67. 選挙戦
石川県金沢市:市街地
地元へと至る道は、どこも閑散としていた。
関越、上信越、北陸といった高速道路には、幾らか物資運搬用の長距離トラックが走っていた程度。不要不急の輸送の停止や鉄道輸送への切り替えなどもあって、道路渋滞という概念自体がえらく遠くに感じられる。
とはいえ市街へと入っていくと、選挙カーの車窓から望める光景にも変化が出てくる。
国家緊急経済移行、いわゆる"NEET"計画によって大勢が通勤も遠出もできなくなったが、それでも近場で今できることをし始めている。公共施設では様々な勉強会が開かれたり、草の根の催しで縁者と逸れた者を励ましたり、電子機器に不慣れなお年寄りをボランティアが支援したりといった具合だ。
ふと見てみればきぼうの畑――要は昔の戦時農場だ――が公園に開設され、結構な人数が精を出していた。
「令和とは、まさにこうした姿のことだろうな」
総理補佐官にして特異的時空間災害対策担当大臣、対策本部副本部長の武藤は、感慨深げにそう呟く。
「後世の人々にも、これが最良の時期であったと言わしめたいものだ」
「先生、チャーチル首相なら、この世界に実在しておりますよ」
ほぼ地元を任せてきた私設秘書の河合が、すかさずツッコミを入れる。
そうだったと武藤は応じつつ、対英戦争計画を思い出した。現状"アメリカ占領"の実現で手一杯なため、とりあえずロンドンを爆撃するくらいしか決まっていないが、その策定に関わった人間がチャーチルの言葉を用いるのも皮肉なものだ。
「まあそれはともかく、皆が先生の到着を心待ちにしております」
河合は人懐こく笑み、
「先生は今や日本の希望ですから」
「悪い気はしないが、買い被り過ぎだ。とはいえ……」
ちょうど選挙カーが閑散としたオフィス街の交差点を曲がり、金沢駅前ロータリーに入った。
そこには大勢の支持者が詰め掛けてくれていた。千を優に上回る数の彼等こそ、自分を永田町へと送り出してくれた、全身全霊を挙げて尽くさねばならない人々であった。
首相官邸の景色ばかりであった武藤の目には、老若男女の顏という顔が鮮烈に映えた。
「まず、ここでの戦いに勝つ」
武藤は大いに意気込み、
「そして何気ない日常を、必ず取り戻してみせる。それだけは約束する」
千葉県野田市:私立大学
智慧と智子の女子大生コンビは、滅多に来ることのなかったキャンパスに通っていた。
普段通っていたところが空襲で焼けてしまったため、講義はこちらでやるという訳だ。そのため徒歩5分のところにルームシェアできる物件を借り、最低限の荷物だけ持ってそこへ移住していた。手続きは智子の父が全て片付けてくれたのだが、この時世にどうやったのかはさっぱり分からない。
そんな彼女達は午後の講義を終えた後、地学サークルの仮部室へ来ていた。
基本万事いい加減な部長が言っていた通り、部のパソコンに報国ソフトをインストールするためだ。"かちかち山プロジェクト"なる防災研主催の分散コンピューティングに参加し、僅かばかり部費を稼ぐのが目的らしい。
もっとも収益の半分くらいは、部長一派がはまっている"エキメイ"なる美少女SFソシャゲに費やされてしまいそうだけど。
「そういえば選挙らしいね」
ディスプレイ上のウサギの擬人化キャラをぼんやり眺めつつ、智慧が天気の話でもするかのように言い、
「どうするか決まった?」
「あんまり違い、分かんないんだよね」
智子もキーボードを叩きながら、適当かつ正直に答える。
争点といえば戦争と憲法改正の是非だが、一部を除けば野党も与党も同じような公約をしている。違いがあるとすれば、野党第一党の団結党が、ちょっと過激なことくらいだ。
そう思っていると、唐突にざわめきと罵倒が窓の外から響いてくる。
「何が平和だ、この差別主義者の敗北主義者!」
「お前だけ降伏してろ!」
おっかない怒鳴り声に、智子と智慧は顔を見合わせた。
団結党ファンクラブを自称する困ったのが、またまた騒ぎを起こしているのだ。マウントを取ったり暴力を振るったりするためなら、主張も正義も全く選ばん奴がいる。智子は父がそう言っていたのを思い出す。
「智子、とりあえず与党でいいよね?」
「うん、それでいいと思う」
埼玉県さいたま市:マンション
本業のWebライターになってしまった大野は、昭和20年のアラスカについて書いていた。
検索してもまともな英語ソースはもはや出てこないが、高校の同級生が旅行代理店勤務で、色々と資料を転送してくれたのだ。その中でもちょっと面白そうだったのが、物流改善を目的として昭和18年に開通した、北米最長のウィッタートンネル。それを同じ頃に開通した関門海峡トンネルと並べる形で記事を書いている。
