15. 緊急災害対策本部
東京都千代田区:国道20号線上
皇居松の間での認証式は、厳かな雰囲気のうちに終了した。
特異的時空間災害対策担当大臣、それが武藤の新たな肩書だ。緊急災害対策本部の副本部長に就任し、更には国家安全保障担当総理補佐官もこれまで通り兼任という形になる。国が丸ごとタイムスリップするという異常事態への対応に、第一人者として当たるのだ。その重責を思うと自ずと身が引き締まった。
空襲の被害を除けば、被害はまだ目に見える形で出てはいない。しかし予見される未来はあまりにも過酷だ。
(さて……)
公用車の後部座席で、武藤はタブレット端末の画面を覗き込む。
各省庁や大学、研究機関等から送られた対策事務局員の一覧で、新しい名前が次々と追加されていた。酒を酌み交わしたことのある者、何処かで話したことのある者、噂くらいは耳にしたことがある者、まるで知らない者と様々だ。ともかくも彼等の顔と名前、経歴を大急ぎで頭に叩き込んでいく。
(糞真面目なのが7割、奇行種が3割といったところか?)
災害の特殊性故、面子も通常通りではない。そんな彼等に割り振るべき仕事は、大まかに4つくらいに分類できた。
まず1つ目が、特異的時空間災害の被害範囲や規模の調査だ。
災害による明確な被害として現状挙げられるのが、昨晩から消息を絶ってしまった航空機や船舶、音信不通の在外邦人で、現在確認と情報集約に当たっているチームを継承する形となる。在外公館が軒並み消滅してしまったらしい現状、完全な特定は困難かもしれないが、それでもやらねばならない。
次に災害そのものの解明と、本来あるべき世界への帰還方法の模索だ。
これについては臨時職員の物理学者や天文学者を中心としてチームを編成する。何をどう研究したらいいのかまるで想像が付かないし、研究室からビデオ通話で参加になるかもしれないが、少なくとも予算と各種観測データへの全面的なアクセス権限を保障することが大事だろう。
3つ目は国内経済の統制。
貿易途絶による資源不足はすぐさま致死的なレベルで経済に打撃を与え、国家そのものを崩壊させるだろう。それに可能な限り食い止めるべく、大半の省庁が合同した大所帯を編成する。
生活関連物資の流通管理、電力需給や交通機関の統制、不要不急の事業の凍結、民間企業の計画的休業とそれに伴う金銭・税制面での補償、瞬間的に数割に昇るであろう失業者への対応、食糧増産や国内資源開発のための人員動員計画と、対処すべき事案が山のようにある。官僚の本気が試されるところだ。
4つ目としては、この世界に関する調査が挙がる。
今のところ昭和20年3月に見えるが、もしかしたらこの世界の住人は光学異性体タンパク質で構成された人間もどきかもしれない。それは極論としても、本当にこの世界が昭和20年3月なのか、その頃の地球はどんな状況であったか、国内経済の維持に必要な資源の分布や生産状況はどうであったかを取りまとめていかなければならない。
この業務に関する人員は、外務省や経産省から回してもらう予定だ。また外務省と同様、朝鮮や台湾といった旧領土を含む各国との渉外を担当する国家安全保障局が、新たに雇用する顧問、臨時職員も一部と重複する形となる。産業史や戦史はここに来て、極めて実際的な学問となるだろう。
そして繰り返すが、自分は国家安全保障担当の総理補佐官だ。
外交・国防戦略を担当する国家安全保障局と密に連携を取り、現代日本の絶望的なまでの苦境を打開するための国家戦略を立案し、総理へと上げていかないといけない。僅かな遅れが、大勢の生死を左右しかねない局面なのだ。
(ああ、まさに総力戦だな……)
武藤はタブレット端末の画面から目を離し、大きく深呼吸しつつ思った。
そして直後、比喩になってないことに気付き、苦笑した。文字通りに今は昔で、文字通りに総力戦の時代だった。
東京都千代田区:首相官邸
「昨日午後11時40分頃、日本の領海線に完全に沿う形で、突発的な暴風の発生が成層圏上層に至るまで確認されております」
総理大臣執務室にて、気象庁長官の金谷典秀が説明する。
「こちらにつきましては、国土の時空間移動に伴い時空間系列の異なる大気同士が接触した結果、相互の温度差、気圧差によって生じたものと考えられます。その仮定でシミュレーションを行ったところ、観測結果と酷似する結果が得られました。また同時刻、全国の地震計が極めて特異な波形の極微小地震を、震源が特定不可能な形で検出しております。こちらも時空間系列の異なる地殻面同士の接触に起因するものと考えられます」
「つまり……何だ」
加藤総理は少しばかり言葉に詰まり、
「その時点で、元々あった日本が、今の日本によって物質的に置換されたということか?」
「そうなります。地球科学的観点からも、国土の転移は間違いないかと」
