58. 自然的憎悪
東京都葛飾区:新柴又駅付近
「奴等は無差別爆撃の非を認め、犯人の引き渡しと賠償金の支払いを行うという当然の義務を足蹴にしただけでなく……戦争犯罪者フランクリン・ルーズベルトは、あろうことか日本を地図から消すなどと、全世界に向けて言い放ったのです!」
駅前ロータリーに設けられた台座。その上に立つ弁士が、憤怒の相で獅子吼する。
その前に大勢が並び、彼等が掲げるものは様々だった。最前列の遺族が両手に抱くは、突然失われた家族の遺影。その後方には、引き千切られた6×8の星条旗や「鬼畜米英根絶」なるスローガンを描いたプラカードが、所狭しと掲げられている。
「この期に及んではもはや、日本と米国の間には……殺すか殺されるか、食うか食われるかの二択しかないことは明白であります。となれば生き残るべきはどちらでしょうか? 他国に突然焼夷弾を投じ、無辜の人々を殺戮し、恥じるどころかいよいよ暴虐の度合いを増す米国か、それともただ変わらぬ明日を望むだけであった我々か」
「我々だ!」
「奴等に明日を生きる権利などない!」
「殺してでも奪い取れ!」
聴衆の怒号が勢いを増す。用のある通行人も声援を送っている。
集積されたそれらは大きな音の波浪となって一帯を洗い、幾らかの時間の後に引く。それに合わせ、弁士は再び口を開いた。
「そう……この世界で生き残るべきは、言うまでもなく我々です! かのような畜生にも劣る犯罪国家に、我々の生存権を、幸福追求権を否定する権利があるでしょうか? 断じてありません! 我々は、我々として生きていこうではありませんか! そして腹いっぱい食べようじゃありませんか!」
万雷の拍手と猛烈なる喝采が場を支配する中、弁士が一礼して降りていった。
興奮冷めやらぬ聴衆は暫しその場に立ち尽くし、隣の人と喋るなどしながら、三々五々散っていく。危険な連中だから軍隊を取り上げるべきだとか、現地の野蛮人を農奴にしたらいいとか、そんな会話が漏れてくる。
息子の遺影を掲げた藤嶋は、次第に静かになっていく駅前で呆然としていた。
「藤嶋さん、お疲れさまでした」
運動員の1人が丁寧に労ってきた。
藤嶋は小さく肯き、どうにか相手の目を見て礼を言う。本来、あまり見たくない性質の人間だと思った。そうして力なく俯き、少しばかり目を瞑る。
「先生も、随分変わられたよね」
「ええ……先生も私も、かつては平和などという欺瞞に囚われておりました。取り返しのつかない過ちです」
藤嶋は調子のいい言葉を鼻で笑いたくなった。今こうやって取り返しているじゃないかと。
それでも、藤嶋は転向者への侮蔑を内心に留めておいた。しょうもない人間相手に怒鳴っても一文にもならないからだ。今は復讐のため全力を尽くし、使えるものは何でも使えと囁く理性に、彼はただ従っていた。
「これから、どうされますか?」
「準備がありますので、これで失礼いたします」
落ち着いた、少し温もりのある声で藤嶋は言った。
「陸上自衛隊の無人偵察攻撃機隊に受かりました……明日、配属なんですよ」
ニューヨーク州ブロンクス区:市街地
「おい、あっちへ逃げたぞ!」
「追い詰めろ!」
「ったく、逃げ足だけは早い奴!」
厄介な街のゴロツキどもから、アフロヘアーのマイクは逃げ回っていた。
長い脚で裏路地を駆け抜け、洗濯屋の角を急ぎ曲がる。それから安アパートの合間を走り、散乱したゴミ袋を跳び越える。罵声が少しばかり遠のき、少しばかり安堵の声。
「いったいどういうことだよ……」
何故自分が追いかけられる破目になったのか、マイクには全く想像がつかなかった。
ただ証券取引所や連邦銀行、市庁舎などが爆撃された晩以来、とかく暴力事件が多発していていることだけは確かだ。しかも理不尽なことに、黒人とアジア人、ユダヤ人はやたら標的とされている。
地下鉄が陸軍に接収されるとかで、新聞売りの職まで失ったというのに、何でこうも散々な目に遭わねばならないのだろうか。
「俺、何もしてねえのに」
「嘘こけ、てめえらスパイだろ!」
気付けば4人目のゴロツキが目の前にいた。しかも小物界の大物と目される"狂犬"のベンだ。
慌てて後ろを振り向くと、その手下3人が逃げ道を塞いでいた。進退窮まった――そう思った瞬間、マイクは脳天に衝撃を感じた。痛みとともに視界に星が飛び散り、強かに壁に叩き付けられる。
「旦那達、ひでえよ……それにスパイって?」
「ああ? てめえらクロンボが爆撃を誘導したんだろうが!」
「ええ……知らない、知らないよ!?」
ベンが何を言っているのか、さっぱり分からなかった。
だがそんなのはお構いなしに、ゴロツキ達は次々と蹴りを入れてきた。身体のあちこちに激痛が走り、分厚い唇が切れ、血の味が口内に充満する。
