25. 出航
沖縄県那覇市:那覇駐屯地
「え、サイパン?」
水陸機動団第1水陸機動連隊所属の水上望二尉は、朝のランニングをしながら聞き返した。
防衛大では1年下で、今は隣の小隊を率いている小野田純也二尉が、「うちらサイパン行きらしいですよ」と言い出したのだ。何でも連隊長の怒鳴り声が聞こえたとかで、相応に信憑性があるようだ。
「まさか観光旅行じゃないよな?」
「東京を襲ったB-29、サイパンとかから出撃したそうですから、滑走路ごと占領するとかじゃないですか?」
「オノジュンは昔から真面目だよな」
「実際うちら、即応準備のローテで『くにさき』に乗っていた訳ですし」
小野田が駆け足の歩調に合わせ、暢気な口調で言う。
確かにありそうな話だった。航空自衛隊の反撃は大成功で、マリアナ諸島一帯にあった飛行場は、小型のものを除いて使用不能とのことだ。だが、放っておけばいつかは復旧してしまうだろう。その可能性を0にするには、地上部隊を揚げるのが一番だ。
そしてそのための部隊としては、水陸機動団は最適だった。島嶼戦専門の部隊であったし、最近は常に隊の一部が完全武装でおおすみ型輸送艦に乗り、東シナ海を遊弋していたほどだ。すぐ沖縄に展開できたのもそのためだ。
「だけど俺等、連隊合わせて600人ちょっとだぜ?」
角を勢いよく曲がりながら、水上はちょっと心許なげに言い、
「この頃のサイパンってもう後方かもしれないが、それでも守備隊が何千といるだろう」
「他所からも増援くるんじゃないですか? それに空自が空から叩いてくれるんじゃないかと」
「つっても俺達、歩兵だぜ? 歩兵なんて今も昔もそう変わらんだろ」
「うちら対戦車ミサイルとか持ってますし、まあ何とかなるんじゃないですか?」
「オノジュンは昔から楽観的だよな」
水上はそれ以上追求せず、ランニングに集中した。
これからすぐ輸送艦『くにさき』にとんぼ返りだろう。艦上体育として色々運動は可能だが、やはり地上を走っている方が気分爽快だ。それに筋肉は裏切らないという格言は、戦場においても真理なのだ。
太平洋:ウルシー環礁沖
駆逐艦『リーメイ』は真っ先に環礁の外へと出、僚艦とともに警戒任務に当たっていた。
環礁の外へと抜ける水道は、潜水艦にとっては絶好の待ち伏せポイントだ。特に最近の日本海軍は、強力な弾頭を備えた人間魚雷を用いており、昨年11月には大型タンカーが沈没したりもしている。他の大型艦艇、特に航空母艦がその轍を踏んでしまわぬよう、念入りな対潜哨戒が必要だった。
もっともウルシー環礁周辺ではここ最近、敵性潜水艦発見の報告も少なくなっている。厳重な防備が奏功しているのだろう。
「発光信号を確認……読み上げます、対潜哨戒任務ご苦労」
「うむ」
艦長のジョン・バルチ少佐は、見張り員の報告に間違いがないことに満足しつつ肯いた。
まばゆい日差しの中、新顔の航空母艦『ランドルフ』が環礁から出ようとしていた。エセックス級姉妹の13番目で、つい1か月前に戦列に加わったばかり。それでも先月の関東地方攻撃作戦では十分な戦果を挙げ、無事戻っていた。既に立派な戦乙女という訳だ。
「このクラスが10隻とは、何とも頼もしい」
これまた新顔の副長は誇らしげだった。実際、艦隊が揃って波を蹴立てる様は大変な壮観だ。
「まさに現代の無敵艦隊です」
「副長、その喩えはあまりよろしくないぞ」
バルチはのんびりした口調で、本気でない苦言を呈し、
「スペインの無敵艦隊、散々に負けてしまったからな」
「ああ、そういえばそうでした」
「もっとも、こちらは沈みそうにもないがな」
バルチは鼻を鳴らし、自信満々に言う。
確かにカミカゼはとんでもない脅威だが、それは同時に勝ちつつある証拠でもある。このまま順調に沖縄を陥落させ、関東地方に上陸して東京に星条旗を立てれば、戦争も大勝利で終わるだろう。
「全く、合衆国市民として生まれることができて、よかったというものだよ」
東京都千代田区:首相官邸
「在日米軍も思い切ったな……」
