119. 未来への一歩
大連:周水子飛行場付近
ハワイから戻ってきた大場大尉の手には、一冊の本があった。
「戦火のラブレター」などと題されたそれには、驚くべきことに妻の峯子と交わした手紙が掲載されていた。戦争を生き延びてしまった本来の自分が天寿を全うした20年ほどの後、サイパン島で展開していた遊撃戦が映画となり、その製作の過程で発見された手紙をまとめたという経緯らしい。
当然、文面は紛れもなく自分あるいは妻のもので、ページを捲る度に鮮明な記憶が蘇った。
豊橋歩兵連隊の見習将校であった若き頃、逢瀬を重ね両家の反対を押し切って峯子と結婚した事。大陸の酸鼻を極めた戦場の風景。日々すくすくと育っていく長男の様子。筆不精に憤って喧嘩腰な言葉を記してしまったことも、出来心に誘われ遊女屋に通わぬようよう釘を刺されたことも、何もかもが懐かしい。
(だが……)
大場は本を丁寧に閉じ、大きく息を吐き出す。
えらく上質に思える装丁の触感は、それが見知った時代のものではないことを、何より強烈に印象付けていた。一将校の私信が史料として扱われているという事実は、現代の内地が既に自分の生きてしまった世界であることを、極まりないほど残酷に証明してもいた。
そして昨年初めまで一緒に暮らしていた妻は、大場家の墓に眠ってる。参れば自分と対面ということにもなってしまう。
「どうしたもんかね」
ぼやきを漏らしつつ、大場は重たい足取りで進み出した。
故郷に戻りたいという想いはあっても、そこは元の故郷に非ず。80年もの歳月を経た祖国に、容易に馴染めるとも思えない。サイパン戦の後に垣間見たそこはまさしく異世界だったし、身に覚えのない次男がヨボヨボの老人となっていたりもする。己が足跡が不可視の結界となって帰郷を阻んでいるかのようで、諸々の問題が解決したとしても、盆に帰るくらいが精々と思われた。
とすればやはり、辻連隊長謹製の冒険譚みたいに、新たな人生を始める他ないのだろう。
計算高い令和の政府はそうした将兵の事情を見越してか、大連に連絡所を設けている。今向かっているのはまさにそこで、予備役編入後の就業・起業に関する面接を予定していたが、どうにも億劫さが否めない。
もっとも諸々の逡巡は、唐突に響いてきた妙チクリンな音楽によって搔き乱された。
「緊急事態、緊急事態、ディスイズ緊急事態!」
「高木屋、パイナップル缶を大量入荷」
「しかも大特価。皆でパイナップルしたいぞ!」
何時の間にか現れていた鹵獲品の米製トラックの上で、朝鮮出身と思しき男が調子のいいことを言いまくる。
猫コケシみたいな何かとパイナップルを描いたノボリを立てた荷台には、黄色い果実とローマ字の描かれた缶詰が山積みになっていて、通りを歩いていた者達がゾロゾロと引き寄せられていく。
「大尉殿もパイナップルを食べるといいの」
「俺は真珠湾から帰ったばかりなんだよ」
太った運転手からの誘いを、大場は一度苦笑しながら断った。
ハワイといえばパイナップルの一大産地で、人口30万の島で十数万トンを生産していたりしたほどだ。その半分ほどは冷凍船で令和日本へと送られていたはずだが、それでもまだ大量に余っていたので、飽きるほど食べた覚えがあった。
だが――それらを早々に大連へと運び込んだとなると、なかなかの才覚かもしれない。
実際、向こうではほぼ値がつかなかったパイナップル缶詰は、大連では飛ぶように売れているようだ。そうした逞しい限りの商魂を見ていると、自分もクヨクヨしている場合でもないと思えてもくる。
「やはり1缶貰おう」
元気を搾ってそう言い、大場は銭を渡して商品を受け取る。
続けて製本された夫婦の記憶とパイナップル缶詰とを交互に眺め、「俺はこちらで踏ん張るよ」と、時空間の狭間に消えた妻子に心中で告げた後、まず前者を懇ろに鞄へと納めた。