「将軍が言ってんだ、てめえらの誰かがジャップどもの手先だってな。これはその捜査だ!」
「特にお前、字が読めたよな? 怪しさしかねえ」
「おら、観念しやがれ!」
無茶苦茶なことを言いながら、ゴロツキどもはマイクを痛め付け、着ていたジャケットを奪い取る。
そうしてポケットの中身を物色し、財布を取り出して僅かな中身を奪っていく。大切な家族の写真がビリビリと千切られ、反射的に伸ばされた浅黒い手を、小太りの手下が踏みつけてくる。
「ボス、乱数表とかは見つかりません」
「うーむ、ハズレか……仕方ねえ、こいつを家に帰してやれ」
「へい、了解でやす」
ベンがいやらしい笑みを浮かべて命令し、ゴロツキの手下どもが従った。
路上で足蹴にされていたマイクは、今度はその身体を引き摺られ、街角のゴミ置き場へと投げ飛ばされる。
「任務完了でやす」
「おうご苦労。んじゃ次行くぞ、次!」
ゴロツキどもは強盗した硬貨を宙に投げ、ゲラゲラ笑いながら去っていく。
異臭、それから屈辱がとめどなく漂っていた。
地上波放送:民放討論番組
「えーでは北本さん、米国に対してどれほどの報復を行うべきでしょうか?」
「ええとですね、まずこちらをご覧ください」
司会者に促され、番組の名物コメンテーターの北本がパネルを開く。
そこには2本の棒グラフが描かれていた。片方の数字が2400で、もう一方が80万。それぞれに真珠湾攻撃、日本本土爆撃とキャプションが振られている。
「ご覧の通り、左が真珠湾攻撃、右が日本本土爆撃での死者になります。米国の理屈では真珠湾攻撃の報復が日本本土空襲な訳ですから、端的に言うと333倍の報復が許容されるということになります」
「おっと……改めて、驚くべき数値です。もしやこれを適用すると?」
「ええ、そうなります。東京空襲で犠牲となった方は、分かっているだけで1万と7981人にも上ります。そのためこの定式に当て嵌めますと、約600万人と算出されます」
北本の出した数字にスタジオがざわめく。視聴者も急激に反応しているようだ。
「また真珠湾攻撃は軍事目標に対するものであり、東京空襲は市街地無差別爆撃。しかも米国は日本を地図から消すとか抜かしとります。このことから係数2.5をかけまして、概ね1500万人の殺傷を当面の報復目標と考えては如何でしょうか? なお、これは米国の人口の約1割に当たります」
「なるほど、大変参考になります。さて、ここで視聴者の反応を見てみましょう」
司会者の言葉に従い、カメラはひな壇の上の大型モニタにフォーカスする。
視聴者反応分析システムが稼働し、妙ちくりんな効果音が響いた後、結果が表示された。北本の提案が8割方の支持を得ているようで、抑制的なもう一方はさっぱり振るわない。
「おっと……常木さん、相変わらずですね。やはり10万では足らないという声が支配的です」
「いやしかしですよ、1500万って……」
実質やられ役と化しているコメンテーターの常木が言葉に詰まり、
「流石にどうかしていませんか? 国際法から見ても……」
「常木さん、対連合国戦においては全軍縮条約の効力が停止してます。日本を消すと言っている相手に国際法も何もありませんよ。それにドイツやソ連、ポーランドなど、第二次大戦で人口の1割以上を喪失した国はあった訳で」
「それはそうですが、報復の連鎖を呼んでしまうのではと……?」
「報復の連鎖、確かによくないですね。なので米国に断ち切ってもらいましょう。報復は連鎖する、だから断ち切るんだと米国人が言えば解決するじゃありませんか」
「ええ……」
「あと思うんですけど、東京大空襲の報復を求める声、戦後日本にほぼなかったでしょ? そのことを考えれば……徹底的にやった方がいいって結論にもなるじゃありませんかね?」
北本は自信に満ちた表情で言った。
スタジオの幾人かが呆気に取られたり、なるほどと手を叩いたりする。
「加えて米国、それくらいの犠牲が出ないと、石油や食糧を寄越さんと思いますよ」
ミシガン州ディアボーン:大邸宅
自動車王ヘンリー・フォードは朝食と身支度を終えると、本社へと向かう車に乗り込んだ。
会社は大混乱に陥っていた。ニューヨーク証券取引所やシカゴ連邦銀行が大型爆弾の直撃で吹き飛んでしまい、資材の調達や生産計画などが滅茶苦茶になってしまったためだ。しかも今後も爆撃が予想されるため、生産拠点および本社機能の分散疎開を図るべしとの通達が飛んできてすらいる。
そして細部について調整しようにも、担当部署が疎開で大童だったり、建物ごと消滅していたりで話にならない。
「全く、何という体たらくだ」
ゆったりとした車内で、フォードは苛立たしげに罵った。
「下らん爆撃機だの戦車だのをあれだけ作らせておいて、今更負けそうだとでも抜かす心算か?」