「そうか、よく分かった」
何故かはさっぱり分からんが、という台詞を呑み込んで加藤は肯く。
今のところ、特異的時空間災害によって転移したのは、日本の領土――領海線で囲まれた高度100キロ程度までの空間――であるらしい。それから排他的経済水域上についても、日本国籍あるいは日本企業によって運行されている船舶、航空機だけは、一緒に昭和20年に飛んできたようだ。ただ北方領土については昔のままであるようで、施政下にあったか否かが基準であるようにも見える。
要するにその空間の政治情勢の如何によって転移するか否かが決定されたということで、こんな自然現象があってたまるかと誰もが首を傾げている状況だった。
「それと総理、日本の国土そのものが転移したとなると、標高0メートル以上の部分だけでも数百兆トンの質量が移動したという計算になります。そのため地球科学的には何が起こっても不思議はない状況であることを念頭に置いていただければと」
「もう災害発生から随分と経っているとは思うが……承知した」
「総理、そろそろお時間です」
秘書官が告げた。総理大臣のスケジュールは元々分単位だが、今はそれどころでなく過密で、しかも予測困難だ。
加藤は少しばかりぼけた頭で、次の予定が何だったか思い出そうとした。そして1秒ほどの後、新たに設置した特異的時空間災害緊急災害対策本部にて訓示をするのだと浮かんだ。
「よし、それでは行こう。長官、引き続きよろしく頼むぞ」
東京都千代田区:内閣府庁舎別館
「なるほど、大変興味深い報告です」
国家安全保障局の長たる大橋良輝は、部下の飯田経済班長がまとめたメモを読み終えるや、妙に丁寧な物腰で肯いた。
防衛省出身の大橋は昨日までは局次長だった。だがニューデリーを訪問していた外務大臣と、旧英領繋がりでロンドンにあった国家安全保障局長が、揃って行方不明になってしまった。そのため、次席にあった大橋が局長にスライドしたのだ。
「アメリカ占領……最初見た時には驚きましたが、こういう提起は大歓迎、好意に値します。好みだということです」
「は、はぁ……ありがとうございます」
飯田は少しばかり当惑気味に返答した。
この新局長は、端的に言うと変わり種だった。有事三法制定以前は防衛省でQ号発動下の措置を秘密研究していたという噂だから、その度合いも筋金入りだ。
だがだからこそ、突拍子もないメモに目を通してもくれたのだ。ここが踏ん張りどころと飯田は意気込む。
「とはいえ実際、何らかの方法でアメリカの資源を確保するでもしない限り、最低水準の国民生活すら維持不可能となるのは事実に他なりません。またアメリカ以外の資源国につきましても、ほぼ全てが連合国に加盟している状況です」
「資源は幾らでも供出しますので、どうか命ばかりはお助けを。彼等にそう懇願させなければならないということですね?」
「はい、そうなります」
「かつ、斯様に無様な懇願を強いる方策を考えるべきだと……確かにこれは重要です。こちらで考えてみましょう」
「ありがとうございます!」
飯田は本心から感謝した。これで局として方向性を打ち出せるだろう。
とにかく今は時間がない。早急に資源確保の筋道を立てないと、それだけ多くの国民が餓死したり、凍死したりしかねない。
「とりあえず、急ぎ案をまとめ、武藤補佐官に話しましょうかね」
大橋はそう言うと、ちょっと思い出したような顔をし、
「それと飯田君、資源情報は対策本部と共有せねばなりません。明日から二足の草鞋でお願いいたします」
地上波放送:民放ニュース番組
「では北本さん、災害緊急事態についてご説明願います」
「まず災害緊急事態の布告ですが、これは今までに前例がありません」
北本という国立大学の教授は、そのように前置きした。
それから2011年の東日本大震災でも、災害緊急事態の布告には至っていないと付け加える。
「更にこの布告がなされた場合、先程の総理大臣記者会見にあった通り、物流、物価等の統制ですとか、債務の支払い延期ですとか、そういった緊急的な措置が可能になります。これは結構重大なもので……まあ正確な表現じゃありませんが、戒厳令なんて単語を思い浮かべる人もおられるかもしれません」
「私もその1人なのですが、正確ではないんですね」
首を傾げる司会者に、北本はちょっと呆れた顔を浮かべる。
「そりゃあなた、戒厳つったら軍隊が政治やるってことでしょ。総理大臣が非常事態だからあれは価格を抑えろ、あれは売るなとか言うのは、まあ政治の横暴と思う人もおるかもしれませんが、戒厳とは別物でしょ」
「なるほど、よく分かりました。では今回の措置、注目されるのは何処でしょうか?」
