50. ショックドクトリン
タイミル自治管区:エニセイ川上空
凍てついた極北の空で、3機のC-2が空中給油を受けていた。
フライングブームで燃料を注いでくれているのは、在日米空軍のKC-46Aだった。国連軍なんて名目が曲がりなりにも通っていたし、航空自衛隊の空中給油機部隊たる第404飛行隊がオーバーワーク気味になっていたりもしたためだ。
「Good Luck!」
「Thanks」
給油を終えたC-2部隊はKC-46Aと別れ、南西へと進んでいく。
目標は概ね3000キロ先、要するにモスクワだった。9日黎明に爆撃が始まって以来、ソ連はイルクーツクより東とは電話も無線も通じない状況にあるようだが、この攻撃によって混乱の度合いは更に加速するだろう。
そして精密爆撃を実現するため、1番機にはスナイパー照準装置が取り付けてあった。
スナイパー照準装置は関連機材一式とともに貨物室に収められており、使用時にランプ扉を解放すると、そこから尻尾みたいにせり出してくる仕組みだ。改修の時間がなかったが故の措置だが、手間は最小限で済むし、実用上の問題は全くない。
対して2番機と3番機は、言ってみれば空飛ぶウェポンベイだ。それらが投下した爆弾やミサイルの突入先を、1番機のスナイパー照準装置でもって上書きするのだ。
「ソ連もこれで折れませんかね」
1番機副操縦士の小堤武雄二尉が尋ねる。
「東シベリアとの連絡が途絶した上、首都がドカン! ですし」
「この時代のモスクワっ子は、ちょっと空襲があったくらいでは驚かんだろう」
機長の水瀬卓也一佐は否定的な口調で、
「何しろ熾烈な独ソ戦の最中だからなあ。そろそろベルリン突入だろうけど」
「そんなものですかね」
「そんなものじゃないか?」
「案外折れるかもしれませんよ」
機内の客人が唐突に口を挟んだ。
どこからやってきた木原剛二尉で、普段は空中輸送員がいるはずの席に座っている。強引に取り付けられたスナイパー照準装置の操作等のため、臨時で働いてもらっているのだ。
「この時期のソ連、ほぼ人的資源が枯渇してますから」
「へえ、人的資源ね」
「ええ。1920年生まれのソ連の男子、史実では約8%しか戦争終結まで生き残れなかったそうです」
「8%って、消費税よりひでえな」
水瀬がちょっと眉をひそめて嘆息する。
学校のクラスに20人男子がいたとしたら、1人か2人しか生き延びていないということになる。どうにも想像し難いくらい、絶滅的な戦争だ。もっとも絶滅的な戦争なら、この時代のアメリカに宣告されたばかりだが。
「しかしそうか……簡単に勝てないってなれば、案外すぐ大人しくなるかな」
「これも、大人しくさせるための作戦ですよ」
「そうだったな」
ウラジオストク:金角湾上空
「何だよ……こりゃあ」
宗方海軍中尉は愛機の零戦を駆りながら、眼下の様子を眺めた。
市街のあちこちから黒煙が立ち上っていた。滑走路のあちこちに大穴が穿たれていて、停泊していた艦船も軒並み吹き飛んでいる。巨大な破孔が形成されている場所には、弾薬庫か何かがあったのかもしれなかった。
戦端が開かれたと聞いて、元山空も出撃した訳だが、もはや獲物が残っていないのではないかと思えてしまう。
「ほんと、何なんだよ……」
例えば、日の本一の剣豪たる宮本武蔵。彼が決闘のため赴いた巌流島で、重機関銃で蜂の巣にされた佐々木小次郎を見つけたら、今の自分と同じ感想を抱くのではないか。宗方はそんなことを思った。
ともかくも翼を左右に翻し、周囲を観察する。高射砲の射撃すらなされない状況だ。
「ん……!?」
突然、二番機が機銃を撃った。ベテランで頼もしい滝沢上飛曹の機だった。
滝沢は手信号で敵発見を告げ、増槽を落として一気に加速、編隊の先頭に躍り出た。空の上では実力が全て。最も早く敵を見つけた者が、一番槍となる決まりだ。
「おッ……敵機がいたか!」
操縦桿を握る手に力が入った。宗方もまたスロットルを開き、滝沢機に追従する。
数秒すると、視界に黒いシミが幾つか映った。目を凝らして判別にかかる。強そうな鼻っ面のYak-9戦闘機が4機、漫然と高度3000メートルほどを飛んでいるようで、高度ではこちらが1000メートル分有利だ。
(落ち着け、俺……!)
機銃の安全装置を外しつつ、自分にそう言って聞かせる。心臓がドクドク鳴るのが嫌でも分かる。
これまでB-29の偵察機型やソ連の領空侵犯機を追い払ったことはあったが、戦闘機同士の空中戦は初めてだ。だいたい初戦は何もできないから、恥ずかしがらず腕利き下士官についていけ。飛行長に何度も厳命された通り、宗方は滝沢機を追いかける。翼を大きく翻し、操縦桿を引いて旋回していく。身体にかかるGが心地良い。
(よし……!)