武藤はPDF化されたプレゼン資料を、デスクトップで眺めながら唸った。国家安全保障担当の総理補佐官として閲覧しているのだが、実のところ予想外の提案だった。
艦隊に対する外科手術的攻撃が『ピース』で、サイパン島奇襲着上陸が『メイカー』だ。第58任務部隊の出航を知るや否や、在日米軍の戦闘攻撃機は硫黄島に向かったらしい。後者についても部隊間調整が始まったようで、本気度を疑う要素などどこにもない。
「まさか自分達の先祖の艦を、自ら攻撃すると言い出すとは」
「日米の……といっても何処がアメリカなのか分からなくなりますが、連携を示すにはこれ以上ありませんね」
性懲りもなく副本部長室にやってきた飯田経済班長が、大変に興味深げな面持ちで評価する。
大橋局長の主張した第58任務部隊の完全な撃滅という案は、総理大臣によって否定される形となった。ただその事実に何ら不満は抱いておらず、次の局面に関心が移っているようだ。ある意味それも稀有な才能かもしれない。
「それから在日米軍将兵の胸中を思うと、正直心が痛みます」
「本当にな。だが飯田さん、あのプランをどう見る?」
「局長の話を聞いた後では……政治的で、人道的に過ぎると思えてなりませんね。軍事は政治に従属するとは言いますが、政治的理由だけで立案された作戦もまた上手くいきません。確かに在日米軍の離反という懸念はこれで完全に解消しました。しかし全体的に、後者に寄り過ぎてはいないかと」
「なるほど。つまるところ、こちらの事情や都合ばかりが優先されていないかということか?」
「実際、こちらの事情や都合を押し付けることは可能です。実際、実力差は天と地ほどもありますから……ですがそうであるが故に、また相手を精確に把握しているが故に、相手の行動を読めなくなることがあります」
飯田はそう述べてから、また少し押し黙る。そうして数秒後、おもむろに口を開き、
「武藤さん、頭の中を童貞の頃に戻せますか?」
「な、何を言っているんだ!?」
ちょいとスケバン風な女子高生の面影が脳裏に蘇り、武藤は思わず目を見張った。コーヒーでも飲んでいたら、古いドラマの探偵みたいに吹き出していただろう。
しかし飯田の顔は、台詞からは思いも付かぬほど大真面目で、武藤も思考を切り替える。
「そりゃ思い出すことはできる」
「ですよね」
「だが頭の中を戻すというと……なるほど、そういうことか」
武藤は理解した。自分の記憶であったとしても、かつての思考や感覚を再現するのは難しいのだ。
それが3代ほど昔の人間のものとなったら、再現の困難度は想像以上に高まる。文献や証言、手記などから仮想人格を構築し、当時ありがちだった思考パターンを当てはめるくらいしかできない。しかも確実に現代の、歴史を知ってしまった後の思考が、どう足掻いても混入してしまう。その完全な分離は、どれほどの賢者にも不可能と言っていい。
そして知らないはずの内容を知ってしまっている仮想人格を無意識的に作り上げ、それにとって"常識的"な行動を期待してしまう。無論飯田や大橋の案にも当てはまるが、とかく直接的で物理的な内容である分、誤差は小さいと言えるかもしれない。
「もしかすると僕は、空や太陽が落ちてくる心配をしているのかもしれません」
飯田は大業物みたいな眼をして言い、
「しかし、考えられないことも考えるべきです」
「飯田さん、日本版ハーマン・カーンにでもなる気か」
「その称号は局長にお譲りします」
「飯田さんも相当だと思うけどな」
武藤は冗談めいて笑った。だが考えるまでもなく、とっくに考えられない事態に巻き込まれていた。
大阪府淀川区:公立高校
「ええ、はい……唐突なお願いで申し訳ございませんが、何卒よろしくお願いいたします」
世界史と現代社会を教えている前田真希子は、片端から保護者に電話する作業をようやく終えた。
期末試験の日程を思い切り圧縮した後に、突然の全寮制化に関する連絡だ。府や国の支援が得られる見通しが立ったため、高校は近隣のビジネスホテルを借り上げ、そこを臨時の学生寮兼教員宿舎として使うこととした。