妻は幸福な生涯を送り、子や孫は今も日本に息づいている。それで納得する他ないだろうと自分に言い聞かせる。
「俺も何かやってみるかな」
少しばかり軽くなった足取りで、モダンな街道を進んでいった。
今必要なのは思い出ではなく、これから腹を満たしていく方法だ。そういえばそんな歌詞の派手な曲が、令和の日本で流れていたかもしれない。
北海道ニセコ町:公民館
Webラジオから流れてくるイーデン・志村両外相の共同声明は、少し早いクリスマスプレゼントとなった。
大英帝国圏内の物流を急ぎ最適化し、また旧日本陸海軍の影響下にあるアジア地域と連携することにより、帝国全体に蔓延しつつある飢餓を緩和する。日本側が拿捕船舶の提供を申し出るなど協力的であったのは、希少金属や工業塩などを確保するためでもあったが、それでも物流の問題として処理可能な側面があることを踏まえた現実的な策と言えた。
そしてその基盤の1つが、本来は歴史資料であったはずのもの。つまるところ未来の情報が人々を救う力となったのだ。
だがその一方、未来の情報はとんでもない暴力にもなり得る。
例えば中学校の社会科地図帳には、1945年段階では未知の鉱山や油田が記載されている。とすれば地図帳をこの時代の人間が手にしたならば、急ぎ当該の土地を買い占めるなど、未来の自分からスポーツ年鑑を手渡された映画の青年も同然の行動に出るだろう。それと同じ理屈がほぼ全ての分野において通じ、しかも先行者利益と遅行者損失の差は絶望的と容易に予想されるため、信じ難いほどの疑心暗鬼を拡散させる可能性があった。
地球を来訪した宇宙人があったら、彼等に侵略や攻撃の意図などなくとも、人類社会全体が破滅的内戦に陥る可能性がある。そんな悲観的予測をする学者もいたが、宇宙人を21世紀の人間に置き換えれば、目の前にある現実そのものかもしれない。
「とすれば――これも致し方ないって話なのですかね?」
リゾートマンション経営者のグリーンは、まず自分が生まれる前の歴史を思い出す。
現代でこそオーストラリアの主要輸出品の1つが鉄鉱石だが、以前は埋蔵量が相当低く見積もられており、資源枯渇の懸念から、1960年まで鉄鉱石の禁輸措置が取られていた。それをひっくり返したのが1951年に西オーストラリア州ピルバラ地域で発見され、その後異様な発展を遂げた巨大鉄山だった。
もしその情報を事前に得られていれば、土地を買い占めて大儲けできた。案外誰でも一度は考えてしまうことだろう。
一方でタブレット端末の画面上には、臨時政府と日本の商社が結託してそれをやる内容が堂々と記載されていた。
ピルバラ一帯の鉄山を買収するのみならず、21世紀には資源積出港として繁栄していたポートヘッドランドに、帰国希望者用の"租界"まで建設してしまう。日豪両政府の思惑と戦略資源に関する利害、時空間災害に巻き込まれた者達の望郷の念とが合体した、多国籍チート事業とでも表するべき計画だった。
その根底にあるのは、下手に相互不信の種を蒔くよりは、現代側が結託して一旦権益を管理する方が望ましいとの結論。
「ご先祖様からすれば、美味しいところを掻っ攫っていくロクデナシに見えそうです」
「他にいい手がないのも事実だろう」
この辺のオーストラリア人の長老格たるブランドン氏がそう応じ、
「その上で……何とか同じ国民としてやっていける道を探る他ない。これ、話すの二度目だぞ」
「いやはや、すみません。ただ同じ国民として、どうしても抵抗が拭えないというか」
「正直、俺も卑怯なやり口だとは思うよ」
ブランドンは少し眉を顰め、
「とはいえ未来との接点を巡ってご先祖様達に争ってもらうべきかというと、それも違うはずだ。とすれば実際、この辺りに落ち着かせる他ないだろう」