「社長、それはあり得ません。アメリカは疑いようもなく世界最強です」
秘書が追従笑いを浮かべて言い、
「ただ敵は多少、厄介な攻撃手段を得た。それだけかと」
「ふん」
荒々しい鼻息。それからフォードは秘書に疑り深い視線を向け、
「それで、今日の予定は?」
「まず午前9時に……」
臨時の役員会と答えようとして、秘書は言葉を失った。
直後に地面がガタンと揺れ、異常を察した運転手がブレーキを踏む。それから一陣の突風と万雷の如き轟音が駆け抜け、窓の外の木々を不安げに揺らす。
「ど、どうした?」
「社長、あれを……」
「なっ……」
秘書の指差す辺りを見て、フォードも完全に言葉を失った。
本社の建物がある辺りから、濛々たる黒煙が上がっていた。気に入っている技術者にいけ好かない管理職、その他大勢が全く区別なく死神の鎌に攫われたと直感され、精神を射竦めるような哄笑が脳裏に響いてくる。
「わ、儂の会社が……」
目の前の全てがガラガラと崩れ去る感覚に、フォードの精神は叩きのめされた。
チロル州キッツビュール:市庁舎
アメリカ陸軍第36師団を率いるジョン・ダールキスト少将は、とんでもない命令を受けた。
麾下にある第442連隊――日系人で編成された、想像を絶する勇猛果敢さで知られる部隊――を、即刻武装解除しろというのだ。ダールキストはその真意を質したが、上官たる第11軍団のフランク・ミルバーン中将は、大統領命令だと言うばかり。
「お言葉ですが中将、あれほどタフな連中はいませんぞ?」
「損耗率300%については、当然把握しておるよ」
ミルバーンは飽き飽きした声色で言う。
「だがドイツは先程降伏した。残りは忌々しいジャップだけ。そこであんな部隊なんて使えるかね?」
「彼等とて合衆国市民でしょう? それに彼等は十分以上に戦いました。ならば……」
動員を解除し、自宅に戻してやってはどうか。ダールキストはそう言おうとし、口を噤んだ。
彼等の自宅などないようなものなのだ。何故なら日系人の強制収容は、今もアメリカ本土で続いているはずなのだから。しかも日本が化学兵器の散布など卑劣な手を用い、更にはニューヨークやワシントンD.C.を爆撃した関係で、その扱いも難しくなっている。
ダールキストは形相を歪ませ、歯ぎしりした。
卑劣な日本人を憎悪し嫌悪するのは人間として当然で、その邪悪極まる国家を解体せねばならぬのは自明であっても、中隊を整列させたら30人しか残っていなかったほど忠誠心と敢闘精神に溢れる益荒男に、どうして銃を捨てさせねばならぬのだ?
「ああ……ともかく、武装解除はないでしょう。引き続き、占領業務でも担当させたらいいではありませんか」
「命令は命令だ。我々の最高指揮官は大統領で、大統領がそうしろと言っている」
「道義はどこへいったのです? それに後々、大変な訴訟になるかもしれませんよ?」
「最高裁判所なら、この間吹っ飛んだろう」
苛立たしげな声。確かに昨日の新聞には、瓦礫になった最高裁判所の写真も掲載されていた。
付け加えるなら連邦捜査局まで跡形もなくなった影響で、一部で治安が悪化しているらしい。それから二等兵にもなれない連中が自警組織を作り、黒人などを虐めて回っているとのこと。
重要施設が崩れ去ったという以上に、重要な何かが崩れようとしているのではないか? ダールキストは改めて寒気を覚える。
「ともかく、早いとこジャップ部隊は解体しろ。分かったか?」
ミルバーンは叱責するかのように命令し、
「私はこんなことで君をクビになどしたくはないのだ」
「……了解いたしました」
「よろしい。武装解除が済んだら、どっかに収容しておけ。近くにちょうどいい施設があるはずだ」
「ええっ……!?」
ダールキストは愕然とした。ちょうどいい施設とは、ダッハウ収容所に他ならなかった。
悪逆非道のナチから囚人達を解放した部隊の1つが第442連隊だった。祖国アメリカはその栄誉を公にせず……それどころか計画的虐殺の跡地に、最も勇敢な将兵を収監しようとしているのだ。
第58話では極端で異常な形態の戦争に適応し始めた人々が登場してきます。平和と共存という2語は、普通両立するものですが、本作の世界では……?
第59話は4月19日(日)更新予定の予定です。読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
ダッハウ収容所の解放に第442連隊が貢献したという事実は、どうも平成になるまで公でなかったようです。何ともはや……と思う件ですが、公になる前にも部隊関係者は存在し、戦闘の記録等もありますので、そこに生じるはずの矛盾はどう扱われていたのだろう? という疑問も抱きました。この辺詳しい方おりましたら、是非お教えいただければ……。