全ては電力節減のためだった。JRも私鉄も鉄道運行を大幅圧縮する予定で、そうなると遠方の生徒は通学困難となってしまう。であれば生徒を近場に集め、徒歩で通学させればよいという結論に行き着く。
だがその説明には結構骨が折れた。自分を含めた誰もが、特異的時空間災害に苛立っていた。
「あ、皆さんお疲れ様やで。どうにか弁当手に入りましたよ」
買出しに行っていた物理の谷口が、ビニール袋を片手に職員室に戻ってきた。
既に時刻は午後2時を過ぎていて、誰もが空腹だった。弁当が並べられたテーブルに同僚が殺到する。
「お、唐揚げやん。ワイ、これええですか?」
「なら私はサンドイッチセット」
知れた気心で取り分けていき、前田には豚焼肉弁当が回ってきた。何の変哲もない、ただの弁当のはずだった。
今のうちに味わっておきましょうとのつぶやきが聞こえ、何だか貧しい気分になる。事実、あと何週間かしたら出回らなくなりそうなメニューだ。特に肉なんかは、あったとしても育ちざかりの生徒達に配分されるべきだろう。
そうした中、誰かが職員室のテレビを点けた。総理大臣が記者会見を始めていた。
「……ウルシー環礁を出航したとみられる第58任務部隊に対しましては、硫黄島近傍海域に接近し次第、在日米軍機が攻撃を実施する予定です。攻撃は同任務部隊の航空機運用能力を破壊し、撤退させることを目的としています。なおこの攻撃につきましては、在日米軍司令官ファーゴ中将より直接提案を受け、私が了承いたしました。国民の皆様、このような提案をするに至ったファーゴ中将の胸中を、硫黄島へと向かった米軍パイロット達の身を切るような心痛を、どうか慮ってやっていただけないでしょうか?」
画面上の加藤総理はそのように説明し、懇願した。
教員達は体調不良で休んでいる英語のマッキンリー女史を真っ先に心配した。たこ焼きが大好物で怪しい関西弁が特徴の彼女には、嘉手納で戦闘機パイロットをしている弟がいた。彼がその残酷な運命を担うことになるかもしれないのだ。
「つーか、こないなこと話して大丈夫なん?」
「日本以外が昭和20年つー話がほんとなら、地デジのデジタル変調信号なんて誰も復号できまへんて」
どこかから飛んできた疑問に、谷口が無気力な声色で、物理教員らしく返答した。
質問者は納得したのか沈黙し、どうにも鬱々とした空気が職員室に満ちる。ただ画面上の総理大臣だけが喋っていて、サイパンに奇襲上陸を仕掛けるという話まで出てきた。
「……この『ピース・メイカー』作戦は、同島および周辺島嶼に存在する爆撃機拠点を永久的に使用不可能とすることと合わせ、同島守備隊との直接的なコミュニケーションを実施、この時代の米国政府との交渉の糸口を開くことも目的としております」
「何だか、宇宙人相手みたいね」
前田は豚焼肉と麦飯を味わいながら、そんな感想を口にした。
突然東京が空襲され、大勢が殺傷されたのだから、間違いなくワーストコンタクトものの類型だ。漢文の老田崎が言うように、状況は過ちては改むるに憚ること勿れだが、そう上手くいかないかもと思われた。何しろ相手は昭和20年3月のアメリカであり、フランクリン・ルーズベルト政権なのだから。
一大作戦に向けて動き出す25話でした。第58任務部隊とサイパンを巡る攻防の始まる第26話は23日(木)の18:00に更新予定です。
読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。どうにか総合評価2000を超えました(2020/01/21)。引き続きよろしくお願いいたします。
なまじ相手を知っているが故、分からなくなる部分ってあるのではないでしょうか。
本作は過去との(強制的な)遭遇を題材にした小説です。「知っているはずなのに知らない」部分がぶつかり合って何が起こるか、どう影響し合うか、そうした要素を大切にしたいと思います。




