゼルス中心部は異常な火災に覆われ、夜空を赤々と染め上げていた。
天の高みに向かって炎の竜巻が幾つも伸び、地表にある何もかもを巻き上げ、消し炭に変えんと暴れ狂う。いったい何万人が、いや何十万人が焼け死のうとしているのか、恐ろしくて想像すらできない。
それでも2児の母であり、厳格なる海軍将校の妻でもあるシンディは、とにかく女工達の避難に全力を挙げていた。
ダグラス社の製造拠点であるここも、間違いなく空襲の標的とされるだろう。そうなる前に1人でも多くを防空壕――などと言えるほどの造りでもないが――へと避難させなければならなかった。全く悔しい限りだが、他人の心配や敵への憎悪は、自分が生き延びてからでないとできないのだ。
「急いで! 早くしないと焼け死ぬわよ!」
「畜生、何でこんな目に……」
「無駄口叩いてないで駆け足!」
カラカラに乾いた空気の中、シンディは声を張り上げる。
本格的な空襲への備えがまるでない状況で、第二次世界大戦の勝利を間近に控えて緩んだ気分で、あまりにも突然に迎える破目になったアメリカ本土空襲。あの衝撃の日から1か月半ほどしか経っていないとはいえ、もう少し何とかならないものか。女工達の右往左往ぶりは、正直に言ってもどかしい限りだった。
それに迎撃機や高射砲は何をしているのか――真上を睨んだ直後、サーチライトが敵機と交叉したのをシンディは目撃した。
妙に胴長の双発機だった。どれほどの規模の機体なのかよく見えなかったとはいえ、何故たかだか双発の機体がカリフォルニアまで飛んできてしまうのかが分からない。
(まあいいわ、とにかく頑張って!)
シンディは心の中でそんな声援を送った。サーチライトで捉えた以上、高射砲弾が集中するのは明白と思った。
ただ当然ながら、彼女は知らなかった。かの双発機がボーイング――再帰する前の歴史においては、彼女の勤務するダグラスをも吸収し、航空産業の雄として世界に君臨する巨大企業――の製品であり、M2 90mm高射砲では物理的に迎撃不可能な高度を、時速900キロもの速度で飛翔していたという事実を。
そしてシンディが再び同僚の叱咤に戻った直後、既に投下されていた集束焼夷弾の一群が工場に襲い掛かった。
「ああッ、熱いッ!」
「パムを、パムを助けて!」
建屋も植木も猛火に包まれ、可燃性油脂が逃げ遅れた女工達に襲い掛かる。
辺り一帯が阿鼻叫喚の巷となり、大勢が次々と人間松明へと変わっていく。その煉獄もかくやと思われる悍ましい光景に、シンディは思わず息を呑み、それでも仲間達を助けるべく、危険を省みぬ懸命の救助活動を行った。
「誰かタイプBの消火器を……」
そう叫んだ直後、シンディは急激な目眩を覚えてよろめき倒れた。
明確な一酸化炭素中毒だった。家に残した子供達の心配をする余裕もなく、彼女は意識を、そして数分の後には生命をも失った。
カリフォルニア州ロサンゼルス:市街地
空襲に際して真っ先に標的とされたものの1つが、実のところ市街の消火機構だった。
焼夷弾爆撃に先駆けて行われた誘導爆弾攻撃により、消防署が大きい順に60ほど地上から抹殺された。更には電話交換局も沈黙、無線局も機能不全ともなれば、組織的な対応など困難ともなるだろう。
そうした状況にあっても残存した消防署の幾つかは、指揮系統が混乱する中にあって、独断での活動を始めていた。
「到着しました!」
「よし、お前等急げ!」
サイレンを鳴らして緊急走行してきた複数の消防ポンプ車。それを統率する中隊長が叫び、消防士達が駆け出す。
「糞ッ、なんて炎だ……」
市街は火と硫黄の池をぶちまけたようで、あまりの惨状に戦慄の声が漏れる。
目の前には真っ赤な壁が聳え、遥か向こうに炎の竜巻。熱気と煤が既に物凄く、悍ましい臭気が立ち込める。身体の各所に悲惨な火傷を負った市民が逃げ惑い、少し前までそうであった者が道端に倒れ伏している。
それでも消防士はホースを担ぎ、素早く消火栓へと接続させた。放水口から勢いよく水が飛び出す。
「よし、かかれ!」
各小隊長が号令する。蛇の如くうねるホースを全力で抱え、炎の制圧に取りかかった。
相手は厄介極まりない油脂性火災で、どうやら恐ろしいナパームが大量使用されたようだが、ならば付着した油脂ごと洗い流すまでと放水長は意気込む。
だが――彼等の覚悟や責任感とは裏腹に、暫し放水を行った辺りで、ホースは突如として萎れてしまう。
「おい、どういうことだ!?」
「み、水が……」
今にも泣き出さんばかりの声を、新人の消防士が漏らした。
配水系統に何らかの不具合があったのか、消火栓が全く使い物にならなくなっていたのだ。
「馬鹿な、どうしてだ!?」
放水長が絶望のあまり絶叫し、誰もが呆然と立ち尽くす。
彼等には知る由もなかったが、サンフランシスコ地震の時とは異なり、配水管の大部分は無事だった。ただその大元たる配水場を、B-747Aの放った誘導爆弾が、完膚なきまでに破壊してしまっていたのだ。