「その、特異的時空間災害、まあにわかには信じ難いですけど、大変なことになってるのは間違いありません。その上で災害緊急事態の対象が日本全土、こりゃちょっと驚きですよ。要は今起きてる何もかもが、今後起こる何もかもが、災害ちゅう扱いになるってことです。政府はね、本気で日本中の物流ですとか、食べ物の配分だとかを統制するつってるんです。ほとんど戦時下ですよこりゃ」
「とするとネットの噂の通り、視聴者の皆様の食事も芋ばかりに?」
献立を描いたパネルにカメラがフォーカスする。サツマイモやジャガイモだらけの、豪華とは言い難い内容だ。
「まあ、あるかもしれません。それはそうと新たに設置される緊急災害対策本部、ここに権力がめっさ集まるんです。今起こっとる何もかもが災害ちゅう扱いなるみたいなんで、災害対策って名目で案外どんな無茶でも押し通せちゃうかもしれない」
「そう言われると怖いですね、まるで昔の大本営みたいです」
「それも正確な表現じゃありません。どちらかというと内務省で……」
「あッ、ここで新たなニュースが入ってきました!」
司会は人工的っぽい驚きの表情を見せつつ、現地のレポーターを呼び出した。
映像が切り替わる。カメラが映し出したのは首相官邸内部の様子で、ざわめきの中、「緊急災害対策本部、正式発足」というテロップが入った。
東京都千代田区:首相官邸
「日本の命運は諸君らの双肩にかかっている。どうか諸君、この日本を救ってほしい!」
総理大臣からの訓示はそのように締め括られた。
首相官邸2階に集った一同が、揃って気を引き締める。その表情は老若男女を問わず固い。自分達の頭上に、今にも切れんばかりの大剣が吊るされていることを、誰もが間違いなく理解していた。むしろその大剣は確実に落下すると分かっていて、逃げられない椅子の上でどう立ち回るかを必死に考えていると言った方が正確かもしれない。
「では、皆で日本を救おう」
その号令を待っていましたとばかりに、対策事務局員達は状況認識の統一に向けて動き出した。
日本以外が昭和20年3月であるらしい、克明に記録された未知の世界。そんな中に投げ出され、生存を模索していかなければならない。であればまず日本の現状についての情報を、過ぎ去ったはずの世界に関する情報を、多少誤差があっても対策本部に迅速に集約し、全員が正確に理解できるよう整理すべきだった。それは今後徐々に出てくるであろう災害の影響を予測し、課題を羅列し、対策を立てていく上で不可避のプロセスに違いない。
無論、すぐに対応した方がよいものについては、要請という形で方々に指示を出していっている。
「田中さん、原油と石油製品の現有量、各社に再確認願います……ええ、帳簿の数字ではなく、今実際にある量ね」
「規制庁はこちらで説得します。貴社管内の原発、最短の再稼働スケジュールを送ってください」
「貿易統計の生データ、s3に全部あるでしょ。うちのオタクにクエリ書かせるから、アクセス権限を……え、システム障害?」
「そうそう、朝鮮と台湾、満洲国。確か何処も米とか大豆が輸出品だったはず。そこの数量を可及的速やかに送ってほしい。うん、まあ一応は同じ日本だし、うちらが買わなきゃ倉庫で腐るだけだし、何とかなると思う」
対策事務局員達は次々と関係各所に電話連絡し、必要な情報を集めていく。
何とも頼もしい限りで、見ているだけで特異的時空間災害も吹き飛ばせそうな気がしてきた。ただ必要な作業量に対して人員が見合っているかが懸念点で、対策室も既に手狭となっているようにも見えた。
(現地対策本部名目で有明でも使うか? いや、あの辺は不発弾処理がまだか……?)
対策本部副本部長で総理補佐官の武藤もまた、組織の体制強化について思案を巡らせた。
災害緊急事態は日本全土に布告されたから、何処だろうと"現地"だ。コミュニケーションに多少のロスが発生するとしても、ある程度は地理的に分散させた方がいいかもしれない。実際今は防衛出動下で、マリアナ諸島の基地は使用不能にしたものの、何かの拍子にここが破壊されたら国の思考中枢を丸ごと失うことになる。
(ん……!?)
武藤はそこで、重要なことに気付いた気がした。
その正体は、暫く考えてみたが判然としない。だが確実に何かの役に立ちそうだと直感した武藤は、すぐにメモ帳を取り出し、脳裏に浮かんだキーワードを書き留めた。
緊急災害対策本部が発足する第15話でした。13話での災害緊急事態の布告と合わせ、転移を巨大な災害と定義し、日本全土が災害に襲われた……というスキームにすることで、国内で急速に不足することが予想される食糧、生活関連物資等の統制に踏み切るという内容です。
正月休みも明けましたので、次回更新は多分明後日になります。よろしくお願いします。
それにしても国家安全保障担当総理補佐官兼対策本部副本部長(対策担当大臣)、長すぎる肩書な上に過労死が見えてきそうで恐ろしい……。