そんな言葉とともにタブレット端末が操作され、PDFファイルのページが捲られる。
鉱山や関連インフラの開発スケジュール、中期的な鉄鉱石需要予測、それから現地従業員に関する計画。この時代の母国に対する貢献は、特に両時代間の知識格差がある程度平準化するまでは、雇用と直接間接の納税によって行われる形だ。
「無論、どう弁明したところで、我々を新たな支配者だとか日本の手先だとか言う人間はいるだろう。この間も先住民政策で臨時政府とご先祖様が揉めたくらいだしな。だがそれでも……なるようになるはずだ。少なくとも今後、戦争の恐怖からは解放されるし、遥か未来の製品だって手に入るようになる。日本政府も国内での自給自足を徹底させる方針だし、国際的な時空間災害研究を訴えてもいるから、極端なほど収奪的な構造にはならんはずだ」
「何とも、楽観的ですね」
「楽観は意志だって誰かが言っていた。こんな時代だ、それが一番重要だろう」
「違いありませんかね」
グリーンは幾分の疑念を残しつつも、相応に朗らかに同意した。
それから少しだけ思考を整理した。既に歯車が動き出そうとしている以上、諸々が上手く運び、子供達が将来オーストラリア旅行に行けるよう願う他ないのだろう。そしてその時に、過ごした時代の違いが問題にならぬようにと。
ニュージャージー州プリンストン:研究施設
常軌を逸した大統領暗殺未遂事件が世間を騒がせていたが、テーラー青年の関心は全く別のところにあった。
いったいどうして、この世界は大爆発してバラバラに吹き飛ばなかったのか。特異的時空間災害などという超自然現象を知らされるや否や、彼はそうした疑問を持ち、何としてでも真理を究明したいと思うようになっていた。
信じられぬほど幸運なことに、渡りに船な申し出が舞い込んできてもいた。
有名なプリンストン高等研究所は爆撃で瓦礫となったらしいが、その遺伝子を受け継いだ研究所をまた作るから、そこで勤務しろというのだ。物理学士号しか持っていない自分にそんな申し出が来るとは驚きだが、日本にいるという未来人が将来の自分の業績を把握しているとすれば辻褄は合う。それに食い物で困ることもないというから、断る理由などあろうはずがない。
「とはいえ……どうしたらいいんだろ?」
仮設研究棟の休憩室にて、道中で知り合った友人のダイソンが、本当に困ったような顔をした。
それから段ボール箱転用食卓の上にある怪しい缶飲料を取り、一口すすった。エスプレッソにコーラか何かを混ぜたようなゲロ不味い未来日本の産品で、よくそんなものが飲めるものだと全く呆れる。
「ともかく本当に駄目で困ってしまうんだ」
「いったい何がだい?」
「いや、国が丸ごとタイムスリップしてくるなんて、全く意味が分からないだろう。現象を僅かでも説明できそうな物理モデルが、幾ら考えてみても、これっぽっちも思いつかない始末なんだよ。それを研究しろと言われても頭が渦巻スパゲッティになるし、国というものが何だかよく分からない」
「まあ落ち着けって」
早口で喋りながら狼狽えるダイソンに、テーラーは肩を竦めながら言う。
「ちょっと考えてすぐ思いつくくらいなら、未来人がとっくに解明しているさ。となれば慌てるだけ無駄さ」
「でもだったら僕等はいったい何をすればいいんだろう?」
「そうだな……」
ドクターペッパーの瓶を空にしながら、テーラーは棟内のあちこちに視線をやった。
書籍の詰まった段ボールが違法建築めいたタワー群を形成していて、しかもその高さや数は増加の一途。それらの中身は貼られたラベルの色で分かる仕組みになっているが、物理や化学の学術書ばかりでなく、地球科学に政治学、歴史、純文学とかなり妙な具合なものまで揃っている。
だが既存の常識が一切通じない災害である以上、それこそが正しいアプローチなのかもしれない。
