29. 通信
東京都千代田区:首相官邸
「ええと、ハムの対策だって?」
対策本部副本部長室。提案を受けた武藤は、目を丸くして聞き返した。
「確かに肉類は今後貴重品になるだろうが……何故君がそんなことを?」
「そのハムではありませんよ、副本部長」
対策事務局員の秋月達明が冗談めかした顔で笑った。彼は総務省からやってきた人間だった。
「ああ……ボケてるな。いかんいかん」
武藤は数度、鼻の付け根を引っ張った。多少だが眼精疲労が和らぐ。
ハムというのはこの場合、アマチュア無線の意味だ。他にも公安警察を指す語でもあり、事前に内偵しておいた北朝鮮系の組織や潜入工作員を片端から潰しているようだが、彼等は今のところあまり関係ない。
「で、アマチュア無線がどう問題なのかな?」
「現在、アマチュア無線家はてんでんばらばらに、外国に対して交信を行っています。戦時中は何処もアマチュア無線を封印しましたので、ほぼ応答がない状況ですが……」
「情報漏洩などのリスクが考えられる、ということかな?」
「はい。その部分の判断は、我々だけではできかねます」
「なるほどな」
武藤は少しばかり頭を捻ってみた。
民間の私設通信が一方的に交戦相手国の軍に筒抜けとなるというのは、あまり気分のよい状態ではない。とはいえ日本は既に連合国の無線通信のほぼ全てを解読し、その優位は揺るぎようがなかった。
加えて多少の情報が漏洩したとしても、あまり影響はなさそうだ。例えば主力戦闘機がマッハ2以上で飛ぶのは事実だが、アマチュア無線家がそれを伝えたところで誰も信じないだろう。逆に何らかの理由で信じてしまったのなら、その時こそコミュニケーション樹立の機会かもしれない。
「確かに様々な防衛や外交など、多角的な分析が必要な議題ではある」
そう前置きしてから、武藤は続ける。
「ただ私見だが、ある程度放置してもいいのではないかな。何しろ相手はこちらのことを全く知らず、昔の日本帝国のままだと思っているはずだ……何か様子がおかしい、そういう疑念が生じるだけでも儲けものかもしれないぞ? しかもそれがどう伝わり、評価されたかも、こちらは正確に理解できる」
「逆に何らかの情報が、誤解を生む可能性もあるのではないでしょうか?」
「むしろその意味では、元々発信されるあらゆる情報が怪情報だろう」
武藤はちょっと鼻を鳴らし、一瞬考えた後、多少冗談めかした口調で言った。
「何しろ現状では、知り合い同士が越境交信すること自体、あり得ない話だからな」
東京都大田区:羽田空港ターミナル隣接ホテル
「ここが羽田なのかぁ……」
布で磨いた丸眼鏡をかけた岡村大将は、ホテルの一室から改めて外を一望した。
羽田といえば民間航空の、開戦以後は各地への人員輸送の拠点であり、結構な数の輸送機があった。しかし目の前にはすさまじく大きく、1機で重爆100機分くらいの爆弾を搭載できそうな巨人機が何十と羽を休めている。
しかも栗原大佐が言うには、それら全てが旅客機や貨物機だという話だった。更には仕事や観光などで、全ての国民1人が年に1回くらい航空便を利用する計算になるらしい。
それだけの超輸送網が成立する社会とは……そこまで考え、岡村は考えるのをやめた。西浦参謀みたいに気絶しかねない。
「失礼いたします」
その声が響いた後、扉の外でガタガタと音がして、ようやく陸軍士官が入ってきた。
敬礼、それから返礼。現れたのは司令部通信所の筒井という少佐だった。数学の才があり、かつて通信兵監だった百武晴吉中将に目をかけてもらっていた寡黙な男で、素性と技量に信頼が持てる。
「閣下、司令部への交信は如何いたしましょう?」
青ざめた表情をしていたが、しっかりした語調で筒井は尋ねてくる。
「うん、予定通り打ってくれ」
「了解いたしました」
観念したような顔で岡村は指示を出し、筒井もおぼつかない表情で受領する。
「一応、クーデターの類ではない……重大災害という説明も事実だ」
「ただ閣下、重大に過ぎるかと……」
「だよなぁ。こんなのってないよなぁ」
岡村はそうぼやきながら頭痛を覚え、更には猛烈な寒気を覚えた。
内地に戻れば会えるはずの家族、親類、知己、何もかもが過去のものとなっていた。郷里は空想科学世界になっていた。しかも奇怪千万なことに、この後自分や部下がどう戦ったか、復員した後にどのような人生を歩んだかか、皇国が如何なる歴史を辿ったかが、全て克明に記録されているに違いない。
「正直に申しまして、輸送機に欣喜雀躍としていた自分の愚劣さが堪えます」
「少佐、こんなのどんな天才にも想像不可能だよ」
岡村は茫洋と言い、押し黙った。
軍人たる者、祖国のため命を捨てる覚悟があって当然だ。だが祖国の方が先にどっかへ行ってしまったなどという現象を、将兵にどう伝えたものか、全く分からなかった。
オアフ島:太平洋艦隊司令部
太平洋艦隊司令官チェスター・ニミッツ元帥は、全くの偶然から難を逃れていた。3月9日に本国に戻っていたのだ。
大統領や海軍長官との会議を済ませ、長女の結婚を祝い終えた彼は、グアムへとトンボ返りしようとした。だが当然、真珠湾で足止めを食らった。グアムも爆撃を受けており、同島に移転していた太平洋艦隊司令部もまた撤退することとなったためだ。
そうして致し方なく、ニミッツは真珠湾の司令部施設に元帥旗を掲げ直した。
「司令、随分とお早いお戻りで」