滝沢機に上から被られた敵の一番機が、目の前で煙を吹いた。
宗方もまた、眼前で大きくなった二番機に狙いを定めた。その時には既に、敵は回避に移っていて、放った機銃弾は空を割いただけに終わった。何を小癪なと思うが、深追いは禁物。二番機はだいたい腕利きだ。
「そうだ……俺は空の勝負ができているんだ!」
再び高度を稼ぎながら、宗方は喝采した。自分は誇りある学鷲なのだとの思いに全身が震えた。
たとえ「ジェット」の食い残しを漁っているだけだとしても、正々堂々の空中戦をやれていることには変わりないのだ。
モスクワ:クレムリン宮殿
齎された報に、会議室に集った誰もが真っ青になっていた。
ソヴィエト連邦最高指導者にして赤い皇帝たるスターリンとて例外ではない。4月8日の夜遅く、突然イルクーツク以東との通信がバタバタと途絶え始めた。日本軍が先手を打ってきたという以外、未だに何が起こっているのか把握できないのだ。
いざ拳を振り上げんとしたら、肘から先が突然麻痺したようなものだった。
「同志ジューコフ……いったいこれは、どういうことなのですか?」
甚だしく異常な現実に当惑しながら、スターリンが尋ねる。
ソヴィエト連邦はこれまで幾多の危機を乗り越えてきた。しかし今回ばかりは、そのいずれとも性質の異なる理解を拒絶するような力が、ロシア全土に不気味に覆い被さっているように思えてならなかった。
「極東やザバイカルで、反乱でも起こったかのようですが……?」
「同志スターリン、それはあり得ません。皆、忠実な赤軍軍人です」
独ソ戦の英雄たるゲオルギー・ジューコフ元帥は断言する。
「今、日本と内通する理由などあるでしょうか」
「そこは、確かに分かりませんね」
スターリンは虚ろな目で首を傾げる。
実際、それはあまりにも考え難い。ここ1か月ほどの日本軍は不気味なくらい調子がよく、太平洋戦線の全域で米英軍を叩きまくっているらしいが、恐らくロウソクの最後の輝きのようなものだろう。ドイツを消滅させた後に赤軍主力を差し向ければ、痩せ衰えた関東軍など鎧袖一触に違いなく、そんな沈没寸前の船に乗りたがる者もいるとは思えない。
しかし……反乱でないとすると、日本軍が通信施設を全て破壊したという非現実的結論にしか行き着かない。
「同志スターリン、よろしいでしょうか」
思考迷路の中、口を開いたのは内務人民委員のラヴレンチ・ベリヤ。粛清において辣腕を振るってきた逸材だ。
「油断は禁物ですぞ。ヤルタ秘密協定の漏洩が示す通り、人民の敵がどこに潜んでいるか分かったものではありません」
「ふむ……」
スターリンは曖昧な口調で軽く肯いた。
外交のトップにして党次席たるモロトフに、ベリヤは怜悧な視線を送っている。まるで状況は判明していなかったが、今回の一件をヤルタ秘密協定の漏洩と絡め、ライバルの失脚を目論んでいるとしか見えない。
「ともかくも……」
唐突に走った激震が、発せられるはずの言葉を打ち消した。
続いて強烈な爆発音。それも単発ではなく、断続的に幾つも響いてきた。言い知れぬ恐怖が一気に増幅される。いったい何事かと誰もが色めき立つ中、会議室の扉がドンドンと叩かれた。
「モスクワが空襲を受けております! ただちに避難をお願いいたします!」
東京都千代田区:首相官邸
対ソ戦闘の顛末は、何とも味気なかった。所定の目標を全て破壊し、損害は皆無というだけだ。
満ソ国境地帯の赤軍部隊は未だ指揮統制を失ったままで、まるで動けていない。何かを企もうとすればその直後に露見し、爆弾を叩き込まれるからだ。一部に越境し、戦闘になった部隊もありはしたが、散発的で場当たり的な行動だっただけに、どれも駆け付けた関東軍に軽々と追い散らされてしまっている。
なお北樺太については、自衛隊と入れ替えで占守島から転進した陸軍第91師団などが北上し、軍組織としての機能を喪失した守備隊を武装解除しているらしい。
「その上、モスクワ爆撃か」
対策本部副本部長室の主たる武藤は、寿司定食を味わいつつ、爆撃成果を映した写真を眺める。
空中給油で進出したC-2は、モスクワの幾つかの軍需工場や司令部施設を爆撃した。それからソ連科学アカデミー・レベデフ物理学研究所も、イーゴリ・クルチャトフやアンドレイ・サハロフといった著名な核物理学者と一緒に瓦礫にしたようだ。
「これでソ連も、停戦には応じるんじゃないか?」
「そこなのですが、武藤さん、もう少々ソ連を叩いておいた方が後々得ではないかと」
上司の大橋国家安全保障局長と目配せした後、飯田経済班長は続ける。
「問題は石炭の生産です。夕張等国内炭田の再稼働および満洲、朝鮮に存在する炭田の生産力増強で今年度7000万トンを調達目標と考えておりましたが、幾つか想定外が重なった結果、目標達成が困難と判明しました」
「ああ、その話は聞いているよ」