「当面は本でも読んで、読んで、読みまくろうや」
「えっ、いいのかなそんな調子で?」
「構わんだろ。それがクリエイティブってものだろうさ」
静岡県浜松市:浜松駅
外回りの仕事を終えた藤嶋は、未だ閑散とした駅の待合室にて、ぼんやりとテレビを眺めていた。
戦没者追悼を目的として、幾つかの歌手グループが公演をやっている様子が中継されている。実のところ芸能にはとことん疎いので、彼等の顔とグループ名、曲名などがまるで一致しなかった。
加えて彼等の真摯さを貶める心算はないとしても、どうにも心を打たぬところがある。
それは恐らく自分の感性の方が麻痺しているからだろうと、藤嶋はよく理解していた。息子の仇を討つため、生き残った者達を助けるため、臨時の自衛官として『神武』作戦に加わった記憶。そこに後悔などあるべくもないが、任務完遂がため構築した精神性は未だ貝殻のように残っており、一歩踏み出す先も分からない。
理性はそれでも社会に参画する意義はあると言い、その通りに行動もしているが、やはり心が追い付かないのだ。
「かけがえのない御家族を失われた、全ての御遺族の皆様に――」
定型的な挨拶の後、新たな曲が披露され始める。
「ああ」
藤嶋は静かに呻いた。一応は耳に覚えのあるメロディだったためだ。
新社会人時代あるいは学生だった頃に見た、映画の主題歌かもしれない。昔の戦争を題材にしたものだっただろうか。届く見込みなどない声を、それでも届けたいと欲する、理不尽な運命に曝され、愛する人を喪った者の心情表現として適切な歌詞。
とはいえ駅構内の花屋なんかは、未だシャッターを降ろしたままだ。
あるいは食料増産のためほぼ消滅した花卉類の流通が回復し、店頭に並ぶようになっても、その香は自分の嗅覚に届かないかもしれない。
「ん……?」
何時の間にやら、スマートフォンが振動していることに気付く。
妻からの着信だった。乾燥した、恐らくは百害あって一利ないであろう物思いを中断し、いったい何事かと通話ボタンを押す。
「もしもし。どうかしたかな?」
「あなた、大変!」
妻の切迫した、しかし喜色に満ちた声に、藤嶋はまず驚いた。
第二子懐妊。その事実を告げられるや、打擲された鐘の如く全身が震えた。信じられない、夢幻の類を見ているのではないか。何度か問い、その度に雲が晴れていく。怒涛となって押し寄せた万感に胸は埋め尽くされ、言葉などまるで出ず、ただ微かな嗚咽だけが口許から漏れるばかり。
そしてちょうど背後から響いてきた一節が、精神を閉塞せしめていた全てを洗い流していく。
「ありがとう、ありがとう……」
顔をクシャクシャにしながら、藤嶋は妻に、それからこの世の諸々に感謝した。
喪われた者が別の姿となってまた会いに来る。画面に映されたそんな歌詞が、如雨露の水を撒いたような視界に滲み、温かな思い出と重なる。
狂った世界にあっても、それぞれ進んでいこうとする第119話でした。
第120話は4月2日(金)~5日(月)辺りで更新の予定です。読者の皆様、いつも感想やブックマーク、評価等、ありがとうございます。
ちょっとこの間、植物園に行っていたこともあり、花卉類に関連する何かを盛り込めないか? みたいなことを思った次第です。
実際、本当の緊急事態にあっては不要不急のものがどんどん削られていくでしょうから、作中世界では花卉に関しては食用作物への作付転換が確実になされると考えられます(流石に皆無とはならないでしょうけど)。そうした殺伐とした世界を想定してこそ、何故人はそれを必要とするのかが分かるかもしれません。
なお「戦火のラブレター」は実際に存在する書籍で、出版の経緯も作中の記述の通りです。読者の皆様も、よろしければ手に取ってみてください。