1月にグアムへ司令部を移した際、置き去りにした副司令官のジョン・タワーズ中将は、嫌味で出迎えてくれた。
だが無礼に憤る時間もなかった。指揮系統を確立、情報を収集・分析して作戦を修正し、各部隊に命令を届けねばならない。様相が一変しつつある太平洋戦線に対処するには、それが何より重要だった。
そしてニミッツは元々が潜水艦運用を専門としていたが故、誰よりも名状し難い恐怖を覚えていた。
硫黄島との交信途絶は、第58任務部隊が解決してくれるはずだ。マリアナ諸島への空襲もまぐれ当たりだろう。だが潜水艦の損害は解せなかった。3月中旬以降、日本近海に進出した潜水艦が、1隻の例外もなく消息不明となっているのだ。
「なあチャーリー、何かアイデアはないかな?」
オフィスに現れたチャールズ・ロックウッド中将に、ニミッツは可能な限り丁寧な口調で尋ねた。
ロックウッドは太平洋艦隊潜水艦部隊の長で、当然カチンカチンになっていた。だが彼の優秀さは疑いようがなく、指揮の拙さのため潜水艦が大損害を被った訳ではないと、ニミッツは見抜いていた。だいたい指揮官が軍服を着たチンパンジーであっても、ここまで酷いことにはならないだろう。
「俺は絶対に君の味方だし、ただ若き潜水艦乗りを救いたいという一心なんだ」
「それが、本当に分からないのです」
ロックウッドは僅かに緊張を和らげ、しかし詫びるように言った。
「大型航空機が接近中、と失われた何隻かが打電してきています。エミリーと思われます」
「うん、その可能性は高いな」
ニミッツは肯く。なお、エミリーというのは二式大艇のことだ。
「実際、日本の対潜艦艇が活動していない海域で失われた艦が半分以上だ。哨戒機にやられたと考えるべきだろう」
「はい。そこで自分は、参謀に試算させてみました。いったい何機の哨戒機が日本列島に配備されていたら、僅か1週間の間にこれだけの損害が出るかを……結果、最低でも500機と出ました」
「あり得ない数字だな……」
ニミッツはその試算結果を是としつつ、どういうことかと訝った。
更に悪い想定として、暗号が漏れている可能性も考慮した。日本の輸送船団のそれを割り、待ち伏せ作戦で大戦果を挙げたのがロックウッドだから、あり得ない話ではない。ただそれでも、相当に多くの哨戒機を持っていないことには、潜水艦を狩り立てることなどできないはずだ。
「それに日本がそんな数の航空機を持っているなら、まず空母機動部隊に……」
「司令、大変です!」
オフィスに血相を変えた連絡員が、ペーパーを手に飛び込んできた。
「第58任務部隊が大損害を受け、作戦遂行が不可能になったとのことです!」
東京都文京区:住宅街
「無駄な抵抗は止めろ。貴様は完全に包囲されている」
ぞろぞろとやってきた警官隊が、拡声器で怒鳴る。下手糞な英語だとテーラー大尉は思った。
ただすぐに突入という気配はない。残り少ない弾で威嚇射撃し、人質――アマチュア無線アンテナのあった割と広い家にいた赤ん坊だ――に銃を突き付けて見せたのが効いたようだ。
「おい、交信の準備はできたか?」
「は、はい」
家の主だという中年の男が、無線通信設備を調整し終えたようだ。
アンテナはありがたいことに、最初からサイパンやグアムの方を向いていた。周波数も単位がヘルツになっているのが気になるが、ともかくもB-29の機上でよく用いられた辺りに合わせられていた。無線機の横に置かれていた周波数分析装置を見る限り、誰かがそこを使っている訳でもなさそうだ。
「電鍵はどれだ?」
「このキーです……」
男が恐る恐る指したのは、タイプライターのキーボードみたいな機械の最下列中央にある妙に細長いキー。
タイピスト養成装置か何かを流用したのかと訝しみつつ、それを押してみる。ツーと音がし、無線機のランプが点灯する。周波数分析装置にも反応が出ていた。
「これは……いけるぞ!」
テーラーは男を縛り付けた後、呼び出しと自分用の秘密の符号、認識番号を何度か発信する。
それから裏切り者と黒人の連合軍が、日本と協力してサイパンに上陸しようとしていると、大急ぎで打電した。それから応答がないか確かめる。やはりすぐに応答はなく、テーラーは同じ手順を繰り返した。
「その、妻子を解放……」
「黙ってろ!」
テーラーは男に銃を突き付け黙らせ、再び細長いキーを打つ。既に情報は渡ったかもしれないが、せめて応答がほしい。
如何なる気紛れか、神はその願いを叶えた。何度目かの送信を行った後、ようやく応答があったのだ。昔の馴染みで、今はサイパン島で防空管制をやっているボブからだった。
「よし!」
テーラーは喝采した。そのちょっと後に妨害が入り、警官隊も動き出したが、もはや後の祭りだった。
そうだ、俺は重大な使命を果たしたのだ! 後は名誉の戦死でも何でもしてやろうじゃないか!
通信が状況を引っ掻き回していく第29話でした。何かを伝えるために各種通信は行われますが、それが予想外の事態を招いてしまうこともありますよね。第30話は明後日、1月31日(金)更新予定です。
読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
ニミッツ長官が長女の結婚式に出席していたのは本当です。戦争中だから出席していないのでは? と思いきや、当時の新聞に本人の掲載されていたりもしました。