「はい。そのため更なるソ連軍の無力化を実施し、資源供出を確約させてはいかがかと。昭和20年のバクー油田も年3000万キロリットル弱の産出量がありますし、独ソ戦終結後であればソ連国内需要も減少するため、我々にその何割か供出したとしても経済への影響は限定的。更には食糧や飼料、希少金属、工業塩等を確保するという面でも効果が期待できます」
「といってもだ、飯田さん……シベリア鉄道、破壊してしまったぞ」
武藤はイクラの軍艦巻きを頬張りつつ、困惑気味に首を傾げる。
「それも橋梁部を集中的に。復旧にかなり時間がかかるのではないか?」
「ええとそこは……河川交通の活用で対応させる予定です。シベリア鉄道開通以前は、エニセイやレナ、アムールといった河川がシベリアの物流を支えていました。それからフィリピン沖で捕獲した輸送船ですとか、対ソ開戦と同時に拿捕した貨物船ですとか、押し付け……いえ、貸与あるいは返還が可能な船舶もありますので、それらで黒海から運ばせます。スエズ経由になりますが、ソ連船籍なら英国も邪魔できないでしょう」
「ううん……少々心配になってくるな。だが、分かった」
「加えてもう1つ、重要な要素がございます」
今度は大橋が挙手し、持ち前の計算高さを瞳に浮かべる。
「来るべき"アメリカ占領"計画の発動に備え、ここで戦訓を得ておいてはいかがかと」
「これまでの戦いで、戦訓なら十分得られたのではないか?」
「いえ、それはほぼ純軍事的な、戦術的な戦訓のみです。しかも今回のモスクワ爆撃を除くこれまでの全ての戦闘は、米英ソいずれの国民にとっても、ど田舎や海外領土、植民地での戦闘という認識に留まっているかと考えられます。ですが今後はそうはいきません。"アメリカ占領"に当たっては、当然攻撃目標は米本土ですし、いかにその好戦的世論を打ち砕き、這いつくばらせるかが重要です」
「なるほど……確かに」
武藤は少し前に読んだ、国家安全保障局に臨時雇用されている橋本准教授のレポートを思い出す。
この昭和20年の世界について、特に歴史心理学的側面について、あまりにも理解を欠いていたことが、『ピース・メイカー』作戦失敗の一因となったのではないか。確かそんな内容で、確かにその過ちを繰り返す訳にはいかない。
「とすると……ああ、ソ連領内の特に首都に近い目標に対して攻撃を続行した場合に、その衝撃がどのように波及するか、どのような戦略的影響を及ぼすかを確かめるという訳か。そしてそこで得られた知見を"アメリカ占領"に反映すると」
「その通りです」
「しかしソ連といえば、この時代で最も閉鎖的な国だ。世論なんてものが機能しているかどうか怪しくはないか?」
「逆に好都合かと。米英に自国の恥を晒したがるとも思えませんし。加えて党内でどのような評価がなされたか、どんな動きが生じたかといった情報は、我々は難なく入手することが可能です」
「なるほど、よく分かった。その方向で提言をまとめてみるよ」
「ありがとうございます」
大橋と飯田が異口同音に感謝の意を表明する。
常識外の提言ばかりしてくる2人組だが、特異的時空間災害などという異常事態にあっては、それが極めて的確に機能している。誠に喜ぶべき状況だと言えるだろう。
「しかしそれにしても……」
武藤は溜息交じりに言い、サーモンの寿司を手に取る。
「まるで実験場だな」
「共産主義という壮大な社会実験であった。そんな言説をよく耳にします」
大橋は諧謔的に続け、
「であれば追加で戦争実験場となってもらってもいいではありませんか」
「流石に酷い理屈に思うぞ」
「かもしれません。しかし実際のところ、共産主義なる実験の犠牲者は6000万以上と言われていますから、数万や数十万が追加されるくらいどうということはありませんよ」
第50話では、主にスターリンなどの度肝を抜かれる展開が続きます。
第51話は3月26日(木)更新予定の予定です。読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
対ソ戦開始は4月9日ですが、一部「8日の夜遅く」となっている箇所がございます。これは日本標準時(UTC+9)とモスクワ時間(UTC+3)に起因します。ロシアは世界で最も国内時差が大きい国で、本作で奇襲を受けた地域だけを見ても、イルクーツク時間(UTC+8)、ヤクーツク時間(UTC+9)、ウラジオストック時間(UTC+10)、マガダン時間(UTC+11)などがあります。樺太はマガダン時間なので、北海道はほぼ同経度ですが、時差は2時間あったり。
なおソ連のプルトニウム生産施設を破壊しないのか? という疑問もありそうですが、昭和20年4月9日段階では、施設そのものがありませんでした。史実では昭和20年の終わり頃にチャリャビンスク40の建設が始まり、3年後に黒鉛炉が稼働し始めています。