なおウィッタートンネルは現在修復中で、現地を占領する自衛隊や補助隊の補給に役立てる予定とのこと。使えるものはいただくという寸法だ。
「こいつは……ああ、駄目か」
大野はそう言って息を吐き、コーヒー代わりの茶を飲んでリラックスする。
約200人の村民が1つの建物内で暮らしているという内容は、記事には適さなさそうだった。元同級生の送ってくれた資料にあったこれは、戦争が終わって暫くしてから、特に米ソ冷戦が激化して以降の話であるようだ。
するとどうにも執筆意欲が飛んでしまい、大野はWebブラウザを展開させた。
少しばかり休憩を取って、最近またやり始めた艦艇擬人化もののゲームをプレイしようかと思った。アラスカ湾海戦の結果を反映した大型イベントが矢継ぎ早に緊急実装され、人気も突沸状態にあるのだ。
だが間が悪いことに着信があり、相手は仕事をもらっている編集長だった。
「あ、編集長、どうも……」
「やあ大野君、選挙どうするか決まった?」
「いや……全然決めてないですね」
大野は正直に言い、
「多分投票所に行って、多分どっかに入れます」
「ああじゃあさ、うち団結党を推そうと思うんだけど、大野君もどうかな?」
「よく調べてないですけど、何かあるんですか?」
「いやさ、うち前に有坂先生にお世話になったし、毎週ビフテキが公約だし」
「いったいいつの時代……ん、本当にそこ分からないんでした」
定番の冗談を口にしてから、幾分乾いた笑い声。
どちらかというと今のところは、ビフテキよりもラムの香草焼きが食べたいところだ。21世紀の世界では、羊肉の輸出はオーストラリアが最も多いはずだったが、昭和20年となるとどうだろうか。
加えて高校の同級生で、今は商社勤務の太田が、満洲で豚や羊の調達交渉をやっているという話だったが――あまり大きな期待をし過ぎても駄目なんだろう。
「まあ、分かりました。そこにしますね」
「おお、感謝するよ! じゃあまた今度!」
「はい、では失礼します」
大野は通話を終えると、ささっとブラウザゲームをスタートした。
公約なんて案外いい加減なものだろう。それより今は新しい駆逐艦や新装備を入手する方が重要だった。
北海道夕張市:宿泊施設
旅館風の宿の一室にて、田島は2か月ぶりに会った妻と一緒に、ゆっくりと日本酒を味わっていた。
炭鉱従事者への福利の一環として、家族に北海道旅行がプレゼントされたという訳だ。なお子供達は久々の遠出とデザートの夕張メロンに大満足し、はしゃぎ回った末に寝付いてしまった。
「私達は、取り戻します。何気ない日常を」
民放のロードショーがCMに入り、与党の自由民権党のそれが流れてくる。
「私達は、取り戻します。かつての生活を」
「かつての生活、か」
総理大臣の発した言葉に、田島はちょっと首を傾げる。
つい3か月とちょっと前までは、月給の範囲内で自由に外食をしたり、あれこれ欲しいものを買ったりといった生活があった。少しばかり出費は嵩むが、放送中のおバカフランス映画みたいに海外を旅したりすることもできた。生まれてからずっと、当たり前のように続いてきたはずのそれが、今では蜃気楼のように、どこか遠くへいってしまったように思えてならない。
「それでもまあ……」
田島は一献傾け、美味そうに息をつく。
「俺も少しは役に立ててるかな」
「そりゃそうよ」
妻が即答し、
「家族でここに来れてるんですもの」
「まあ、そうだよな」
「それとあなた、投票はもう済ませまして?」
「ああ、昨日やっておいたよ」
随分前だが、会社に挨拶に来た代議士の顔を思い出される。
その時は随分頼りない印象だったかもしれない。とはいえこの重要局面において外務大臣に昇格し、内閣の一員として立派に働いてくれているようだ。
「実際、先生方にも頑張ってもらわないとだしな」
東京都日野市:猫カフェ
穂香は相変わらず休業中のOLで、今はほぼ猫カフェの手伝いをしていた。
帰宅するとロシアンブルーのチョリが妙に興奮することもあったが、気ままに日向ぼっこなどする猫達を見ていると、辛い現実も忘れてしまいそうになる。そう思う人はやはり多いのか、あの日以前よりも客足が伸びているほどだ。
ただそんな癒しの場が存続していること自体、この状況では凄いことかもしれない。
「その辺、結構大変だったんだから」
検診に来た少し年上の獣医さんが、新入りのトラ猫をブラッシングしながら言う。
「人の食べ物だってまだ十分じゃないし」