アラスカ準州アンカレッジ:エルメンドルフ航空基地
「凄まじい爆撃だったよ」
C-2EBの電子戦闘を統括する中西三佐は、デブリーフィングを終えた後、仮設食堂でハンバーガーを食べながら漏らした。
地震発生時の火災の広がり方に関するシミュレーションや配水系統破損による断水といった知見、気象情報、都市構造情報等を組み合わせ、敵国都市を焼亡せしめる手法へと転用する。それこそが防災研主催の"かちかち山プロジェクト"の本質であり、多くの国民の協力もあって、いつ、どこに焼夷弾を落とせば最も効率的かが計算できたという訳だ。
先のロサンゼルス空襲はその実践第一例目だった。既に30万人程度が死傷したと見積もられ、火災は未だ続いているから、被害は更に拡大すると推定されている。全くギネス記録級だった。
「これ、どうなるんだろうな?」
「東京の報復で済むんじゃないか? 実際東京大空襲と同じやり方だし、日本を消すとか言ってる連中だし」
防衛大学校同期でよくつるんでいる、管制隊の大槻松雄三佐が言う。
なお大槻は既に食事を終え、デザートへと移行していた。妙に乙女チックな甘味が好きな人間で、基地のコンビニで売られているイチゴ味のシュークリームをムシャムシャと食べている。
「それにカズさ、ハンブルク空襲ってあったじゃん? あれの碑文に何て書いてあるか知ってる?」
「ええと……」
中西はスマートフォンを取り出し、直後にネットがまだまともに繋がらないことを思い出す。
「すまん、よく覚えてない。どんな内容だったっけ?」
「んとな、『彼等の死を忘れるな。二度とファシズムを台頭させてはならない。二度と戦争を起こしてはならない』とか書いてあるらしいんだよ、Wikipedia情報だけど」
「へえ、そうなのか」
「だから、これと同じじゃないかと思うぜ。『彼等の死を忘れるな。二度と衆愚政治を台頭させてはならない。二度と戦争を起こしてはならない』とか適当に書かれた碑文が、そのうちロサンゼルスの元リトルトーキョーにでも建つんじゃないかな。そんでもって平和の尊さだの、無謀な戦争に対する反省だの、善人気取りがしたり顔で説いて回るって訳」
「相変わらず、マツは盆栽みたいに捻くれてるよな」
同期が教官をよく困らせていた頃を思い出し、中西は軽く苦笑する。
ただ実際、そんなものかもしれないとも思った。原爆慰霊碑の碑文の後半が削除されたとか、そんなニュースも昨日テレビで流れていた。結局のところ、勝利よりも悲惨な光景は敗北しかなく、それはあまりに悲惨なのだろう。
「まあ、何だ……悲しいけどこれ戦争なのよね、とでも言えばいいのか」
「ガラじゃないな」
「うるせえよ」
中西は大槻を軽く小突き、それからハンバーガーの残りを頬張る。肉汁とトマト、アボカドなどの味が口の中にじんわりと広がった。
第70話にして新章に突入です。国の命運を賭した"神武"作戦の発動を控え、戦争もまた本格化していきます。
第71話は5月25日(月)更新予定の予定です。読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。お陰様で100万PVを達成いたしました。これからもよろしくお願いいたします。
史実において行われた日本本土空襲は、如何に効率的に市街地を焼き払い、人間を殺傷するかという科学的な設問に対する解答と言うことができます。実際の市街地を模したセットに対する投弾実験を繰り返し行いながら、気象条件の選定、専用焼夷弾の設計・生産、最適な投弾パターンの検討、火災旋風の誘発手法(これに成功した例はそこまで多くありませんが、その一例が東京大空襲です)など、ノウハウを蓄積していきました。
では同じ設問が現代において投げかけられたらどうなるか? その解答の1つが、第67話でもちょっとだけ登場し、今回詳細が明らかとなった"かちかち山プロジェクト"となります。
現在、市街地での火災発生時の被害予測や防災研究を目的として、各種シミュレータが開発され、また一般利用可能な形で公開されていたりします。特に有名なのは、国土技術政策総合研究所のシミュレータでしょうか? 本作では、このようなシミュレータもしくはそこに用いられているアルゴリズム、理論等を用いて、空襲の最適化研究が可能なのではないか? と考えてみました。
また阪神大震災では給水管の破裂、配水池からの水漏れ、配水所の停電などのため、消火活動に支障をきたしたといった事例がありました。また瓦礫、倒木等によって消防車が通行できない、行政等の準備不足によって自衛隊出動が遅れるといったこともありました。空襲においては、そうした要素を人工的に最大化させる方向での攻撃も考えられます。
そしてこの設問が如何なる理由から投げかけられることとなったのかは、今後徐々に明らかとなっていきます。