「まあ、そうだよね……」
昨日の献立を思い浮かべ、穂香はちょっと心配そうに肯く。
当初の予想と比べると、多分かなりマシなんだろう。でも猫友達の美奈が言うには、備蓄を切り崩している面も大きいらしい。肥料の不足もかなり深刻で、石油が入らなければ耕運機も動かない。実のところ、まだまだ不安がいっぱいだ。
「だから、3月はあちこちに電話したの」
「電話?」
「そう。議員の先生とかに、お願いの電話をたくさん。この子達がちゃんと食べていけるようにって」
獣医は笑顔を浮かべ、ブラッシングを終えたトラ猫をひと撫で。
トラ猫は眠たげに閉じていた目を見開き、大きな欠伸と伸びをする。それからにゃごと、お礼とばかりに短く鳴くと、集って寝そべる仲間の方へとのんびり歩いていく。
こんな光景こそ、私達が守るべきものなんだ――穂香はそう痛感した。
それに世界がひっくり返ってしまったあの日、恐ろしい噂に戸惑い、ただ泣いてばかりだった自分が恥ずかしい。
「特に岩谷先生とか、この子達こそ日常の象徴だって頑張ってくれたの」
「そっか……お礼、どうしたら言える?」
「んー、そうね」
獣医さんがちょっと深刻そうに考え込み、
「名前を憶えておくだけで十分よ」
「え、どうして?」
「岩谷先生、東京選出の議員だもの。今回改選だから、何なら投票してあげて」
東京都千代田区:秋葉原駅前
「今こそ、勝利を勝ち取りましょう! そして……国民の皆様の、かけがえのない日常を取り戻しましょう!」
「おおッ!」
選挙カーの上で加藤総理は叫び、大勢の支持者がワッと呼応した。
駅前ロータリーは巨大な渦のごとき歓声に包まれ、掲げられた数多の日章旗が波打つ。元通りの生活という夢は、もはや国家の戦勝の上にしかなく、その実現に向けて邁進してきた加藤政権に、誰もが惜しみない拍手を送っていた。
なお党の選挙戦最後の訴えは、少し前の総理が奇跡的勝利を勝ち得て以来、秋葉原駅前で行うのが通例となっている。
電力・燃料節減の関係で、大型バスは不要不急の用には使えず、公共交通機関も減便したまま。故に流石に客足は落ちるだろうと思っていたら、現実はその逆で、全く嬉しい誤算だった。
「総理、頑張って!」
「日本をお願いします!」
演説を終えた加藤は激励の言葉を一身に浴びながら、車窓から手を伸ばし、次々と支持者と握手を交わしていく。
目の前には十人十色の笑顔が並んでいた。とはいえ隠しようのない切実さが、誰の表情にも深く刻まれているのが分かる。
「一刻も早く、日常を取り戻さないとな」
加藤は選挙戦の疲労に一息つきつつも、トヨタ・センチュリーに深々と腰かけ、自身に言い聞かせるように呟く、
各種世論調査を見る限り、与党の優勢は全く揺るがなかった。恐らく史上最多の議席を獲得し――衆議院などは単独で3分の2を上回るとの観測が出てすらいるくらいだった。団結党も憲法改正には賛成だから、近く国民投票も実施されるだろう。
とはいえやはり重要なのは、連合国なる悪逆非道の諸国を成敗し、国の存続に必要な資源を確保することだ。
特に8月には"アメリカ占領"計画の第二弾がスタートする。それは日本開闢以来、神武天皇が即位して以来、最も大掛かりな軍事作戦となるに違いない。
「そうか……」
「総理、どうかなさいましたか?」
何事かと秘書官が尋ねてくる。
脳裏に浮かんだものについて、加藤は少しばかり思案し、数秒を経た後に新結合を得た。
「ああ……"神武"作戦、なんてどうだろうかと思ってな」
選挙期間に突入する第67話でした。辛うじて維持された日常の中、有権者達がそれぞれの立場から、投票先を決めていきます。
第68話は5月16日(土)更新予定の予定です。読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
現実でも、毎年恒例のゴールデンウィーク渋滞が消滅するという事態になってしまいました。また逆に、自粛やロックダウンの影響から、原油が余りまくっているとか。大変な時期ではありますし、早くコロナウイルス災害の終息を願ってやみませんが、一方で今年のエネルギー消費などの指標がどれほど変動するかにも注目しています。現実世界で何らかの有事があり、SLOCに危機が迫った場合、何をどれほど削る必要があるのかといった問いに対する解となるかもしれません。
なお今回、一部政治家キャラクターの選挙区が判明しましたが、これはあまり考えて決定してはいません。毎回激戦区となるため政治家として地歩を築きにくそうなところは避けているといった程度です。




